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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2005年8月28日

Confession: 地獄行きを免じるカソリックの秘蹟

英語文化すなわちキリスト教文化という側面が大きいので、今回は、ビジネス英語とは関係ありませんが、教会での告解というものをご紹介します。私自身はlapsed Catholicという奴で、教会にも行っていないツミビトではありますが、この方面の知識は多少あるので、何かの折にみなさんの役に立つかも知れないと思い、ちょっと書いてみる気になりました。例えば、海外旅行でカソリックの教会の内部を見物される際、壁際の小部屋の役割がわかれば、日常的に行われているキリスト教会の秘蹟の一端がうかがわれ、興も増すことと思われます。

★ 告解

告解というのは、教会の告解室 (confessional)で神父に対して犯した罪を告白し、言い渡された罰を受け(後述するとおり、実際は、祈るだけです)、罪の赦しを得ることで、教会の七つの秘蹟に数えられています。

ちなみに他の六つの秘蹟は、赤ん坊に授ける「洗礼」、幼児期にキリスト教徒として一人前であることを確認する「堅信」、ミサでの「聖体拝領」、「婚姻」、神父に任ずる儀式を意味する「叙階」、そして死ぬ寸前の信者に授けられる「終油の秘蹟」です。英語では、Baptism, Confirmation, Holy Communion, Matrimony, Holy Orders, and the Last Anointmentになります。

何を告白するかですが、前回の告解から当日までの間に犯した罪を告白するものとされています。罪には、(ツミビトの理解ゆえ勘違いがあるかも知れませんが)モーゼの十戒にクリスチャンとして守るべき七つの美徳に背くこと、しかも、そうと知りながら敢えてその行為に出たことを言う重罪と、そこまで行かない軽罪とがあります。後述するとおり、重罪は告解で赦免を得ておかないと地獄行きが決まってしまうので、大変です。(軽罪の場合に告解をしないまま死んでしまうと、天国に直行できず、れん獄 purgatoryという名の一時収容所で短期間ながらつらい目にあってから、ようやく天国へという手順になります)

非英語圏では(日本でもそうですが)、日曜のミサのうち何回かは英語で執り行われるもので、子供の頃にいた南米のエクアドルでは、このように英語でミサが行われる教会に毎週、日曜日に出向いたのをおぼえています。

そういった折に早めに出向き、告解を済ませておきます。と言うのは、告解を済ませ、贖罪を済ませていることがミサの中盤で行われる「聖体拝領」という儀式に参加する条件だからです。

注記:聖体拝領というのは、キリストが最後の晩餐の折に、「このパンを私の体と思って食べなさい、このワインを私の血と思って食べなさい」と弟子たちに説いたことに由来する儀式で、実際に聖体を配る前に、司祭はカップの中にワインを注ぎ、それに聖体(薄いウェファー状のもの)を浸けるまねをします。なお、飲んべえの神父の中には、カップの中になみなみとワインをつがせ、それを本当に飲んでしまうケースがあるようです。

★ 告解室の中

読者の中には映画の中のシーンでご覧になったこともあるでしょうが、告解室というのは、祭壇に向かって、左右二列ある席の外側、壁ぞいにある小部屋で、中は神父が座る席と告解を聞いてもらう信者がひざまずく席の二つに分かれています。

神父が告解室に入っているのがわかると(確か足下がちょっとだけ見えていたような、そんなしかけです)、「ブース」に入り、ひざまずきます。すると、目の前の格子が入っている小窓が開き、用意ができたとわかります。明かりは薄明るい程度で、互いの顔は見えません。

ここで、信者は、十字を切りながら、In the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit, Amen.(父と子と聖霊の名において、アーメン)と唱え、ここに信者がおりますとアピールてして始まります。次いで、Forgive me, Father, for I have sinned. It has been two weeks since my last confession.(神様、お許しください。私は罪を犯してしまいました。この前の告解から2週間経ちます)と言ってスタートです。すると、小窓の向こう側から、"Child, what you have done?"(一体何をしたんだい)と尋ねられます。

今になって考えてみると、ここでおもしろいのは現在完了を使うことです。この場合は、What did you do?とはまず言いません。以前、現在完了を取りあげた記事(5月29日の「現在完了とはどういうものか:過去形との対比を通じて理解し、使いこなすためのポイント」)で説明したとおり、裁判官である神父にとっては、信者の罪状を知るというのはこれから罰を言い渡す上での資料を収集するという意味で現時点での問題であり、単に過去の事実の報告を聞けばいいということではないからでしょう。

(ところで、相手が子供だから、Child...と呼びかけるわけですが、相手がおとなの場合だったら何と言うのだろうと今になって思います。あるいは、このChildはおとなに対しても使うのでしょうか)

これに応じて、I have disobeyed my parents.(私は両親に背きました)などと罪を告白していきます。たいていは黙って聞いているだけですが、時には、「それは何回ありましたか」などと問いただされます。

聞き終わった神父は、罪状に見合う罰を言い渡します。基本は、Lord's prayer(主の祈り)を6回、Hail Mary(聖母マリアの祈り)を3回唱えなさいといったものでした。これで帳消しですから、楽と言えば楽です。

そのあと、信者の方で、正確な言葉は忘れてしまいましたが、 I am heartily sorry for having offended thee(お怒りに触れるようなことをしてしまい、心から悔いています)で始まる何かの呪文みたいなものを唱えると、神父の方からは、要するに神から授けられた権限に基づきおまえを赦すという趣旨の呪文が聞こえてきます。これでひとまず告解室の中は終わりです。

このあと、祭壇の前の席に行き、ひざまずいて、言い渡された罰としての祈りを所定の回数唱えます。Our Father, who art in heaven, Hallowed be thy Name. (天にましますわれらの父よ、 願わくは、御名の尊まれんことを)で始まる「主の祈り」を所定回数唱え、同様に、Hail Mary, full of grace! The Lord is with you (恵みあふれる聖マリア、主はあなたとともにおられます)で始まる「聖母マリアの祈り」をやはり所定の回数唱えたところで儀式は完了です。

これを怠るとどうなるかが問題ですが、聖体拝領の資格が得られないばかりか、信仰上の重罪を犯しておきながら、この告解と神父(つまりは教会)による赦免という手続を踏まないと、地獄行き必至となります。ですから、カソリックの信者にとっては、一大事なのです。

★ 地獄行き必至の重罪とは何か?

告解で赦免を得ておかないと地獄行きになってしまう重罪は、私の記憶によれば、モーゼの十戒に対する違反と7つの大罪 (seven deadly sins)と称されるものです。

モーゼの十戒 (the Ten Commandments) は、以下のとおりです。

1)キリスト教の神のみを信じなさい  ← 妙な宗教に走るとこの戒律に触れます。
2)神の名をみだりに口にするな  ← 間投詞的にJesus Christ!などとやっている輩はこれに触れますから、告解で赦しを請わない限り、地獄行きです。
3)安息日を守れ  ← 日曜日にミサに行くことを怠るのは論外です。ですから、私は地獄行きが決まっています。
4)父母を敬え
5)汝、殺すなかれ   
6)汝、邪淫するなかれ  ← 正当な婚姻関係にない者どうしの性行為は御法度です。
7)汝、盗むなかれ  ← 会社の備品を私的に流用するのはもちろん、相手の無知につけこんで、自分の有利にことを運ぶようにするのも、これに触れます。
8)汝、偽証するなかれ  ← 陰口をたたくのもこれに触れます。
9)汝、隣人の妻を欲するなかれ  ← そんなことを考えただけでも重罪です。TVの不倫ものを見るのもいけません。
10)汝、隣人の家を欲することなかれ  ← 人のものをうらやむなということですから、自分は何々を持っていないと嘆くのも同罪です。

七つの大罪とその対極にある七つの美徳は以下のとおりです。七つの大罪は、要するに結局は、殺人や盗みにまで至りうる諸悪の根源ということです。

思い上がること (pride) ←→ 慎みを持つこと (humility)
むやみに欲しがり、けちること (avarice) ←→ 人に与える気持ちを持つこと (liberality)   [注]ミサに参列していると「喜捨」を集める小箱や袋が回ってきますので、これが試されます。
みだらな心を持つこと (lust) ←→ みだらな気持ちに惑わされないこと (chastity)
怒ること (wrath) ←→ 控えめにし、忍ぶこと (meekness)
がっつくこと (gluttony) ←→ 節制すること (temperance)
うらやむこと (envy) ←→ 博愛精神をもつこと (brotherly love) [注] Brotherly loveというとすぐ「兄弟愛」と訳されるようですが、カソリックにとっては、神の下では平等である人間どうしの、たがいにいたわる自然な気持ちを指すことばで、このあたりの感覚はErich FrommのThe Art of Lovingを読むと良くわかります。
怠けること (sloth) ←→ 勤勉であること (diligence)

ちなみにこの七つの大罪については、ダンテがえらく詳しい分析をしているそうです。

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