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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2006年5月26日

ダ・ヴィンチ・コードでとんだ災難にあっている Opus Dei

ダ・ヴィンチ・コードを読み終わった時に、気の毒というか、こんなふうに書いちゃっていいのかいと思ったのが Opus Dei (英語ではオウプスに近い感じで、 Oh-p's-Day と発音します)。この Opus Dei という団体、作品の中ではカトリック教会の秘密とやらを守るため、主人公をつけねらい、殺そうとする秘密結社的犯罪集団かのように描かれています。ところが、この組織、本当にあるカトリックの団体で、しかも、秘密結社でも何でもなく、ましてや犯罪集団でもありません。会員には現役の司教やバチカン高官を含む、まじめなキリスト教信者の団体です。日本支部は公式サイトを持っているぐらいで、そこでは、ダ・ヴィンチ・コードがらみの誤解を説くべく、広報に努めています。

今回はこの、一般にはあまり知られていない、 Opus Dei を取りあげ、それがどういうもので、どうして小説のネタとして格好のターゲットとされてしまったのかを考えてみたいと思います。おまえに何がわかると言われてしまいそうですが、自分自身、幼児洗礼を受けているクリスチャンですし、同じくクリスチャンだった祖父がこの Opus Dei の会員でしたので、多少はわかっているのです。

★ Opus Dei はどういう団体なのか

Opus Dei での opus は、ラテン語の「仕事」ということであり、Dei は神ですから、要するに、Work of God = 「神の仕事」となります。ただ、Opus Dei のサイトを見ると、当人たちは、「神の業」という言い方をしています。

脱線しますが、カリフォルニアの Robert Mondavi とフランスの Rothschild の合作として名高いワインの Opus One は Work Number One ということです。また、 そのまま英語に取り込まれている、 magnum opus または opus magnum は、great work という意味になります。この magnum イコール great という感覚は、(少なくとも私には)レストランなどに飾られている巨大なシャンパン・ボトルを通じて実感として伝わってきます。通常のビンに対して、1.5リッター入りのものが magnum 、3リッター入りが super magnum と呼ばれていますが、要するに "great" bottle, super "great" bottle ということです。

本題に戻りまして、Opus Dei という組織が謎めいた存在でないことは、The Shorter Oxford English Dictionary に見出し項目として取りあげられていることにも表れています。そこでの説明はこうなっています。

Roman Catholic organization of priests and lay people founded in Spain in 1928 with the aim of re-establishing ideals in society.(1928年にスペインで創設された、神父と一般信者を構成員とするローマカトリック教会の団体。教会の理念を改めて社会に浸透させること目的としている)

この団体の公式サイトでは、自分たちの目的をこう説明しています。「オプス・デイの目的は、この教会の福音宣教の使命に貢献するため、生活の日々の状況、特に仕事の聖化を通して、信仰に百パーセント合致した生き方をするよう、あらゆる条件のもとにいるキリスト者を励ますことです」

そもそも、この組織を設立したのは、Josemaria Escriva de Balaguer という硬派のスペイン人神父(1975年に亡くなっています)。1928年という時代背景を考えると、神を否定する共産主義の台頭に対抗しようという意図があったことは想像に難くありません。事実、Opus Dei はフランコ独裁政権に近かったことで知られており、また、南米のチリで左翼政権を倒した軍事クーデターでも何らかの影響を及ぼしたとされています。こういった事情を考えると、時のプロテスタント勢力に危機感を持って、鉄の規律で知られるイエズス会を創設したイグナチオ・ロヨラを思い出させます(イエズス会はわが国では上智大学の経営母体として知られています)。

一般信者を組織化し、教会外での一種の社会運動としてカトリシズムを広めようというものとしては、Catholic Action というものが有名ですが、ヨーロッパの場合、キリスト教民主政党が取って代わった観があり、草の根レベルへの浸透が実現するような勢いは感じられません。これに対して、全世界に会員が10万近くいるという Opus Dei の最大の強みは、バチカン(カトリックの総本山)のお墨付きを得ており、公認団体として教会の組織の一角を担っていることです。逆に言えば、創設者である Escriva 神父の力で公的存在にまでのしあがったとも言えます。それだけにやっかみやら恨みも人一倍買う結果となったようです。

★ Opus Dei の評判

昔からメディアで Opus Dei が取りあげられるのは、どうかするとエリート主義の秘密結社という視点からのものが多い感じがありますので、なぜなのかと、この点をちょっと考えてみたいと思います。

私の理解では、Opus Dei というのは、修道院のモットーである、禁欲・清貧・教会への絶対服従を日常生活で実践し、神と人との距離を縮め、神の教えが社会に浸透することを図ろうという人々の集団です。古来、人は、知行合一(ちこうごういつ)つまり日々の行いがない限り真の知にはたどり着かないという発想に引かれるものですが、問題はここまで突き詰めてものを考えるのがエリートと呼ばれる人たちに限られてしまうことです。考えてみれば普通の人は日々の生活に追われてそんな抽象的な問題にかかずらっていられませんから、ある意味当然なのかも知れません。

いずれにしろ、結果として、Opus Dei は、エリート主義の団体だという非難を受け続けてきました。なるほど、これまで明らかにされているところでは、メンバーは銀行家、法律家あるいは建築家といった専門職が主体の保守系知識人で固められています。しかも一般信者がきょうから入れてくださいと申し込めるようなグループではありません。声をかけられた人だけで構成されている、選ばれし者の集団なのです。(そういった集団ですから、カルト集団と同じで、簡単には脱会できず、それがまた批判の種になってもいます)

エリートで何が悪いと思われる方もいらっしゃるでしょうが、やはりエリートというのはどうしても貧乏人に冷たいもので、現に創始者の Josemaria Escriva に対しては、傲慢だ、ユダヤ人嫌い (anti-Semite) だ、贅沢志向だ、ファシストびいきだ、さらには女性蔑視だ(Escriva 自身、「女性は勉強しなくていい、慎み深くしていればそれで結構」と書いています)などと、一般にヨーロッパの上流階級にぶつけられる批判が出そろっています。また、南米で地主階級に虐げられている農奴がかわいそうだということで、彼らに味方する「解放の神学」が登場し、バチカンが揺れたときも、Opus Dei に属する司教たちが抑えにまわったことが知られています。自分の仕事を通じて社会に働きかけようというのが本旨ですから、自分の社会的地位、知識・経験が活かされることのない、マザーテレサ的貧民救済とは無縁の人たちというのが私の理解です。Escriva 神父個人の貴族趣味もいけなかったのでしょうけれど、貧困層に冷たいという評判は当たっていると思います。

ですから、Escriva 神父が、数年前に、「聖人」の位に叙せられたときは、けっこう物議をかもしていました(聖人というのは故人に贈られる、きわめて特殊で高い地位であり、仏教風に言えば、いわばスーパー戒名のようなものです)。なぜ物議をかもしたかと言うと、一つの理由は、上で述べた事情を念頭に置いた、あんないわくつきの御仁がなんで聖人になれるんだという評価があったためです。もう一つは、普通、功績のあった人でも死後100年ぐらいかかるのに、Escriva の場合、30年ぐらいでなれたので、法王のえこひいきではないかという批判があったからです。

この点、メディチ家に逆らって処刑されたサボナローラなどは500年も経ってから聖人にしてもらえたのですから、何か違和感があります。ジャンヌダルクだって、処刑されたのが15世紀、聖人に列せられたのは20世紀初頭で、普通ならそうは簡単に聖人になれないのです。

しかし、ことの是非は別として、カトリック教会自体、男尊女卑を貫く、法王を頂点とする封建国家みたいなものですから、エリートがどうの、えこひいきがどうのと批判する方がどうかしています。例えば、バチカンからの大使は仏教で言えばトップクラスの高僧で、しかもローマ法王の代理人ですから、信者があいさつするときは、膝を折って、その指輪にキスすることが求められます。子供の頃、親の命令でこれをやらされたときは、何だか王様みたいな存在だなと感じたものです。また、こういった階級意識は、修道院ないしは修道会(修道士や修道女が集まって暮らしている場所)の序列、格式といったことに結びつき、特にフランスのような老舗クラスのカトリック国の場合、スノッブどもは、上流階級のお嬢さんが修道女となるときは何とか会に入るが、別の何とか会は下女クラスで占められているといったことを平気で口にします。

他面、Opus Dei が秘密主義だと批判されるのはお門違いもいいところです。信仰という個人のすぐれて内面的な問題なのですから、犯罪でもない限り、中で誰が何をしていようと大きなお世話というものでしょう。いわゆる説明責任など最初からないのです。

ちなみに、Opus Dei の会員はキリストの苦しみを思い出すために、何とかという道具を使って、わざと痛い思いをしたり、あるいは断食の行をするとされていますが、それは、全寮制みたいな形で暮らしている一部会員のことで、祖父のような一般会員はそんなことはしていませんでした。しかも痛い思いをするための道具と言っても、サディスティックなことをするわけではなく、短時間の苦痛にとどめるものだと聞いています。

★ 要するに

要するに Opus Dei というのは日々の仕事を通じて神の教えを広めたいとする善人の集団だけれど、創始者がいわくつきの人だったがために色眼鏡で見られることが多く、今回のダ・ヴィンチ・コードのようにネタにもされてしまうということではないでしょうか。また、秘密主義でよろしくないという批判がある点は、何でも教えてもらえると思い込んでいるマスコミの悪いくせでしかないと思います。

それにしても Opus Dei 日本支部のサイトにはがっかりさせられます。例えば、「属人区」(=personal prelature) といった訳語をそのまま使っていたりします。普通、信者は「教区」と呼ばれる地域単位で組織化されていますが、Opus Dei の場合は、この団体そのものが組織上の単位となっており、いわばバチカン直属の信徒団体という格好になっています。それを指して、属人区と言っているだけのことです。とすれば、もっと信者以外の人にもわかるような言葉を当てて然るべきではないでしょうか。

上の点に表れてもいるとおり、何か、あのサイトからは教えを広めようという姿勢が感じられません。やはりキリスト教は肉を食らう人々の宗教で、日本人には向いていないように思えてしかたがありません。日本に持ち込もうとしても、どうしても、木に竹を接ぐ感じになるのです。米食う人々には穏やかな仏教の方が合っているのでしょう。

私事ですが、今、墓地を継承するために天台宗を信じますという書類にハンコを押す羽目になりそうで、それだけに、改めて、決してシモジモは神になれないキリスト教よりはということで、仏教への傾斜を深めています。密教 (esoteric Buddhism) って何か怪しい深みがあっていいし。




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Comments

仏教への傾斜を深めておられるにもかかわらず、このように詳細なカトリック教会のための弁護を書いてくださったことに感謝申し上げます。今回の映画の件は本当に悲しいことです。(こんなことが世の中にあるというのに、のほほんと暮らしている自分の方がよほど悲しいですね。ご迷惑かもしれませんが勝手に反省しました。何か犠牲でもしよう・・・って別に、こんなことがなくてもしなきゃだめですよね。すみません。とても感銘を受けましたので。)

[返信]

コメントありがとうございます。何か東京管区の大司教様からのお便りみたいで、妙な気持ちになります。カトリックと縁の薄い普通の方にキリスト教ってそうなんだみたいに思われるのも嫌ですし、Opus Dei がカルト教団みたいに思われてしまうのもどうかなと思ったまでです。何であれ、こんごともどうぞよろしくお願いします。

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