2006年8月28日
「どうする 小学校の英語教育」を観て
今年のはじめ、小学校から英語を教科として教えることに反対して、50名(のちに100名)もの大学の先生たちが文部科学大臣宛てに「連判状」を出していることを知り、その要望書なるものを一読したところおよそ説得力がなかったので、 「小学生に英語を教えるなと反対する大学の先生たち」という記事で自分なりの見方をまとめたことがあります(事情通からあとで聞いたところ、こちらは理屈がおかしいので取りあげただけなのに、熱血英語教師たちのサイトで実情を知らない奴が何を言っているんだ、うちの親分、つまり反対派の親分のお気持ちがわからないのかと槍玉にあがったそうです)。それに続いて、諸外国での早期外国語教育の進み具合やわかっている問題点など関連することがらを調べた上、 シリーズで何本かの記事にまとめもしました。そういった経験があったので、ゆうべBS1で放送されたBSディベート「どうする 小学校の英語教育」は、生身の反対派を観察できたこととも相まって、楽しむことができました。
小学校の先生、保護者、ALT(ネイティブのアシスタント)などから成る一般視聴者のゲストに囲まれる格好で、まんなかのテーブルで司会者をはさんで推進派2人と反対派2人が対峙していました。推進派は、東京外国語大学の元学長で、今は、国際教養大学学長の中嶋嶺雄氏(中教審の外国語部会のまとめ役という立場で出演された感じです)、元サンデー毎日編集長のジャーナリスト、鳥越俊太郎氏。反対派は、同時通訳出身で、ラジオ・テレビの語学講座でも活躍していたという、立教大学教授の鳥飼玖美子氏(この問題につき積極的に発言されている反対派の大物です)、そして作家の阿刀田高氏。なお、この4人のプロフィールとそれぞれの主張については こちらをどうぞ)。
番組を観ていてわかりやすかったのは推進派の論拠。中嶋さんは、日本社会が小学校からの、しかも、本式の英語教育を必要としていること、このニーズに応えないとあっては国際社会で取り残されてしまうことを強調され、鳥越さんは、40を越してからわざわざアメリカの地方新聞社に勤めて、一種の語学留学をされた経験を踏まえて、子供の頃から英語の素地は作っておくべきだ、それが充実した自分なりの人生を送るために必要な時代なのだと説かれていました。要するに、お二方とも、小学校からの英語教育に対する強いニーズがあるとしているのであり、中嶋さんはそれを社会のニーズという見地から、鳥越さんは個人のニーズという見地から強調されていました。
対する反対派は、ご両人ともニーズがあるのは否定しませんが、早期英語教育が必要としても何も小学校からやる必要はない。中学校からやればいいじゃないかというのが阿刀田さん。ただ、逆に、ではなぜ中学校からがいいのかが今ひとつよくわかりませんでした。一方、同じ反対派でも、反対のためのデータが頭に詰まっている様子で、こぼれ出て来るのをおさえがたいという感じで話していたのが、鳥飼さん。
その鳥飼さん、番組内では、(1)コミュニケーション重視つまり会話能力重視の英語教育へと転換して10年経つが、その効果を検証しないまま小学校英語へと突っ走っていいのか、(2)会話重視の反動で、いざというときに重要な書く能力が落ちてはいないか、(3)会話重視の教育だと、どうかすると、文法はあとまわしになるが、それはまずいのではないか、というふうに、盛んにジャブを繰り出していましたが、ここでは、BSディベートのサイトに載っている鳥飼さんの以下三点を柱とする反対派の主張をおさらいしておきたいと思います。
(1) 早く始めれば英会話ペラペラになるという幻想で小学校への英語教育導入が進められている
(2) 資格を有する教員が不足している
(3) 素人が教える危うさを認識すべし
反対論の(1)は、ある年齢をすぎると言語を習得できなくなるという臨界期説など実証されていないのだから、変な期待に基づいて小学校から英語を教えろと言わないでくれということです。臨界期説については、 以前の記事で取りあげたので、そちらに譲るとして、仮に臨界期説が駄目だとしても、この反論には首をかしげざるを得ません。臨界期など持ち出さなくても、経験則から早い方がいいに決まっているというのが今では、社会通念になっているからです。例えば、 Early Start on Language SkillsというBBCの記事(2002年2月13日付)はこう言っています。According to the European Union "the earlier children begin learning foreign languages, the better their progress tends to be.The chances of creating a Europe of multilingual citizens will be greatly improved if citizens have access to language learning at primary school or before," it states.(EUによると、子供は外国語を習い始めるのが早いほど、進歩も速いという傾向がある。複数の言語を使える市民から成るヨーロッパを実現しようという場合、域内の市民たちが小学校またはそれ以前の段階から外国語を学習できるようにした方がその日が近づくペースも速まることになろう)
なお、EUの例を持ち出すと、必ずと言っていいほど、わけ知り顔で、EU諸国の言語は英語と似ているから、日本での英語教育の参考にならないと批判する人が出て来るのですが、こういった人たちは、フィンランドやハンガリーの言葉が英語とは別系統に属していることを知らないのだと思います。そもそも言語自体、あの有名な言語学者チョムスキーに言わせれば、Language is a set of sentences.でしかないのです。限られた音の組み合わせの中から、言葉としての単位とそれを並べるルールをもとにメッセージを作り出す仕組みであることにおいて、どの言語も同じだということです。そうとなれば、早期外国語教育の成果であれ、バイリンガル脳の研究成果であれ、ひとしくどの言語を使っている人にも当てはまると言えるはずです。日本語とそれを使っている日本人が特別だなどということはありえません。
ことのついでに言えば、一昔前は臨界期なるものがあるから早くから外国語をやらせねばという論法だったものが、臨界期自体疑問視され、淘汰されています。代わって、何が早期外国語教育の推進派を動かしているかと言えば、脳科学の研究成果です。一例として、著名な科学誌 Nature の2004年10月号で報告されていた「バイリンガル脳」の研究結果があります。2歳から34歳にかけて英語を習得したイタリー人、22名を調べたところ、英語を早い時期に習得した人の方が、読み、書き、話し、聴く、という4技能のすべてにわたって、他よりも優れていたと報告されているのです。(被験者105名中80名がバイリンガルというグループを対象に行われたこの研究については、Learning languages boost brainというBBCの記事がおもしろおかしく伝えています)。ここから得られた結論は、研究グループの一員である Andrea Mechelli によると、 It means that older learners won't be as fluent as people who learned earlier in life.(年を取ってからの学習者はより早い時期に勉強した人ほどには流暢にならない)ということであり、われわれの経験則を裏づけてくれた格好です。
主張の(2)と(3)は、要するに英語を教えられる教員が足りていないのに見切り発車するなということであり、また、不十分な態勢を補うためにALT(本人たちも資格審査があっけなかったのでびっくりしたと言うぐらいで、ネイティブだという程度で採用されています)を使ったり、地域の英語通の助けを借りたりといった中途半端な英語教育の結果、いい加減な英語が身につくと取り返しがつかないということです。
この点も反論になっていません。会社が明らかに必要としている設備、備品があるときに、予算がない、操作できる要員が足りないと言って、その購入を見送るでしょうか。資源が限られているのはこの世の常ですから、専門家たるもの、むしろ、そんな理由にならない理由を挙げて反対せず、限られた資源を使ってどこまでニーズを満たせるかに知恵を出すべきだと考えます。
例えば、上で触れたALTと呼ばれる人々が 年間6,000人規模で雇われていますが、こういった制度を撤廃して、浮いた予算を小学校英語教育に振向けるという選択があります。そもそも日本人の先生と日本語で意思の疎通ができるほど気の利いた人などまずいないわけで、こういったALTは、人間ラジカセよろしく、「さあー、本当の英語を聴いてみよう」的な使い方で終わっているのが実情と承知しています。それなにの、年俸が400万円として、単純計算で年間、240億円かかっているのです。(ALTを経験した英語の研究者自身が語る ALTの問題点については、 The Stagnation of the ALT systemが勉強になります)
こんなことをしているぐらいなら、この240億円を使って、学校現場のIT化だとか、小学校の先生たちの語学留学に振向けたほうが賢明というものです。全国の小学校は国公私立合計でおよそ23,000で、そこに平均してPCは30台あると言います。計70万台です。そうとすれば、それに音声認識技術を使った双方向型の学習ソフト( 「30万人の声で作られた英会話ソフト」で紹介したようなものがあるのです)を小学校英語教育向けに制作し、この70万台に、ワンセット2万円で搭載したとして、かかる費用は、140億円。
上のALT制度撤廃で浮く予算240億円から、この140億円を引いて残るのが100億円。そこで残額を使って、語学留学の費用が一人当たり年間1,000万かかるとして、毎年1000人の先生たちを海外に送り出せるのです。鳥越さんもおっしゃっていましたが、毎年1000人単位で英語ができる先生を養成すれば、10年で10000人です。ALTの招請は歴史が10年ぐらいあるはずですが、この10年と比べて「ずっといい10年」であるのは言うまでもありません。ビジネス英語雑記帳の読者の中に財務省の方がいらっしゃったら、是非この方向で、ALT予算を削ってください。(貿易摩擦時の懐柔策としての役目は終わっているのですから)
最後に、英語教育のあり方について口を出す英語の専門家たちについて気になることがあるので、一言付け加えさせてください。どうもこういった人たちは、英語を操ることができ、それを教えられる自分たちのことを特別な存在と見ている節があります。実際そういった人たちが実用レベルの英語を使いこなし、変な冠詞の使いかたをせずに、ごく普通に英語で話ができれば文句はないのですが、ご本人の英語が実用レベルではないという人が多すぎます。(こういうことを言うと、誰それはすごいとか、自分の親分はたいしたものだと言い出す人がいますが、そういうことではなく、駄目な人が多数を占めていると申しあげているのです)
職業的に英語指南をやろうという以上、実社会で通用するプラクティカル・イングリッシュをこなせないようでは困ります。帰国子女であるといった特別な事情のない限り、毎日、英語の発声練習や聴き取りの訓練をすべきですし、単語力や文法力についても、普通の人の100倍ぐらいなければプロとして恥ずかしいことですから、それだけの努力を要します。英語というスキルの話ですから、ピアノやギターの先生が自分でも毎日練習するのと同じことです。ところが、そんなことをやっているという話はまず聞きません。そのせいか英語の先生たちのサイトを見ても、カンマやカッコのうしろにスペースを入れないといった書き方の基本がわかっておらず、また、英語としての響きがおかしい言回しがいくらでもあるという具合で、実際の英語とかけ離れたところに住んでいます。
そもそもどうやったら英語を効率的に教えられ、確実な成果をあげられるのかということ自体、いまだ、試行錯誤が続いているのが現状であるのに、あたかも確立されたアプローチがあり、自分たちがそのノウハウを独占しているかのように振るまうこと自体が間違っています。小学校英語教育の話になると、反対派の人々の議論が本題からそれて、枝葉のレベルへと拡散すること自体、このことをよく物語っています。私の見るところ、先進諸国がその合理性を認めてより早い時期からの外国語教育を進めるなか、子女の教育を教師に託している当の国民自身が早期外国語教育を望んでいるという正論に支えられ、推進派がいわば大砲を持っているのに対して、反対派は、対抗するに足る大砲を持っていないので、竹ヤリ、拳銃のたぐいをたくさん並べて気勢をあげるほかないのです。
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- [小学校の英語教育]
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- »通訳の「英語にまつわるアレコレ」: 小学校の英語教育について - 2006年9月 1日 22:08
「 日向清人のビジネス英語雑記帳」さんの ”「どうする 小学校の英語教育」を観て” 記事を読んで、 小学校からの英語教育について、良いのか悪いのか、 ...
- »試稿錯誤: 小学生からの英語教育について - 2006年12月27日 15:54
4/1の朝日読者の声欄に 「小学5年でも英語教育遅い」 と題して、ジャーナリスト服部哲夫氏(米国、52歳)が投稿している。...
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小学校の教科科になると、教科書の問題があります。
中教審の梶田叡一さんが小中学校の教育改革として、小学校を1年から4年までの4年間で一区切りにして、小学5年から中3までの5年間を区切った学校改革を主張し、小学校5年と6年に、現行の中1の英語の教科書を前倒しして学ばせよう!ということが管理職向けの雑誌で紹介され、東京書籍の中1の教科書の前倒し化は、番組で紹介されていた全国各地でも盛んです。
小学校で専科扱いなら、算数や理科とおなじく英語も、中高の英語の免許の持つ教員が教えに行ってOKに教員免許状の改正で現場でかなり成果をあげています。梶田叡一発言が中教審で強く、小学館の「総合教育技術」なんかでも繰り返し見受けられます。
小学校英語教師認定の民間制度が宙に浮いている感じです。
実際の幼稚園の子どもたちの遊びに見られる、かな「りリアルにおままごと」を設定して、社会状況を表しています。シャープのアクオス携帯のCMに見られるように5歳ぐらいでもデイトレーダーのおままごとをやってみたりしている。保育所では、4歳児の女の子が、
「チョコ、年長のA先輩が同じクラスのB君にやろうか迷ってる。」
「年少のC君は?」
「年下趣味じゃない!」
という会話をやっている。ベビーシッターなら分かることだが、かなり子どもたちの会話が大人に近い内容を行っている!
ただ小学校英語の教材は、0歳児~1歳児の状態に行う指導法の幼い内容が多すぎるのです。友人のご主人が急な出張で日向先生の音声教材で自宅で聴きながらシャドーイングしていたら、そばでぬいぐるみで遊んでいた3歳半のお嬢さんから、
「パパ、今のこうよ!」
と駄目だししていたらしい。日向先生の教材を自然と耳で覚えてしまったらしい。もっと現実社会に即した内容で、場面設定ができる高度な内容というと中1の教科書くらいが小学校5年でも優しいのであろう。
教材の内容と児童の精神年齢とあわない。幼すぎる内容!それについては改善しないといけないと思います。
NHKの体質からか、バイリンガルの弊害である、「セミリンガル」
の「せ」、といいかけて鳥飼さんが辞めていた。差別用語としてセミリンガルについてNHKはNGワードなのかあと思いました。セミリンガルをはっきりいえば論点が明確化できたはずですが、日向先生のNHKの出演の裏話を思い出し、言葉を選んで話すゆえに論点が曖昧になっていたいた感じがします。
公立学校の68万人が高機能自閉症やLDが在籍している日本の小学校の教室で、高機能自閉症の聴覚過敏の問題もあって、CDやMDの再生する機械音まで聞こえすぎる生徒に対しての対応など、リスニングができない生徒が一クラスに数名いる場合、歌と踊りの授業は厳しい現状がある。加えて読み書き障害の生徒も多い。聞こえないなら、ABCを書いてみる!ABCが書けないなら聴いたり話す!障害のハンデイのカバーを行う授業内容が求められる小学校の現場がある。
4技能がバランス良くなら小学校でも英語教育はいいのでしょうが、教材面では難しでしょうね。
[返信]
小学校でどの程度の英語をどうやろうとしているのかが明確に打ち出されていない現段階では何と申しあげていいのかよくわかりません。ただ、中学の教科書は感心しません。理屈が入ってますからね。個人的には、文法など七面倒くさいことは避け、やさしく、短く、しかもおもしろい「おはなし」を(翻訳して説明した上で)大量に聴かせ、書き取らせる実験をし、成果を見きわめたらどうだろうと思っています。
- 梶田叡一氏が推し進める中1教科書の前倒し化
- 2006年9月 2日 20:37
そういうご主旨であれば、英語教育は国語教育なり社会科教育の一環に組み込んだ方が良いのではないかと思えてきました。要するに、国語を相対化する、日本語の特徴をよりよく理解するための対象言語として英語に触れるという考え方です。ローマ字導入時に合わせるのも一つの手だし、「国語を守れ!」派の反発も多少は薄れるでしょう。(他教科とのトレードオフについては、英語科新設は、個人的にはマイナスだと見積もっていますが、それは措いておく)
しかし、これが「英語」教育と呼べるかどうかはかなり怪しい。でも、フォネックスとかを導入しようとするのなら、基本的に小学校教員は全教科を教えますから、全国の小学校教員に対する少なくとも数年単位の総研修と既存の教員養成カリキュラムの改変が必要です。そのコストと、中高の英語教育法見直し(および研修を通じての導入)との費用対効果を本気で比較した人は、寡聞にして知りません。こういうのは血も涙もない(褒め言葉です)数理やさんに是非やって欲しい。
私は小学校中学年以上については、教員の科目分掌に賛成ですから、英語導入を契機にそのような動きが他教科に及ぶのなら、英語そのものよりも、そちらのメリットの方がとても大きいとは思いますが。
[返信]
コメントありがとうございます。
- 中山
- 2006年9月 1日 06:15
いつも楽しく拝見させていただいております。
まず、答えを先に言うと私は早期教育には反対です。以下のとおりです。
①日本語と英語は質的に違いすぎて、EUの効果をそのまま適用するのは危険。
TIME 26 Jun.'06 p.22 では米国の The USA Foreign Service Instituteのランクでは特筆すべき難言語として、標準中国語、広東語、韓国語、アラビア語、日本語の5つがあり、習得には平均2200時間の授業が必要で、スペイン語や仏語の3倍かかると書いています。これは日向さんが前に英語習得に必要な時間について2000-4000時間ぐらいとしてまとめた記事と矛盾しません。
日本が参考にすべきはむしろこれらの国での英語の習得状況であり、言語的に近いEUでの現象を引用しても仕方がないと思います。
これをもって時間がかかるから早くからという見方はありますが、明らかに最近の新入社員は日本語がおかしいので(社員の日本語教育を受け持つ教師派遣会社まで出現)、時間のかかる英語を取り入れると、日本語がしわ寄せを受けるのは当然で、日本語の方をまず何とかしてほしいです。こっちの方がもっと強い社会のニーズなんですが。
②現状の英語教育がひどすぎる。
ネットでもよく見かける話ですが、予習を強制して、授業で訳だけ答えさせるなど、英語の授業なのか日本語の授業(にも実はなっていないのですが)かわからない状況。つまり、教育そのものがおかしく、したがって、それをもとに対比すべき古典的学習になっていない。
最近は和訳先渡しとかあるいはSSS式多読を学校で取り入れるなど混乱して何でも手当たり次第という状況のようです。
まずは、古典的といわれる手法でも英語をそれなりに使えるようにまずは修正してからでもいいと思いますが。
③私の周囲の帰国子女
帰国子女が職場に何人かいます(全て有名難関大学)。彼らの数人に尋ねてわかったことは、時間が空きすぎてもう全く身についていないか、残っている者は、日本人とは思えない言動が目に付くことです。文化思想的には外国人(これも日向氏の日記に同内容の記事がありました)。しかも、英語が2つに分離しているんです。小さいときに吸収した英語はたしかに母語のように反応できるが、受験のような難しい英語には反応できなくて、それは通常の日本人と同じということでした。変な混乱はないが、別の言語のような感じがすると彼らはいいます。
残念ながら、もう絶版になってしまっていますが、小野博著『バイリンガルの科学』(いま、書庫の奥に入っていてどこにあるかみつかりません)という本にはいろいろ事例が載っています。アマゾンに書評があって少しは様子がわかります。日本語も怪しくなって、どちらの文化にも溶け込めずに苦しんでいく子供の姿が書かれています。言語とは文化だという好例がみてとれます。
杉田敏『英語の達人』では有名な各界で活躍している13人の英語習得の話があります。早期教育が重要で大成した人というのは特にありません(国弘正雄さんでも)。初等・中等教育は日本で受けていた人たちです。むしろ母語の運営能力の高さが際立っているとインタビュアーの杉田氏はその印象を語っています。
[返信]
①日本語と英語は質的に違いすぎて、EUの効果をそのまま適用するのは危険という点について:フィンランド、台湾、香港など、インド・ヨーロッパ語系外の国でも積極的に英語の早期教育を進めています。また知っている限り、旧仏領植民地だったアフリカ諸国では、子どもでもまがりなりにフランス語ができます。自国語と同様、一つの言葉である以上、外国語には早くから触れた方がいいというのは確固とした経験則だというのが私の理解です。
日本語がおかしいのは国語教育の問題であり、それを英語の話に持って行くのは筋違いだと感じます。個人的には、例えば、両者の敬意表現を比較したりして、英語との対比で日本語を運用するときのポイントを強調するやり方もあるわけで、英語教育を日本語教育に活かす道があるのかなと思っています。
なお、一般論ですが、日本語を特別視する人が多すぎます。日本語と英語とがそれほど違う言葉であり、学習が困難だとしたら、日本経済新聞を読み、社内でも日本語でやりとりしている外国人が急ピッチで増加の一途をたどっていること、日本在住の外国人子弟が日本語をマスターして、日本人と一緒に遊んでいる例がいくらでもあることをどう説明するのでしょう。必要性と学習意欲があれば、たかが言葉の一つや二つこなすのはなんでもないことのいい証拠です。
②現状の英語教育がひどすぎるという点について:同感ですが、実用レベルの英語を習得させるためには少しでも早くから英語に触れさせる必要があることとは別問題ではないでしょうか。
それより心配なのは、英語教育が語られるとき、通常何時間で習得できるものであり、語彙数と文法事項においてこれだけのものをそこでカバーしなければならないという「英語とはこういうものだ」という核心部分が曖昧なままであることです。中学での学習単語が900(必修は100)、高校でも最低1300(中学単語の900+新単語400)、最高2200という事実がこれを物語っています。
③ご自分の周囲の帰国子女について:帰国子女を早期外国語教育の産物と捉えられているようですが、もっぱら日本人学校に行っていたという具合に、各自の事情は千差万別であり、一律にこうだと言いにくいと思います。したがって、国内で公教育の一環として行われる、組織立った早期外国語教育の結果がどうなるかを占う参考にはならないと思います。
国内だけの教育、あるいはおとなになってからの学習で英語をものにしている人がおおぜいいるのは事実ですが、各自の努力で所定の時間数をかけ、所定の事項を習得した結果であり、驚くことではありません。
そもそも早期外国語教育の目的は、別段「英語ぺらぺら」を目ざす必要はなく、また、実際にもそんなことは期待できませんが、要は、前倒しで英語に触れさせ、その後の英語学習の基礎を早い時期に築きあげることだと承知しています。
水泳に例えれば、最初からプールを何往復もせよという話ではなく、少しでも早いうちから水に慣れさせ、そこそこでいいから、ともかく泳げるようにしておいた方が安心ということです。30になってからでも覚えられると先延ばしにしておいたりすると、20代で水難にあったら、アウトです。
事故は別として、外国のホテルのプールで、ご自分のお子さんが泳げないがために、楽しそうに遊んでいる外国人の子どもたちの輪に入れなかったら寂しいと思いますが、そういったこととも重なる話ではないでしょうか。
- 匿名
- 2006年8月31日 07:16
日向先生、こんにちは。
こちらのコメント欄に参りますと、わたくしのように日本語すら(英語ももちろん途上)危うくなっているものはたじたじとしてしまいます。が、いろいろと学ばせていただいております。
わたくしの娘の通うNYの学校は、Diversityに力を入れている学校ですので、人種に関してはまさにカラフルそのものです。
子供の学校で第二外国語を始めるのは5年生(ミドルスクール)からで、わたしは正直、どうしてもっと早く始めないんだろう、だからアメリカ人は外国語が下手なんだわ、と思っております。
一方、学校にはさまざまな人種の子供が通ってきていますが、その親たちの中でもインド人、そして1979年の革命時に国を出たイラン人などは、まさに幼少の頃から母国語の他に英語やフランス語を学校で学んでおり、本当に言葉に堪能です。
最近のインド人のテクノロジー分野、またはウォールストリートへのめざましい進出を考えると、幼少のみぎりから英語を学んだおかげで、英語でコミュニケーションをとり、ビジネスをすることがいかに楽々板についているかがわかります。
日本は、テクノロジー、教育すべての面で秀でていても、今後世界レベルで頭打ちになってくるとすれば、まさにビジネスの言語である英語が下手=コミュニケーションや交渉で自信が持てない=外交が下手とつながっていくからではないのでしょうか。
確かに何でも最初は問題が山積み。でもだからと言って完璧にできないから、始めないというのでは、理屈になっていないんじゃないかなぁ。まずは、始めて、それで問題はそのつど解決していく、そうしないと日本は沈没するんじゃ、という危惧感さえ、現在のNYの小・中・高教育(すばらしいの一言です、これから20年後のアメリカは手ごわいかも><)の現場を親として経験しているわたしは、しみじみと感じております。
乱筆大変に失礼いたします。
[返信]
よきにつけ悪しきにつけ世界の共通語は英語という中で安心していたイギリスやアメリカもようやく、これじゃイカンと思うようになっている時代ですから、おかしなものです。どの国も自国語プラスアルファを心がけているのは、多様な人々とつきあわざるを得ない現代社会では避けようもないと思います。ただ、アメリカの場合、diversityや少数派救済の見地からのaffirmative actionがある一方、その行き過ぎを是正しようという動きが拮抗しており、何だか大変だと感じます。
日本が頭打ちという点は、同感ですが、英語での情報に触れていないとこのあたりの切迫度がわからないわけで、それなのに、皮肉なことに、日本語が駄目になる、態勢が整っていない、既存の英語教育への反省を先にしろと早期外国語教育に反対する向きはそのあたりのバランス感覚が欠けています。自分たちは日本国ないし日本国民のことを考えてやっているのだという気概はあるのでしょうが、それがあらぬ方向に行ってしまっています。
NYの私立校の教育がすばらしいのは想像に難くありませんが、ご承知のとおり、恵まれた家庭の子女の方がSATの成績がいいことに通じており、格差社会の一面でもあります。わが国も、現象としては、東大入学者の過半が裕福な家庭という事実がありますが、アメリカの場合、教育の質がいいほど、古典的教養への傾斜が強く、 その延長線上でcritical thinking をたたきこまれるという点で、大きな違いがあり、心配というか、正直、くやしいようなうらやましいような複雑な気持ちになります。
- Rumi Common
- 2006年8月31日 00:39
こんにちわ。
私は小学校の英語教育導入に賛成派です。
小学校に英語教育が導入されるからって、それが学力低下の原因にはならないと思います。しいて言えば、英語教育が導入されるからこそ子供達の学習好奇心が上がり、「英語」という科目を通してまた新たな事を学ぶことができ、これによって学力向上に繋がるのではないかと考えています。
また、小学校に英語教育を導入するからこそ、これからは地方自治体が責任を持って小・中一貫した英語カリキュラムを作成し、中学校での英語学習、さらに将来に繋がるような小学校英語を行えばいいのではないかと思います。
世界中にたくさんある言語の中の一つである「英語」を勉強する目的なども教師、生徒、生徒の親共々再確認するべきではないでしょうか?
日本人の英語の先生の指導力不足が問題と言われ多くのALTの先生方が日本に来られて英語を教えられていますが、とりあえずALT、ALTといって無駄にお金をかけてALTが日本へ来る制度をもう少し制限して、日本人とALTとのteam-teachingのカリキュラムをもっとしっかりさせればいいと思います。日本人とALTには英語を教えるにあたってそれぞれ良い点、叉は悪い点があるでしょう。それらをお互いにうまく補っていけば、良いteachingができると思います。
日本人の先生も発音に自信がないと言ってるのは変だと思います。世界にはアメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア英語、中国人が話す英語、台湾人が話す英語、韓国人が話す英語、ロシア人が話す英語、フランス人が話す英語、日本人が話す英語など、様々な英語が存在します。「子供達に本場の英語を聞かせる!」と言ってアメリカ人の英語の学校に呼ぶ????????これっておかしなことだと思いませんか?
なので、日本人の英語の先生方には自信をもって日本語英語を子供達に教えてもらいたいです。
これによって、子供達も”英語で発言すという自信”がつくでしょう。アメリカ人の英語みたいに発音しないといけないことはないのですから(笑)。
要は、英語でコミュニケーションをとれればいいのですから。
そのため、小学校英語では、様々な国の文化、歴史、風習、言語を取り入れ、様々な国の英語を紹介していったらいいと思います。そうすれば、大人になって本当に英語を勉強したい!!って思った時にこういった基礎知識があれば英語という言語を話せるだけでなく様々な国の人々と”communication"がとれるようになると思います。
とても長くなってしまいました・・・。すみません。
[返信]
コメントありがとうございます。世界中で英語を使っている人が7億と言われるなか、そのうちの半分以上はノンネイティブですから、日本人英語もありかなとは思いますが、日本人英語の最大の問題点は、英語特有のリズムに乗っていないことであり、だから通じにくいのだと思います。AJA-KOさんのようなプロがそのあたりの是正に努めてくださることであろうと、期待しています。
- AJA-KO
- 2006年8月30日 18:49
こんにちは。初めてコメントいたします。
小学4年生と幼稚園児の子を持つ主婦ですが、世の中に、これほど小学生からの英語教育に反対する勢力があるとは、ちっとも存じませんでした。
母親としての率直な気持ちとしては、早く小学校から英語教育を導入してほしいと思います。多分、大方の子供を持つ保護者は、わたしと同じ意見なのではないでしょうか?
娘の通う小学校は、6年生からの導入ですが、それども、少し遅いかな?と思ったりします。
しかし、日本の現状としては、外国人が増えたと言っても、日常英語を使うことは、ほとんどないですし、あまり必要感はないのかもしれません。
でも、社会には、「英語なんて、専門じゃないのに…。専門はコンピュータなのに…」とか、「専門はサイエンスなのに…」とか、「義理の父親の事業を継ぐことになったばっかりに…」などと、ぼやきながら、英語に一杯の苦手意識を持ちながら、英語と格闘せざるをえない人たち(特にエリートというわけでもない、普通の人たちです)も本当に大勢いて、考えさせられます。
兎に角、英語でなくても、何語でも良いから、世界中の子供たちが同じように学習する言語が一つ決まっていたら、便利なのにな…と思ったりします。
あ、それから、この夏、来日中のフィンランドの大学生と話す機会があったのですが、彼らは英語がすごく上手だったので、わたしが、「英語とフィンランド語は親戚同士だから、日本人が英語勉強するより、簡単に覚えられでしょう」と言ったら、彼らは、「英語とフィンランド語は全然違う言語です!フィンランド語はむしろ日本語の方に近いくらいだ!」とムキになって反論されました。
考えてみると、日本語と中国語も、地域的にも近く、同じ漢字を使う言語ですが、日本人にとって、中国語は完璧に違う言語で、本当に習得の難しい言語ですものね。同じことなのかもしれません。
しかし、なら、なぜに彼らはあれほど上手に英語を話すのでしょう?ちなみに、ネイティブイングリッシュの講師から英語教わったことなどない、とも言っていました。ホントに、英語の苦手な日本人として不思議です。
色々言いましたが、結論として、わたしは、国際的な共通言語として、英語を選択し、小学生から学習することに賛成です。
それにわたしは、外国語の学習というのは、ピースフルなアクティビティの一種だと考えています。こどものオピニオンの形成にも有効なものです。
[返信]
こんにちは。今の時代、一般社員も知識がないと済まなくなっているのに、その知識の大部分が英語経由で入って来るものですから、英語の必要が増す一方です。おっしゃるとおり、ごく普通の人なのに、英語がわからないと苦労することが多くなっています(おもしろいことに教育関係者は英語を拒絶していても今のところ暮らしていけます)。日本語が公用語であるはずのお役所の文書にやたら英語を直訳しただけのカタカナ語が増えていることもこういった傾向のあらわれでしょう。
ところで、両親がスェーデンにいたので、隣国フィンランドの事情はある程度知っているのですが、言葉はおっしゃるとおり、スェーデン語がドイツ語や英語と同じインドヨーロッパ語系であるのに対して、ウラルアルタイ語系でまるで別物です。しかし、小学校から外国語教育をやっているわけで、それが利いているのでしょう。あと、フィンランドでは、教師の地位が高く、従って、優秀な学生がこぞってなろうとするのも、大きな要因なのでは。
- 匿名
- 2006年8月30日 08:54
日向先生
毎回楽しく拝見しております。
いつもはとても鋭く深く、かつ公平な物言いをなさる日向先生にしては、ひどく一方的なご意見なので、正直驚きました。以下、気になった点を幾つか述べさせて下さい。
>科学誌 Nature の2004年10月号で報告されていた「バイリンガル脳」の研究結果[...]
イタリー人の英語バイリンガルは、同系言語のバイリンガルであり、ちっとも威張れるものではありません。少なくとも、日本語とは全く系統の異なる英語を学ぶ日本人学習者と単純に比較しても殆ど無意味でしょう。この点は鳥飼・阿刀田高両氏が番組内で指摘済みの筈です。(その意味では、「日本語と朝鮮語のバイリンガル育成」が世の中や番組で話題になっているのなら、日向先生の比較の意図もまだ分かります。)
また、早期教育支持者が憧れる「きれいな発音」や「聴解力」といったものの指導が、いまの小学校教員から(数年の海外研修を経たとしても)果たして期待できるでしょうか。
仮に、「発音」だけが重要なのではない、「他国での文化も含めた経験」が必要なのだとおっしゃるのだとしたら、そしてそれが現行の小学校教員でもできるのだとしたら、この点は阿刀田氏がいみじくも指摘なさったように、滑稽な「矛盾」です。鳥越氏の海外研修の案に対し、その研修が有意義であると言うなら(つまり「小学校英語教育を受けていない世代」にそのことがいやしくも有意義であり得ると主張するなら)、正に「小学校英語」絶対必要論は崩れさる、と。
そもそも、バイリンガルに関する調査がどうであれ、「初等義務教育を受けるもの全員が巻き込まれてしまう結果になる今回のわが国のケース」は、もっとずっと慎重であるべきだと思います。早い話が、(あくまで仮定上の話として)日向先生ご自身がいま小学生だとして、来年度から、なんか知らないがお上のご意向でイタリー語(もしくは朝鮮語)が教科に取り入れられることになった、かてて加えて、点数までつけられて「能力」を評価されることになった、としたらどうどうお感じになるかということです。
>会社が明らかに必要としている設備、備品があるときに、予算がない、操作できる要員が足りないと言って、その購入を見送るでしょうか[...]
譬えとして、もっと適切なのは、「明らかに必要としている設備、備品」(中高でのコミュニケーション能力の育成)が予想を遥かに下回る形でしか機能しなかったにも関わらず、そのことに関して株主総会できちんとした説明を一切せず、それどころか会社の上層部は、これからのグローバル社会では「新たな設備、備品」(小学校英語)がなんとしても必要なのだと滔々と述べ、提案をゴリ押ししようとしている、という図式でしょうか。
鳥飼氏はあまりはっきりとおっしゃいませんでしたが、中高大の(コミュニケーション能力どころか)英語力そのものの低下は、目を覆うばかりどというのが現状です。心ある方々は、説明責任を果たさない連中に本当に「辟易としている」のです。仮に万が一今後小学校英語政策が失敗するようなことがあっても、連中はまたぞろ責任を一切取らないばかりか、今度は「幼児英語教育必要論」なるものを振りかざすのではないか(なにせ、The earlier, the better. を盲信する連中だから)、という暗澹たる危惧を抱いている、というのが実情です。
>わが国の英語教育の専門家について気になることがある[...]
反対派の大津 由紀雄氏、今西 典子氏、國弘 正雄氏、鳥飼 玖美子氏等々は少なくとも「英語教育が専門」でもないし「英語が実用レベルではないという人」どころか、「本当の意味での達人」ばかりですが...。他にも達人はいっぱいおいでですよ。翻って、小学校で英語を教えている、あるいはこれから教えようとする方々の「専門」と「実力」はどうなのでしょうか。
[返信]
立派なお話、ありがとうございます。なお「一方的なご意見」とある点、私の知る日本語では相手の言うことにかまわず自分の言いたいことだけを言うことだと承知しております。ここでは反対派の主張を紹介した上で、それに対するこちらの見方を述べているだけのことで、別段、勝手な演説をぶっているわけではありませんから、これをもって「一方的」とされるのは言葉の使い方が間違っています。
- Yosaku
- 2006年8月30日 00:54
日向先生
いつも楽しく読ませていただいております。
小さな子ども英会話学校を経営している者としてひとことコメントさせていただきます。
毎週毎週、教室に通う子どもたちを見ておりますと、その吸収力のすごさにいつも驚かされます。一週間に一度、一時間ほどでこれほど吸収するならばやればやるほど子どもたちは英語を耳から、また体から吸収し中学生になってから始めるよりもずっと上達が早いと感じております。ですから、小学校からの英語教育に大賛成のひとりであります。
シンガポールにも半年間暮らしましたが、独特なアクセントがありながらも子どもたちが十分英語を使いこなしていました。日本の英語教育もシンガポールなみになれば世界に通じていくだろうなと思います。たしかシンガポールは英語教育に力を入れ始めて20年ほどで英語が共通語になるようにしたのではなかったでしょうか。
日向先生のブログ楽しみにしております。今後もご活躍ください。
[返信]
コメントを見て、American Educational Research Association のニュースレター、Research Points (Spring 2006 Volume 4, Issue 1)で引用されていた、研究報告を思い出しました。ミニョスという研究者によると、A young child tends to absorb a language through massive amounts of input and exposure, while explicit learning, involving rules and systematic practice, plays an important role for adolescents and adults. なのだと言います。脳科学関係の資料を読むと、子供の脳は貪欲に同時に何カ国語でも吸収し、パンクすることがないという趣旨のことを言っていますが、その現場に立ち会い、吸収力のすごさに感心しながら、さらなる吸収を手伝えるのは、本当に人のため、国のためになることですね。うらやましい限りです。
- 匿名
- 2006年8月29日 16:36
こんにちは。
いつも楽しみに読ませていただいています。
以下の鳥飼玖美子さんの主張に対する反論で
>専門家たるもの、むしろ、そんな理由にならない理由を挙げて反対せず、限られた資源を使ってどこまでニーズを満たせるかに知恵を出すべきだと考えます。
とお書きになっていますが、鳥飼さんのこれまでの論考を見聞きする限りでは
「英語を使えるようになりたい(させたい)」という社会的なニーズを満たすためには、効果の不明瞭な小学校英語に限りある資源を費やすよりも中等教育に資源を集中投下したほうがよい。」
というのが専門家としての反対の論拠の一つであると思います。
その是非はどうか、あるいは番組内でそこまでちゃんと表現できていたのかは分かりかねますが・・・。
[返信]
番組内では、鳥飼さんは英語は中学校からでいいじゃないとおっしゃる阿刀田さんに加勢する形で、そうだそうだ的なことはおっしゃっていましたが、限られた資源を効果の不明瞭な小学校より中学校にという趣旨の発言はありませんでした(注意力のなさのゆえに聞き落としているかも知れませんが)。なお鳥飼さんが「効果の不明瞭な小学校」という認識をお持ちだとすれば、それは、中学校からでは遅い、小学校からの外国語教育の方が効果があがるとしているEU、あるいはイギリスやアメリカでの関係者の認識と相当ずれていることになり、それはそれで興味深いことだと思いました。
- 匿名
- 2006年8月28日 23:52
反対論は筋が通っていない、というのを仮に認めたとして、賛成論の方は筋が通っているとお考えですか?
あの程度の「ニーズ」なら、英語だけでなく、算数・国語・理科・歴史など(それから、道徳やら愛国心やらw)に対しても、英語と同等あるいはそれ以上の社会的ニーズがあると思いますが。
[返信]
筋が通っているという言い方をするのかどうか知りませんが、賛成論の言い分につき、私はなるほど、ごもっともと思っています。わかりやすいということです。また算数などについても英語と同等のニーズがあるというのはそのとおりだと思います。ただ、そのニーズに応える資源が有限である以上、次のステップとして、あちら立てればこちら立たずというトレードオフをどう考えるかが問題になるとは思います。
- 匿名
- 2006年8月28日 18:10

ご無沙汰してます。
安倍内閣で文部科学大臣になった伊吹氏が、「小学校での英語必修化は全く必要でない」と決め付けていることに大変驚いています。何の議論も無く、大臣1人で100年の計たる教育問題の方向性を決めて良いのでしょうか?
[返信]
朝日新聞によると、中教審が必修化を言おうが、その前に最低限の日本語が身についていない現状を改めてからだと頑張っているようですね。おっしゃるとおり、大臣ひとりでこんなこと決めていいのかと私も思います。