2006年9月 6日
達人への道は毎日4時間、10年間の長丁場
「達人への道」とでも言うべき The Road to Excellence という本(注)があります。編者はフロリダ州立大学の Ericsson 教授。チェスの名人、プロの音楽家、スポーツ選手などを研究対象にして、人はどうやったらその道の達人(以下「プロ」)になれるのか、それは才能によるのか練習の賜物なのかという問題を追究した本です。結論はうれしいことに、Practice makes perfect. つまり「練習によってこそものごとを極められる」というもの。したがって才能がなくても頑張れば達人と呼ばれるような人になれるのです。ただ、やみくもに練習すればいいというものではなく、やり方があります。また、本式のプロレベルまで目指すとなると、10年かかります。
注記: Ericsson, K. A. (Ed.). (1996). The road to excellence: The acquisition of expert performance in the arts and sciences, sports, and science. Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates. amazon.co.jpではコメントなしですが、amazon.comの方では激賞されています。
今回は、この本をもとに、英語を勉強する人あるいは教える人としては、どのように英語を練習していくべきなのかを考えてみたいと思います。
その前に、どうも日本語で言うプロと、英語で言うプロとはちょっと違う感じがあるので、その点に触れてから、本題に入ります。
★ プロとは何か
日本語では、よく「誰々さんは販売のプロだ」とか、「運転のプロ」といった言い方をしますが、ここからは、それで生計を立てていること、あるいは、腕がいいといったニュアンスが伝わってきます。この点、英語で言うプロにおいても、同じ感覚はあります。
例えば、ネット上、コンペなどの参加資格を決める必要からプロの定義なるものが出ていたりしますが、こんな感じです。
We define a professional wedding floral designer as one who specializes in weddings and devotes at least 90 percent of their business to the wedding industry.(プロのブライダル・フラワーデザイナーとは、結婚式関係の業務を専門としており、仕事の9割以上がブライダル産業関連である者を指すというのが私どもの定義です)
We define a professional artist as someone
• who has specialized training in his or her field,
• who is recognized by his or her peers
• who has a commitment to devoting more time to artistic activity, and
• who has a history of public presentation.(私どもが定義するプロのアーティストとは以下の要件を満たす者を言います:その分野に固有の訓練を受けていること、同業者から認められていること、アートに時間を割くとの決意をもって臨んでいること、そして、過去に公けの場での出演の機会を得ていること)
この他、プロ野球やフットボールなどのスポーツ選手なども、それでメシを食っているという意味でのプロに数えられます。
しかし、英語で言うプロはーー特にビジネスの世界ではーー単にそれで生計を立てているということに留まらず、高度の知的訓練を経ている専門家ということの方にウェイトがあります。例えば、Cambridge International Dictionary of English で professional の項を引くと、こう定義しています。
A professional is a person who has the type of job that needs a high level of education and training: It's the sort of ad that is intended to appeal to teachers, lawyers, doctors and other professionals.(プロフェッショナルとは、高度の教育と訓練を要する職業に就いている者を言う。(例)教師、弁護士、医師その他のプロに受けることをねらっているたぐいの広告だよ、あれは)
一方、英語では、高度の知識・技能を身につけている人のことを expert と言いますから、ここで言うprofessional と expert はほぼ同じものです。強いて言えば、前者が職業上、expert と言えるだけの知識・技能を身につけているのに対して、後者はアマチュア天文学者のように、高度の知識・技能を有するけれども、必ずしも、それをメシの種にしているわけではない点に違いを求めることができます。(したがって、professional expert という言い方は形容矛盾ではなく、実際にも amateur expert との対比で使われています)
それはともかく、英語で言う professional は、このように、「ラーメンを作って20年のプロ」とはおもむきが違っており、高度の知識・技能に裏打ちされた知的専門職を指すのが一般です。そして高度の専門職であるがゆえに、一般に他よりも収入がよく、社会的地位も高いわけで、これに応じて professional standard つまり専門家として当然守るべきオキテの遵守も強調されます。すなわち、一種、特権階級的待遇を受けられるのだから、責任も一段と重いとされ、特に conflict of interest (立場を利用して私益を追求すること)については、うるさく言われます。(ですから、いつぞやの 日銀総裁によるファンドへの出資や株式投資などは、とんでもないことです)
ちなみに、これまで英米のバンカー、弁護士、会計士あるいは金融のプロを見てきた限りでは、表面的なことも含めて、次のことが「プロらしさ」を醸し出しているように思えます。
男女とも服装・みだしなみにひどく気を使う。
この前、TVタックルという番組で、何を思ったのか政治評論家の三宅久之さんがエコノミストの森永卓郎さんのスーツを指差しながら、「あんたのような立場の人がそんなスーツを」とからかっていましたが、たしかに英米のプロ、例えばエコノミストがテレビに出演するときは、いいスーツを着ています。言葉として professional business attire (ビジネスのプロにふさわしい服装)というものがあること自体、象徴的です。ただ、同じプロでも職種ないし業種によカルチャーの差はあり、研究者や大学関係者、それにIT業界の人は服装に無頓着というか、服装になど気を使うほうが格好が悪いというスタイルを貫いており、対照的です。
細かいところまで神経をつかう
大事な場面では、秘書やアシスタントに頼らず、書類の内容はもとより、形式面まで細々とチェックする人が多いと言えます。徹底してこそプロなんだという気概が感じられます。知識がないせいでもあるのでしょうが、日本人のプロが書く英文には、カンマのすぐうしろやカッコの前後に半角スペースを入れず、字が詰まっていて見苦しい書面がよくあるのですが、ああいったものを見るにつけ、きっと相手はめざとく見つけているだろうにと心配になります。
多方面にわたってよく勉強している
これは外国の知識階級に共通していることだと思いますが、日本の専門家が自分の専門外のことをあまり知らないのに比べて、英米の専門家は実に幅広く勉強していて驚かされます。ノンジャンルで幅広く知識を求めること、あるいは、そういう人を英語で eclectic と言いますが、大体においてプロは博覧タイプの読書家だと言えそうです。日本人に会うということで予習するのか、あるいは単に知識をひけらかしたいのか、ともかく日本の文化や歴史の細かいことを聞いてきたりしますから、油断なりません。(こういった人たちとつきあいがあり、馬鹿にされたくないということであれば、George Sansom や Basil Hall Chamberlain らの日本物を読み、キーフレーズを暗記しておくことです)
プロならではの力量が歴然としている
書面にあらわれるプロたちの意見や提案はがっしりした構成の中にここぞというところで気の利いたフレーズやら単語がちりばめられ、訓練の成果を感じさせます。大学時代からべらぼうな分量の本を読み、幅広く勉強する習慣がついているからなのかなと思ってしまいます。ライティングのスタイルの違いという問題もあるのでしょうが、昔、日本企業と英米の企業の往復書簡的なものを訳していた時代、この差はどこから来るのだろうといつも感じていました。何であれ、このことにとどまらず、アマチュアとプロとの間では格段の差があります。
この点、わが国では、国民の教育程度が高いことを反映してか、会計士と互角に議論ができる経理担当社員がいたり、弁護士が教えを乞うようなパラリーガル(法律専門職)がいたりという具合に、形式上、資格があるかの違いだけで、実質的にはともにプロという世界があり、何とも不思議です。
★ キーワードは、deliberate practice
こうした高度の専門職としてのプロの域に達するにはどうしたらいいのかという問いに対して、上の The Road to Excellence は、練習あるのみと答えます。ただ、ポイントは、この場合、素振りを百回といった機械的練習を漫然とやったのでは駄目で、一定のやり方があるということです。
研究の結果わかったのは、「計画的練習」とでも訳すべき deliberate practice が鍵を握っているということです。単に反復練習するのではなく、次のステップにつなげることを念頭に、いわば一段上がるためには何をしたらいいのかという問題意識に立って、工夫をこらしながら練習することを指します。具体的には、
(1)具体的目標を立てること
(2)ただちにフィードバックが得られるようににすること
(3)結果だけでなく、その結果を生み出すテクニック、コツをも重視すること
という三つの要素で構成されています。
英語を勉強している人に当てはめた場合、一つの進め方として、こんな方法を取ることになります。(1)今回は、句動詞を勉強しようという具体的目標を立てる。(2)練習問題をやってただちに成果を確認する。(3)その際、buy out (共同事業のパートナーまたは株主からその持分を買い取って、みずからオーナーになること)という句動詞を buy off と間違ったのであれば、ここでの out が squeeze out 同様、「外に出す」という意味のものであることを確かめ、bail out も、「窮状に陥っているという場」から外に連れ出して助けることであり、やはり「外に出す」という意味が生きていることをおさえます。このように、日々の学習において、目標設定、即時のフィードバック、コツの確認という三点ワンセットの反復を心がけるのがポイントとなります。
おもしろいのは、目標設定に当たっては、簡単にできるものを課題にして練習しても意味が薄く、 appropriate difficulty (しかるべき難度)のものを課題として初めて実効があがるとされている点です。筋トレその他の運動と同じで、ある程度の負荷をかけないと意味がないのです。
ところで、普段、仕事で英語を使っているから、あるいは、英語を教えているから、それで練習しているも同然で、特別なことをしなくてもいいやと思う方もいらっしゃることでしょう。ところが、あいにく、この本は、練習と本番は別物であり、本番をもって練習に替えることはできないと指摘しています。本番は、練習段階で繰り返し試した動きを忠実に再現する場であり、したがって、It is difficult to engage in deliberate practice while at work. (仕事中に計画的練習をこなすのは難しい)とされているのです。
よく商社で何十年も英語を使って仕事をしているはずなのに、きちんとした英語を使えない人がいますが、ああいったケースを思い浮かべると、やはり英語は別途、計画的に練習しないと駄目なんだということがよくわかります。同じことは、学校の先生についても言えます。ふだん英語を教えているからと言って、それが自然と英語の練習になるものではないのです。ましてや授業研究や教授法の勉強は、英語そのものの練習ではありませんから、そういったもので英語に打ち込んでいるような錯覚に陥っていては、プロとしての技量が落ちるばかりです。
それでは、こうした deliberate practice をどのぐらい続けるとプロのレベルに達するのかと言うと、毎日4時間、10年間続ける必要があるというのが、達人レベルに達するまでの平均的プロセスです。もちろん、達人になったからと言って、その道で成功するとは限らないわけで、この本ではゴルフプロの例を引き合いに、腕だけではトップクラスのプロになれないよと釘を刺しています。
なお一芸に秀でるためには平均 10年かかるという 10-year rule は Ericsson たちが言い出したことではなく、前々から研究者の間で言われてきたことで、この本は改めてそれを実証した格好になっています。
一方、なぜ4時間かという点については、それ以上だと集中力が途切れて効果が薄くなるからだと説明されています。
毎日4時間の練習を10年間も続けるのは大変なことに決まっています。普通の人にとっては苦痛です。しかし、それを苦痛と思うことなく、黙々と続けられるからこそプロのレベルにまで達することができるわけですが、Ericssonらは、結局、才能のある人、自分の打ち込んでいることが好きな人だからこそ、苦痛に耐えられるのだと見ています。つまり、一芸に秀でるためには、才能ではなく、決め手となるが、そのレベルに達するまでやる気を支え続けるものとして才能も一定の役割を果たしていることになります。
★ さいごに
ちょっと高めの目標設定、練習直後のフィードバック、コツの確認という三点セットを毎日4時間、10年間続けるとプロの域に達することができます。約15,000時間です。アメリカのオリンピック委員会の資料では、一人前のアスリートになるには、(1日4時間ではなく)毎日3時間で10年かかり、時間数で言えば、およそ10,000時間だと言っていますが、いずれにしても、10年は必要だという立場です。
なお、もっとお急ぎの方は、4200時間コース(1日14時間、週6日、年50週)という選択もあります。いよいよ日本と開戦かという時期に米海軍が日本語の専門家を急いで養成するために設け、もっぱら会話文のパターンを朝から晩まで口頭で繰り返す軍事教練的授業を行ったのですが、卒業時に日本語の新聞を読め、捕虜を尋問できる程度の日常会話がこなせるようになったと言います。(サイデンステッカー、キーン、ライシャワーといった後々、日本語の大家として知られる人々を育てたのも、この米海軍日本語学校です)
この4200時間という数字は、ある外国語、特に自分たちの言葉とまるで構造の違う言葉を学習する上でのいい目安になると思います。なにしろ、あとにも先にも、こういった「人体実験」はこういった米軍の語学学校の例しかないのですから。(陸軍の短期集中コースについては、こちらの記事がまとまっていて便利です)
してみると、英語のプロと呼ばれるようになるためには、 ひとまず最低限度の単語数をおさえながら4000時間程度かけて、英語を習得した上、もう10,000時間かけて、徹底的に練習するという道筋を描けます。
こう見て来て気になるのは、英語のプロたるべき英語教師のうち、どれだけの人が15,000時間の deliberate practice を経ているだろうかという点です。思うに、前回の記事で取りあげたとおり、あれだけ教師の英語力に対する評価が低いことからすれば稀にしかいないと見るべきでしょう。そうだと言うのに、英語の先生が毎日何時間も英語の練習をしているといった話も聞きません。会議や勉強会で忙しいのでしょうが、それなら毎朝3時に起き、さらに通勤時間も利用するという具合に寸暇を惜しんで英語を勉強すべきでしょう。普通のサラリーマンでさえ、私の知っているエコノミストなどは、仕事のために英語が必要だというので、通勤の往復三時間、携帯プレーヤーで英語を聞きながらブツブツと繰り返し、英語を「取り込んで」いるぐらいです。このプロ意識の差、いや欠如が、高校の英語教師のTOEICスコアが平均で720、中学の英語教師が655という数字(数字の出所は「日本の論点2003」の中の千田潤一氏執筆部分)となって表れているのではないでしょうか。
追記: The Road to Excellence は入手困難になっているようですが、それを引き継いでいるのが、The Cambridge Handbook of Expertise And Expert Performance (Cambridge University Press) です。ただ、900ページもあって、値段も8,000円台とあって、ちょっと手が出ません。
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Comments
日向先生へ
本当に誰が悪いのでしょうね!
教育の専門家より、経団連の圧力の影響があるような気がします。
ゆとりの影響で授業時間時数が削減されましたよね?
中学校の教科書ですが、社会で80%、英語で60~70%の時数で終了する設定で編集されています。
東京書籍の中学校の教科書のケースです時数と教科書のカリキュラム編成について例をあげると、
歴史 週3 105時間→86時間で完了(総時数80%)
地理 週3 105時間→86時間で完了(総時数80%)
公民 週2強 85時間→66時間で完了(総時数80%)
英語 週3 105時間→60時間前後で完了(総時数60%)
中1 57時間
中2 64時間
中3 59時間→中1~中3まで180時間で教科書での指導終了
3年間で180時間さえあればいいというわけで、小規模・中規模の学校では、英語の教科担任は中3で半端は、免外で他教科の指導も珍しくありません。
理科を免許外でもったときには、共通一次で受験科目だった化学や地学は得意でしたが、物理や生物の指導は、生徒に毎回ごめんね!と心で合掌しながら、申し訳ない思いで授業をしていたものです。
小学校の先生も、英語を教えることに申し訳ないと思う人も多いのかもしれません。僕のように・・・自信のないまま教えることほど、罪悪感にかられることはない。
小1プロブレムといって、小学校の授業での授業妨害や教師への暴力がある場合は、民間の講師を導入するにせよ、民間の講師への暴力への想定があるなら、民間の講師の活用は控えざるを得ません。(その前に、民間の教材が幼すぎて高い。児童のプライドを傷つけるようなものばかりで、使えませんけんど・・・)
EUでは、一度薬剤師の免許をとると、どの国にいっても薬剤師免許で仕事ができます。その共通ツールとして国際化としての英語が必要で、ヨーロッパ言語ポートフォリオ評価(ELP)で、日本語と英語のELPの基準を学びに教え子が英国に留学していますが、その教え子から、海外に出てから日本の文化や歴史を問われて説明ができないというメールが届いたばかりでした。
日本の歴史も大切ですよね!
PS 鳥飼玖美子さんが、週2.5時間の中学校の英語の時間をなんとかしろという場面BSでこの前言ってましたが、中学校の教科書が3年間で180時間で指導完了できることを想定して作っているいる現状をご存じなんだろうと思います。
「中学校、絶対音読」といっても語彙数も950語未満で、内容が薄い教科書を読んで力がつくのか?もっと語彙数を増やしてもいいのにと、この場をかりて声を大にしていいたいです。
最後に、日向先生は、語彙や表現をどのくらい知っておくといいお考えですか?
[返信]
語彙については、ひとまず2000語を目標にすべきだと思います。バックナンバーのボキャブラリーを扱った記事で触れましたが、頻出最上位2000で話し言葉、書き言葉を通じて8割から9割カバーされることがわかっているからです。
- 白くまくん
- 2006年9月 9日 21:35
小学校で年間で4時間~10時間がほとんどですが、話せるのは、一日4時間の10年間ですか・・・そうだよなあ・・・そのぐらい勉強しないとなあ・・・
米国の小学校で日本の東京書籍の「算数」の英語訳版平成元年版で友人の子どもが使っていて、3割削減の現在の指導要領ではない!算数の時数も日本よりある。
国語も算数も英語も毎日各教科1時間、週5時間やるなら力がつくと思いますが・・・
総合学習の時間が郷土芸能ばっかりの地方の小中学校結構多いです。生活科の時間、散歩していた学校もあります。理科は理科、社会は社会と教科で小学一年からやればいいのに・・・
机の前に座って学ぶことがあまりにも少ない小学生。
系統たてて覚えたほうがいいのになあ・・・
高校の日本史Aは、日本の歴史の近代から(開国、明治維新)から簡単に教えるだけ・・・高卒で日本の歴史を知らないのも多い!
日本の歴史を伝える前に、あまりにもゆとりで削りすぎたことが問題のような気がします。
[返信]
日本の歴史の話はショッキングです。これで国際化がどうのと言う人の気が知れません。自分の国の歴史ぐらい知っているのが当然という前提で初めて、それを英語で言えるのかという「国際化」の問題が出て来るというのが私の認識でした。国際人がどうのということの前にまずは日本人としての教養が先決に決まっているのに、どういうことなのでしょう。誰が悪いんでしょう。
- 白くまくん
- 2006年9月 9日 17:12
プロフェッショナルは細部にも気を使うという点、賛成です。
他に服装などもそうですよね。私も通常はきちんとスーツで
行きます。
ところで英語教育学の専門家がネット上公開している論考のたぐいも、"References"の"s"が抜けていたり、括弧の後ろの一文字分の空欄がないなど、本当にこれでプロなのかなと思ってしまうが目につきます。
掲示板とかで仲間内のことを褒めちぎることだけでなく、
ご自身の英語も改善された方が宜しいのではないかなあと
思ったりしてしまいます。
- 高校英語教師
- 2006年9月 8日 23:38
今回も同感、同感の記事でした。特に英語の定義でのprofessionalの服装の配慮や詳細に気を使う点はご指摘の通りだと思います。個人的意見ですが、私の経験内で追加させていただくと①自分の仕事や発言に責任を負っているという意識が常にあり②先見の明があって賢く動いており③(人に頼らないで)自分の主軸を失わないで仕事ができ④自分の意見を端的・明確に説明することができ⑤アシスタントに敬意を示すことを怠らないで彼(女)らの効率的な使い方を心得ているのがprofessionalだと思いますね。
米国で働いているとprofessionalという言葉を頻繁に聞きます。上記を満たして自分に誇りを持って働いている人は、秘書であろうがエンジニアであろうが営業員であろうが庭師であろうがprofessionalと呼ばれています。(この部分、Cambridgeの定義とは必ずしも一致しませんが米国では昨今politically correctであることが重要視されていますからその辺りから広範囲に適用されてきているのかもしれません。)
[返信]
コメントありがとうございます。後段のPCゆえの拡大解釈という話、なるほど、そういうことだったのかと再認識させられました。誰しも a real pro と言われて悪い気はしませんものね。それで倍働いてくれれば安いものです。
- austin_texan
- 2006年9月 7日 12:39

ゆとりの教育世代で、共通一次が社会2科目から1科目になっらあたりから、高校で日本史を学ばないで卒業する学生も多いですよ。
現行の高校の学習指導要領では、世界史は必修で、日本史か地理から一科目を選べばいいシステムです。
国立大学でセンター試験受験が必要な理系ぐらいかな、必修で世界史Bをとるのは・・・
世界的視野の国際人のために世界史必修になりましたという説明を聞いたことがあったが、日本史は受験科目の負担から、理系クラスで地歴は、世界史Aの必修と地理Aを選択して、日本史は学ばない高校生がほとんどですよ!
ゆとり世代の理系の同僚で日本史を選択した人いませんからね!中学校レベルの日本史知識ですから(苦笑)
そんな人材が免外で歴史を教えていますから・・・
[返信]
ためいきが出ます。