2006年9月 1日
Critical Thinking の世界
前々から critical thinking (以下 CT )というものが気になっており、あれこれと資料を集めては時間を見つけて勉強しています。ここで言う critical は、Longman Dictionary of Contemporary English によれば、"making careful judgments about how good or bad something is" ですから、「慎重にことの是非を見きわめながら」考えること、それが critical thinking ということになります。これを会得すると頭のいい人になれるかも知れないと、あらぬ期待を抱いてしまう言葉です。実際、あさはかにも、そういう期待に突き動かされて勉強しているのですが、ともかく気になる分野です。
うまいものを食べるよう心がけていると、直感的に不味いものがわかり、近づかないようになるのとおなじで、馬鹿げた主張や議論を見分ける眼力がつくのではないかという思いもあります。あと何年生きられるかわからないというのに、自分でも何を言っているのかわかっていないような人の議論に巻き込まれて時間を無駄にし、気分の悪い思いをしたくないのです。
この CT 、頭がよくなるかはわかりませんが、世にまかり通っている屁理屈を見抜けるようになりますから、知っておいて損のない話だと思います。現に、Googleで「クリティカルシンキング」と入れて検索すれば、65,000件ほどヒットしますし、これがタイトルになっている書籍も30冊近く出ていますから、かなり浸透して来ているようです。
そこで今回は、この CT がどういうものであり、どういったことがらがそこで取りあげられているのかをいっしょに見ていこうと思います。
★ CT とは何か
文部科学省の言語力育成協力者会議がネット上、 「言語力の育成に関して予めいただいた意見(概要)」を公表していますが、その中の項目中、「言語に関して身に付けさせたい力」の一つとして、このクリティカルシンキングも入っており、そこでは、こう定義しています。
クリティカルシンキング、つまり自分の頭を通してものを言う、一度は疑ってみる、自分の体験と照らしてそれを追求するという態度を身に付けるべきである。早い段階から自分の頭を通して考えるという態度をすべての教科の中で意識的に取り組む必要がある。
一方、 CT の専門家に、「これはいいよ」と教わった、Alec Fisher の Critical Thinking: An Introduction (Cambridge University Press) を読むと、この分野で広く受入れられている "reasonable, reflective thinking that is focused on deciding what to believe or to do" つまり、ただ考えるのではなく、(1)理屈にかなっており、(2)ああも言える、こうも言えると考えをめぐらせた結果であり、(3)何を受入れ、あるいは、どう動くかを決めるための指針を求めてのものである、という3つの要素があるとする、Robert Ennis の定義が基本だとしています。その上で、同書は、 CT は、読み・書きの能力と同様、勉学能力の高低を左右するものであり、また、一つのスキルであるので、訓練次第で上手下手が左右されるとしています。
少なくとも上の(1)から(3)は、頭がいいとされている人の行動様式そのものであり、これを会得すれば「頭がよくなる」と期待がふくらみますし、後段は、練習すれば誰でも身につけられるのかと安心させてくれます。
★ CT の実践
CT 関係の本や資料は、その柱の一つが合理的推論であることから、ともすると、哲学書かと思うぐらい、やたらと弁証法の解説が多くて辟易させられますが、そうしたなかで、今のところ一番気に入っているのが、こうすると CT を実践できるよと説明している、 「堀江メールの問題に見る古典的詭弁」という記事でとりあげました)
ここでは、とりあえず、二、三、ご紹介するにとどめます。
Argumentum ad hominem
ラテン語で、「人に向けられた主張」ということであり、本来は、相手の言い分に対して反駁をくわえるべきなのに、言っている本人に矛先がむけられることを言います。
ビジネス英語雑記帳の記事を読んで、実際上、以下のようなことをご自分のブログで書いている英語の先生がいらっしゃると承知していますが、これなどは、いい例です。
「あんたは学校英語が実際的じゃないって言うけれどね、あんたは学校現場の実際を知らないでしょうが。偉そうなこと言っちゃ困るよ」
学校英語が実際的でないというビジネス英語雑記帳での主張に反駁をくわえているのではなく、実際的ではないと言っている書き手が批判の対象となってしまっています。
批判の対象が本来のものとすり替えられているという意味では、次の Straw Man's Fallacy と同じです。
Straw Man's Fallacy
以下のやり取りを見てください。
A: 押し入れの中、ちょっと整頓しない?何だか、乱雑じゃない。
B : どうしてまた。去年、一度やったじゃない。毎日、整理しなきゃいけないのかよ。
A: 誰も毎日やれなんて言っていないでしょ。がらくたをいつまでも取っておこうとするから、こうなるんじゃない。おかしいわよ。
これは Straw Man を解説しているウェブページに載っていた例ですが、いかにもありそうなやり取りなので、家庭の中であるか会社の中であるかを問わず、誰しも一度は経験しているのではないでしょうか。
相手の言い分をそのまま取りあげて反論するのではなく、「言い返しやすいバージョン」(= straw man)に変形してあります。相手の言い分がそのままだと対抗できないので、自分に都合良く加工するわけです。やはり straw man のことを説明している 別のウェブページは、As the "straw man" metaphor suggests, the counterfeit position attacked in a Straw Man argument is typically weaker than the opponent's actual position, just as a straw man is easier to defeat than a flesh-and-blood one. Of course, this is no accident, but is part of what makes the fallacy tempting to commit, especially to a desperate debater who is losing an argument.(「わら人形」という比喩からもうかがわれるとおり、本来の対象とすり替えられたうえで批判の対象となるものは、本来の対象と比べて弱いのが普通だ。わら人形の方が生身の人間よりやっつけやすいのと同じだ。当然と言えば当然で、こういうこともあって、ついすがってしまう論法であり、特に形勢が悪く、あせっている人がよりどころにするものだ)
これで思い出すのが、先日の小学校英語教育がらみのブログ記事にコメントを寄せてくださった方の論法。記事の中では、反対派が小学生に英語を教えられる教員がそろっていないなど、いわゆる条件整備がまだだから、時期尚早としている点を捉え、「会社が明らかに必要としている設備、備品があるときに、予算がない、操作できる要員が足りないと言って、その購入を見送るでしょうか。資源が限られているのはこの世の常ですから、専門家たるもの、むしろ、そんな理由にならない理由を挙げて反対せず、限られた資源を使ってどこまでニーズを満たせるかに知恵を出すべきだと考えます」と述べました。
コメントした方は、「会社が明らかに必要としている設備、備品があるときに、予算がない、操作できる要員が足りないと言って、その購入を見送るでしょうか」という部分を取り出して、以下のように加工しています。
譬えとして、もっと適切なのは、「明らかに必要としている設備、備品」(中高でのコミュニケーション能力の育成)が予想を遥かに下回る形でしか機能しなかったにも関わらず、そのことに関して株主総会できちんとした説明を一切せず、それどころか会社の上層部は、これからのグローバル社会では「新たな設備、備品」(小学校英語)がなんとしても必要なのだと滔々と述べ、提案をゴリ押ししようとしている、という図式でしょうか。
会社が「明らかに必要としている設備、備品」と「予想を遥かに下回る形でしか機能しない設備、備品」とでは大違いです。この点に注意を払っていないと、一瞬、そりゃそうかも知れないと思ってしまうわけで、ぼーっと聞いていたりしたら折伏されてしまいます。こういう論法に接するにつけ、ああ、 CT を勉強しておいてよかったと思います。
Denying the antecedent
これは Nigel Warburton の Thinking from A to Z (Routledge) にのっている例です。
If the share prices rise, then you'll get rich.(株価が上昇すれば、金持ちになる)
↓
The share prices haven't risen.(株価が上昇していない)
↓
So you won't get rich.(したがって金持ちにならない)
株式投資以外の方法によっても金持ちになる道がある以上、株価が上昇しないからと言って必ずしも金持ちにならないというわけではありませんから、これは駄目論法ということになります。一つの結果をもたらす手段が複数ある場合、なるほど、その手段の一つだけを取りあげて、AならBだとは言えますが、他にもBという結果に至る手段がある以上、Aが否定されたからと言って、Bまで否定できるものではないということです。
臨界期までに英語をやらないと間に合わない、だから早期英語教育が必要だという前提からスタートして、臨界期なるものが否定される以上、早期英語教育は無用だという論法に通じるものがあります。
こういったものを全部会得しないと CT を実践できないかと言うと、そこまでやる必要はないように思えますが、どれを見ても、なるほど、こういうインチキ論法はあるよなと感じるわけで、この分野の歴史の重みが伝わってきます。
他の典型例を知りたい方は、Googleで、"list of fallacies" と入れれば、ずらりと並びます。 changingminds.orgのリストなどは、具体例もはいっていて、わかりやすいと思いました。
★ さいごに
こういった CT は是非学校教育でも取り入れたらいいと思います。聞いた話では、どこかの有名大学が HOTS という名のプログラムをスタートさせたと言いますから、教育関係者も意識していることなのでしょう。
ただ、ちょっと気になるのは、こういった論理的な思考力が知識ないし基礎的な事実認識に取って代わるものであるかのように論じる人がいることです。日本の学校で英語を教えている、中途半端なアメリカ人のインテリなどに見られる傾向ですが、日本風の知識偏重教育と比べて、なんとアメリカの教育、つまりクリエイティビティーだの CT を重視する教育のすばらしいことよ、とのたもう人々がいたりするのです。
しかし、あのビル・ゲイツは、暗記ではなく、クリエイティブティーを重視するアメリカ式教育の利点とされるものにつきコメントを求められたのに対して、中国や日本のように暗記を重視する教育ではアメリカに対抗できるようなイノベーターを生み出せないとする見方をあっさり退け、「かけ算のできないソフト開発者がいたら会ってみたいものです。世界一クリエイティブなゲームを生み出しているのは日本ですよ。現にうちでも最高レベルのソフト開発者の何人かは日本人です。画期的なものを生み出そうという場合、ものには順序があることを忘れちゃいけません」と言っているぐらいです。(Thomas Friedman の The World is Flat に載っている話です)
結局、 critical thinking もいいけれど、その前提として一定の知識の蓄積は必要なのであり、知識を学んだ上で思索を深めよという勉強のあり方は、Learning without thinking is labor lost; thinking without learning is perilous. (学びて思わざれば則ちくらし、思いて学ばざれば則ちあやうし)と、2500年前に孔子が説いて以来、何一つ変わっていないと言えそうです。
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Comments
CTってどうなんでしょう・・。
「明らかに必要としている設備、備品」の話に関して言えば、
「譬えとして、もっと適切なのは、」とあります。これは言い換えれば「先生のお話を、これから加工しますが、」ってことですね。
先生の主張は、「加工しますよ」って言ってる相手に対して、
「おまえ、加工してるじゃないか」とつっこんでるということになると思います。それが適切な譬えかどうかは、もちろん別問題にしても。
ルールの3:都合のいい「言葉」だけを取りあげ、都合の悪い
「言葉」を無視するな。
ってところでしょうか・・。
小学生の設備・備品に対して中高年のをれを出すことは、「わら人形化」するというより比較対象を持ち出したという感があります。
[返信]
コメントありがとうございます。そういう見方もできるんだと勉強になりました。
- 匿名
- 2006年9月 8日 19:06
はじめまして。私は高校生の娘を育てている専業主婦です。だんだん理屈っぽくなってきた娘やダンナとの会話のなかで、私自身、自分の論理が何かヘンだと思う展開をしてしまうことがあったのですが、どこがおかしいのかが明確にわかりませんでした。が、このコラムを読ませていただいて、問題点がクリアになりました。身に覚えがあるのは、立証責任の押し付けと批判対象のすり替えです。私も学生時代にCTに関する教育を受けたかったと思います。そうであれば、私の不毛な議論にダンナや娘が巻き込まれる危険性も低くなり、家庭内の治安維持にかなり貢献したことでしょう。
[返信]
おっしゃることよくわかります。私も CT を勉強するようになってから、ああそうだったのかと思うことが多々あります。いくつになっても、こういう「そうだったのか」とひらめく瞬間はいいものです。さらなる前進のための自学自習ということなら、朝日新聞から出ている「論理で人をだます方法」などいいと思います。きわめつきは、筑摩書房から出ている「ウンコな議論」です。ご健闘を祈ります。
- 匿名
- 2006年9月 5日 10:58
「『会社が明らかに必要としている設備、備品があるときに、予算がない、操作できる要員が足りないと言って、その購入を見送る』のはおかしい」という主張を否定する気も、(ワラ人形を使って)否定したようにと思い込ませる気もないんだと思います。
日向先生の、
「状況が、『会社が明らかに必要としている設備、備品があるときに、予算がない、操作できる要員が足りないと言って、その購入を見送る』ことに喩えられる」
という前提に対して、異論があるということだと思います。
「CT を勉強しておいてよかった」と思ってる人でも、ぜんぜん使いこなせない、ということはままあると思いますが、そもそもCTというモノがマヤカシ(正にbuzzwordで、あったり前のことを、いかにももっともらしく言ってるに過ぎない)ではないかと思ったりもします。
[返信]
誰しも異論があるからこそ相手と違う結論が導かれる前提を打ち出そうとするものです。しかし、異論があるからという動機の問題と理屈として筋が通っているか否かは次元を異にする問題だというのが私の理解です。そもそも相手が否定する気があるとか、詭弁を弄しようという気があるかなどはうかがい知ることができないことであり、文面に表れていない以上、論評の限りではありません。
CT は、ソクラテス以来のevaluative thinking/analytical thinking の言い換えであり、その意味で、今さら何をという感じを持つ人が多いのも事実です。ただ、一つの独自の領域として取りあげられるようになるに従い、その内容が固まって来ており、どういうものを指して CT と言うのかにつき共通の認識が深まっていることも事実です。Googleで、site:eduまたはsite:ac.uk と絞りをかけてから、"critical thinking is essential" というフレーズで検索した上、ヒットする資料をお読みになるとわかりますが、こういった流れがあるからこそ、 CT もacademic skillの一つに数えられるようになってきているのだと承知しています。もちろん、こういったことをご存じであろう conde さんのような方でも、buzzword でしかないと判断する例があるわけですが、これはこれで、「思想の自由市場」が重要だという私の立場からすると、結構なことです。
- conde
- 2006年9月 5日 02:05

私の説明が下手くそで、上手く伝わらなかったようで、恐縮です。自分の文章力のなさにほとほと呆れます。
記事の本文で、あのコメントを「ワラ人形」であると捉えているのは間違ってますよ、と言いたかっただけなのです。つまり、↑(9月8日付)のコメントと同様の趣旨です。
↑(9月8日付)のコメントにある、
> 先生の主張は、「加工しますよ」って言ってる相手に対して、
> 「おまえ、加工してるじゃないか」とつっこんでるということになると思います。
(略)
> 小学生の設備・備品に対して中高年のをれを出すことは、「わら人形化」するというより比較対象を持ち出したという感があります。
は、そういう見方もできるんだと、私も思います。でも、あれが「ワラ人形」であるという見方はできないんだと(少なくとも、記事の本文にある「ワラ人形」の説明によるならば)思っています。それはこの方も同様のはずです。
でも、この方も私も、記事の本文について誤解しているだけかも知れませんので、よろしければ、日向先生があのコメントを「ワラ人形」であると判断した根拠(「明らかに必要としている設備、備品」と「予想を遥かに下回る形でしか機能しない設備、備品」とでは大違いである、ってことから、なぜあれが「ワラ人形」だと言えるのか)について、記事の本文への補足として、ご説明いただけないでしょうか?
[返信]
「明らかに必要な備品」の例は、本文の論旨を補強するための例として持ち出されているものですが、このように相手が自分の主張を裏づけるために持ち出している例に焦点を合わせて、その例じたい適切でないと批判するのも creating a straw man に当たります(おおきな意味では、議論をあらぬ方向に持って行く red herring と称されるアプローチの亜種です)。この手の駄目論法の本質は、相手の論旨の本筋とは違う方向に議論を持っていくことに求められるわけで、いくら「加工しますよ」と断りを入れても、この本質が変わるものではありません。ちなみに、R. Gula のNon-sense: A Handbook of Logical Fallacies は、You can create a straw man by attacking an example.と明言しています。なおこの問題はこれにて打ち切らせていただきますので悪しからずご了承ください。