2006年9月30日
アメリカの心変わり:先発明主義から先願主義への転向
特許の世界では、アメリカの心変わりが話題になっています。2006年9月29日付朝日新聞によると、このたび、40カ国の特許関係者が先に出願した者に特許権を与える「先願主義」による統一した新条約を作ることで合意し、これに伴い、これまで世界でただ一国、先に発明した者を優先する「先発明主義」(せんはつめいしゅぎ)を取っていたアメリカがこれを放棄することになったとあります。
ある時期までは、世界でも先発明主義にこだわっていたのは、アメリカとフィリピンぐらいでしたが、フィリピンが10年ぐらい前に大勢にしたがって先願主義に移行したあとは、たった一人、アメリカだけが頑張り続けたといういきさつがあるのです。
アメリカの場合、何と言っても世界一の経済大国とあって、日本やヨーロッパで発明したような人もやはりアメリカで出願しておいた方が安心だし、ビジネスに有利という感覚があり、おかげで、日本の場合、特許の出願は自国民が9割以上を占めているのに、アメリカは外国人による出願が半分近くを占めているわけで、それだけに、アメリカ独特の特許出願は影響が大きく、かねてから、もめ事の種となってきました。実際、上の朝日の記事も、「特許登録は出願者が最寄り国で行うが、伝統的に先願主義をとってきた日欧に対し、米国は先に発明した人の独創性を重視し、先発明主義を貫いてきた。このため、日欧との紛争が絶えなかった」としています。
きょうは、先発明主義と先願主義とがどう違うのかを見てから、その違いのゆえに、化学品メーカー のモンテジソンとやはり化学品メーカーのフィリップスとの間でポリプロピレンの特許が争われ、米最高裁にまで持ち込まれた、ビジネス界で有名な大げんかをとりあげます。
★ 先発明主義と先願主義のメリットとデメリット
世の中、似たような発明はあるわけで、そういった場合に、どちらに対して特許権を認めるべきかという問題になりますが、先発明主義 (first to invent system)は、先に手続をした者より実際に発明した者を優先します。その理由としてよく持ち出されるのは、特許庁へのレースに勝った者より、発明へのレースを勝った者を保護すべきだという考え方です。そして、アメリカの憲法みずから、発明者の独創性に報いようという姿勢を見せているといったことまで持ち出されます。なるほど一理あるかなと思います。
しかし、このやり方のデメリットは、自分がいつ発明したかを確認できる資料をきちんとそろえておく必要があることです。素朴なモノならともかく、複雑なプロセスが関わる化学製品などだと、一体どの時点で発明があったと言えるかを確定するだけでも大仕事になります。要するに手間ひまがかかります。特にアメリカの場合、同種の発明がある場合に、そのどちらが先かを認定するため、インターフィアレンス (interference) という独特の制度が用意されているので、なおのこと、こういったコストが積み重なるおそれも大きいという事情があります。
加えて、(これは米企業サイドのセンスの問題ではありますが)、先発明主義だからと安心していると、あとになってから先願主義を取っている外国で出願した場合、既に同種の発明につき、別の企業が特許を取得しており、競争に負けてしまうことにもなります。
一方、先願主義 (first to file system) のメリットは、処理が簡単であることです。いちいち誰が本当の発明者かを認定するような手続を省いて、ともかく最初に出願した者が特許権者です。法律家が言う静的安全の保護に傾いているのが先発明主義だとすれば、先願主義は動的安全すなわち取引の安全を優先している制度だと言えます。当然、大企業は、こういった先願主義を支持しています。
ところで、世の中がすべてどちらかに統一されていればいいのですが、そうではなく、ひとりアメリカだけが先発明主義を取っていたりすると、先願主義に基づいて確定していたはずの特許がアメリカでひっくり返されるという、とんでもないことにもなります。権利者が変わるということは、従前から権利者とされていた者からライセンス(特許の場合、「実施許諾」という言い方をします)を受けてその発明を利用していた者が迷惑します。例えば、特許権が存続している間、ロイヤルティー(特許の実施許諾料)を払い続けながら自社の業務に利用し、特許権が切れたということで、これからは自由に喜んでいたのもつかのま、今度は別の権利者が現れ、そちらに新たにロイヤルティーを払うといった、まさに泣きっ面に蜂のような話にもなります。それが現実のものとなったのが、次のポリプロピレン訴訟です。
★ ポリプロピレン訴訟
ポリプロピレン (polypropylene) というのは、安くて軽量、しかも加工しやすいということで、自動車部品,家庭電化製品,食品包装フィルムなどに使われる合成樹脂ですが、元々は、イタリーのモンテジソンがアメリカで特許を取得していたものにつき、あとになってからフィリップスという別の会社が自分たちこそポリプロピレンの発明者と名乗り出て、最高裁まで争い、勝ってしまいました。
判決が確定したのは、1980年代の初頭ですが、このせいで、ポリプロピレンは日本やヨーロッパでは既に特許切れとなっていたはずなのに、ポリプロピレンを使いたい企業は新たな権利者として登場した フィリップス にロイヤルティーを払わねば成らないという羽目に陥ったのです。
ざっと調べた限り、この紛争について一番詳しく書かれているのは、Invention and Technology Magazine Spring/Summer 1990 Volume 6, Issue 1という専門誌に掲載された A MOST INVENTED INVENTION by David B. Siciliaという記事です。そこで、この記事を元に、紛争のあらましをご紹介しましょう。
きっかけは、1958年に米国特許庁が類似している発明を巡って5名の出願者間に紛争があると認め、上記のインターフィアランス(先発明認定手続)を開始すると宣言したことです。
これの決着を見たのが、何と、1971年。当事者から集まった記録は18,000ページにのぼったそうです。紙の質にもよりますが、机の上に積んだら1メーター近くにはなるのではないでしょうか。ともかく、そうやって手間ひまかけて上ようやく出た特許庁の裁定は、真の発明者はモンテジソン社というものでした。
これを不服として他の当事者は、デラウェア連邦地裁の判断をあおぎます。そしてここでも、また15,000ページあまりの書類と数千もの証拠が提出された挙げ句、裁判所は、特許庁の裁定をくつがえし、真の発明者はフィリップスと認めます。1980年のことです。
ここでおもしろいのは判事の200ページにのぼる決定書の中身です。そもそも、このように誰が先に発明したかが争われる場合は、案出したこと (conception) ならびに発明の実施化つまり発明がものの役に立つようにすること (reduction to practice) が相手より先なら勝ちというのが原則ですが、この点、決定書は、まずフィリップスが1951年10月9日から1952年4月16日にかけて、少なくとも4回はポリプロピレンを作った、すなわち発明したと認定しています。詳細な記録がものを言ったことがわかります。次いで、1953年1月27日に特許の出願をしたことをもって、フィリップスは、素材を発見し、実際的な有用性を見い出し、かつ、特許出願において的確にその内容を描いており、したがって、解釈上、発明の実施化 (constructive reduction to practice) ありと認定できると判示したのです。
ところが、ここでも他の当事者(デュポン、スタンダード、モンテジソン)はおさまらず、連邦高等裁判所 (federal appeals court) に控訴しますが、高裁は原審の判断を支持します。そこで、連邦最高裁 (United States Supreme Court) に上告しますが、最高裁は、ことは事実認定の問題であるのにそれは結論が出ており、法律上の争点はないと判断したと見え、最初から審判を拒否しました (refused to hear the case)。却下されたしまったのです。こうして決着したのが、1983年。発明してから30年の歳月が流れたことになります。
そして、当初、発明者は、モンテジソンとされていたのに、新たにフィリップスが発明者と確定されたため、ポリプロピレンのユーザーは、新たな権利者へのロイヤルティーの支払を余儀なくされます。講壇事例としては、先発明主義により権利関係がひっくりかえった格好の事例としておもしろいケースではありますが、実社会での取引の安全という見地からすればまさに悪夢です。
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Comments
アメリカの"世界の孤児状態"の一つ、「先発明主義」が解決されるようですね。あとはもう一つの「ヤード・ポンド法」はなんとかならないのでしょうか。
[返信]
先発明主義に関してはマイクロソフトを初めとする大企業が何とかしろと騒いでいたのに対して、ヤード・ポンドに関しては何かそういった圧力と言うのか、追い風が感じられません。どうなのでしょう。
- konitanblog
- 2006年9月30日 10:29

お久しぶりです、先生。特許の世界に踏み込んだとたんに、米国の先願主義への移行のニュースが飛び込んできて、新聞をつぶさに読みました。
18,000ページと15,000ページの記録とは、膨大ですね。モンテジソン社はイタリアの企業ということですから、中間処理で費やす翻訳時間・費用を想像すると、目が飛び出ます。あぁ、それと担当者方々のご苦労も。いつか自分が進むかもしれない道かと思うと、身につまされます。
[返信]
おお、特許の世界にいらっしゃるんですか。特許庁自体、審査開始までの時間を短縮せにゃとか、処理案件を増やすとか、尻に火がついているぐらいですから、業界全体も大変なんでしょうね。お察しもうしあげます。