2007年12月27日
CEFR(ヨーロッパ共通参照枠)とは何か
前回、実社会ないし国際ビジネスで必要とされる英語力はCEFRで言えばC1レベルだと申し上げましたが、どうもこのCEFRというのが一般にはあまり知られていないというのが私の印象です。世界最大の経済圏である EUが域内での外国語学習や能力判定に関してはこのCEFRを基準にすると決めているのにです。加えて、どうかすると、この共通基盤の一部でしかない能力判定のための6レベル(初級・中級・上級に相当するA、B、Cが各々2レベルに分けられている6段階評価)ばかりが独り歩きし、引き合いに出されている感じもあります。そこで、自分のためのメモという趣旨を含めて、そもそもCEFRとは何ぞやということをまとめてみました。
本題に入る前に、ここでCEFRがどの程度普及し、その存在感を高めているかを見ておきますと、まず、フランスでは,2003年度より,高校で教えられている英語,ドイツ語、アラビア語、中国語等の9言語につきCEFRに準拠すべきことが決められています。また、ヨーロッパの主要国は、長期滞在ビザの申請者に対して自国語を話す能力を要求する場合に、ドイツはB1以上、フランスはA1.1以上という具合にCEFRを基準にしています。一方、フランスやドイツは既に外国語としてフランス語やドイツ語を学ぶ人のために、CEFRの言語モデルを土台に、フランス語やドイツ語がどのようなものであるかを示し、それを学んだと言えるためにはどれだけのことをクリアすべきかという一種の仕様書を発表しています。わが国も海外での日本語普及を図るべく、日本語スタンダードという構想を既に打ち出しています。この点、英語が出遅れていますが、現在、ケンブリッジ大学を中心に、English Profile を取りまとめる作業が進められています。このようにCEFRは、世界最大の経済圏であるEUにおいて言語運用能力の共通規格として通用しているわけで、もはや知らないでは済まない話になっています。
★ CEFRとは何か、それは何のためのものか
CEFRとは、Common European Framework of Reference for Languages の略で、日本語では、「ヨーロッパ共通参照枠」という名前が定訳となりつつあるようです。正式には、Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment という名称であり、Learning, teaching, assessment の部分に示されているとおり、言語の学習・教育・能力評価というものを考えるに当っての基本的枠組みを提供しようというものです。「枠組み」ということの意味は、新たなシラバスやカリキュラムを押し付けようというのでなく、言語教育に携わっている人々に、
√ そもそも人は話したり書いたりする際、具体的にはどういう言語行為をしているのだろうか
√ そのような言語行為を可能にしているのは何だろうか
√ 新たな言語を習得しようという場合、こういったことをどの程度おさえておく必要があるのだろうか
√ ゼロからスタートして習得するまでのプロセス上、中間的な到達目標をどう設定し、進捗をどうチェックしていくべきなのだろうか
√ そもそも言語を学習するプロセスはどうなっているのだろうか
√ 効率のいい言語教育を進め、学習者の役に立つためには何をすべきなのか
といった諸点を改めて考えてもらい、共通の理解を図りたいということです。要するに人は言葉を使って何をしているのか、何ができるのかというスタンスに立って、学習者のコミュニケーション能力を評価するためのガイドラインを描いているのです。本来は、欧州評議会加盟国の教育当局や言語教育の専門家を念頭に置いているものの、われわれのような一般の学習者にとっても、おおいに役立つ勉強のヒントが得られる重要な資料です。
上で説明した問題について域内の関係者間で共通の理解が成立すれば、第一に、域内の言語学習プログラムの基本的目標、履修方法や能力評価の基準がバラバラにならず、域内での専門家どうしの協力が楽になります。域内である出版社が「英語は耳だ!」的な教材を作る一方で、別の国の出版社が「英語は舌だ!」という教材を作っているようでは、域内全域での効果的言語学習を進める上で好ましくありません。別の国での「中級ドイツ語コース」「英語検定1級コース」がどういうものであるかを他国の人も容易にわかる形にし、互いの制度の「透明性」を高めようということです。第二に、加盟国どうし、相手国で実施された語学検定をそのまま受け入れることができるようになります。域内での労働力の自由な移動が強調されている時代に、デンマークで英語の中級と認められた人がフランスでの英語の中級とまるでレベルが違うというのでは、雇う側が困るからです。
ところで CEFRが打ち出している言語学習のあり方においては、自律学習 (autonomous learning) が前面に出ていることが目を引きます。教師が一方的に知識を伝授するスタイルから、教師の助言を受けながら、学習者本人が推進役になって学習効果をあげようというスタイルへの転換です。ともすると、外国語教育の話になると小中高大と、20年に満たない期間の言語学習ばかりが論じられますが、実際には、大学を卒業後、その倍以上の期間、社会の変化に合わせてknow-how的スキルを含め必要な知識が何かを自力で見極めた上、Plan, Do, See を進めていく能力が時代の要請になっているからです。特に全世界の情報量が70日置きに倍増しているとされる時代ですから、情報の洪水の中で取捨選択し、必要なものを自分の知識として取り込み、行動していける力が求められているのです。同時に、語学を通じて自分の責任でものごとを進められる人間を養成していくことは、多様な価値観の併存を認めている(したがって元々有権者がバラバラに行動し、不安定になりがちな)民主主義社会において、他に惑わされることなく、自分の責任で投票できる人間を育てることでもあります。(この関係で、欧州評議会の文書には語学の話なのにしばしば social skills というものが出てきます)。
以上を要するに、CEFRは、加盟国が教育政策やカリキュラムを策定し、言語の学習・教育プログラムを実施し、さらには到達度を評価するに当って互いに協力していく上で必要となる共通の枠組みを提供しようということです。こういった背景があることに鑑み、レベル分けないし能力判定といったことだけでは不十分だという認識から、提示されている枠組みないしモデルも、社会と言語との関係といった言語観や効果的学習方法にまで踏み込んだ包括的なものとなっており、また、多数の利害関係国があることから、外部から見た場合でも容易に把握できるようになっています。加えて、当たり前のことですが、モデル全体にわたっての整合性も確保されています。
★ CEFRの生い立ち
CEFRは、前項で説明した狙いに基づき、人権、民主主義、法治主義、多様性を認めながらのヨーロッパ文化・言語をテーマに欧州域内の協調を図っている欧州評議会 (Council of Europe) が1970年代から専門家に委託して開発してきたものです。おのずと、加盟国どうしのコミュニケーションに支障があるようでは、こういった政治的、文化的、教育的目標に向けての協力もうまく行くはずがないという問題意識が芽生え、そこから、そもそも言語を学習する人のニーズはどうなっているのか、そのニーズを満たすため言語活動はどうあるべきかの研究が始まり、一つの答が出されたのが 1990 年に発表された Threshold というモデルで、これが後に CEFR のB2、B1になります。
Threshold というのは内と外とを隔てている敷居ということであり、外国語の世界に足を一歩踏み出し、何とかやっていくためにはどの程度の力が必要なのかをいわばそのレベルの言語運用能力の仕様という形で示しています。その人の言葉で外国人とやりとりする場合、自分のコミュニケーション能力を発揮すべくどういった言語活動をするものなのか、つまり、言葉を使ってどういうことが行われるものなのか(挨拶、議論など)、どういった概念(時間の経過、空間の位置関係など)を言い表す必要があるのかを分析した上で、こういったニーズを満たすために使われる類型的表現を(ここでは that 節を使うパターンという形で)構文上のポイントを織り込みながら、列挙し、さらには基本的文法事項や単語の用法まで盛り込んでいます。
この Threshold を読むと英語がどういう姿をしており、実際に使うときは、どういう形式になるのかがよくわかる上、何よりも、ひとまず外国語でのコミュニケーションをこなすにはどの程度のことができなければならないのかを示しており、ものの役に立つ英語の最低ラインをも示しています。(なお、Threshold の邦訳が米山朝二・松沢伸二訳『新しい英語教育への指針:中級学習者<指導要領>』(大修館書店)というタイトルで出ています)
対照的にわが国の場合、英語を含む外国語学習のための学習指導要領(高校)を読んでも、英語の姿を捉えようという試みはありませんし、姿がわかっていない以上、それを自分のものにする手だてもあるはずがなく、外国語学習の目標は「外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,情報や相手の意向などを理解したり自分の考えなどを表現したりする実践的コミュニケーション能力を養う」とあるだけです。そもそも「実践的コミュニケーション能力」がどういうものであるかの説明を欠いたまま、「それを養う」と言われたって、そんなの無理に決まっています。現場の教師が気の毒です。絵に描いた餅どころの話ではありません。絵を見たところで餅の所がからっぽなわけで、話になりません。
このように Threshold が外国語でのコミュニケーションに必要な最低ラインを示した点は画期的だったものの、スピーキング中心に組立てられている点で包括性に難がありました。また、関係者の話によると、実際の会話が双方向のダイアログなのに、類型的表現がいずれもモノローグ仕立てになっていることも問題視されたようです。加えて、何と言っても、到達度評価にまで手が回らなかったという限界もありました。
しかし、コミュニケーションのニーズがどのようなものであり、ニーズを満たす言語活動がどうあるべきかにつき一つの水準を示した上、のちのちCEFRのC1になる Vantage や A1、A2 に当る Waystage を開発するための土台となったのであり、Threshold というプロトタイプは、これなくしては、CEFRの歴史を語れないというほどの大きなウェイトを占めています。
★ CEFRの特色
CEFRには二つの大きな柱があります。一つは、そもそも言語の学習とは何かという問いかけに答えている部分と、他は、これと表裏一体を成す話ですが、外国語の運用能力の評価のあり方を示す部分(=A1からC2までのレベルが示されている部分)です。ここでは前者を指して、言語モデルとしてのCEFRと言い、後者を言語運用能力の指標としてのCEFRと言うことにします。
言語モデルとしてのCEFRは、「そもそも人は何のために書いたり、話したりするのだろうか」という問題意識に立って、コミュニケーションのための言語活動 (communicative activities) は、コミュニケーションの客体を受け入れる (読書や人の話を聞くといった reception)、投げかける (プレゼンをするといった production)、やりとりする (会話、交渉などでの interaction) 、媒介する (翻訳、通訳などの mediation)という4種の行為からな成ると分析し、その上でこういった活動をこなすためにはどういう能力 (competences) が必要なのかという分析へと進みます。
(こういう説明をすると、「ああコミュニカティブな言語教育ね、もう聞き飽きたよ」とわかったようなことを言う英語の先生がいるものですが、そういう人に限って、linguistic competence と communicative competenceの区別がついておらず、「英語とは何か」というタイプの解説的授業をしていながら、自分では、「使える英語」を教えているつもりでいたりするのですから弱ります)
いずれにしろ結論から言ってしまうと、CEFRモデルでは、人は自分が持っているストラテジーを用いて一般的能力とコミュニケーション能力を総動員し、コミュニケーションのための言語活動をしていると見ます。コミュニケートされるべき課題をこなすための段取りをつけることが「ストラテジー」であり、このストラテジーにより自分の持てる能力が動員されるということです。
ここで動員される能力は具体的には、以下のとおりです。
一般的能力 (general competences)
宣言的知識(経験や学校での勉強から得られた知識)
スキル(知識を実際に活かす力)
属人的能力(人それぞれの動機づけ、学習スタイルなど)
学習能力(未知の事項を観察し、既知の事項と結びつけ、自分のものにする力)
コミュニケーション能力 (communicative competences)
言語的能力(単語力、文法、発音など)
社会言語的能力(インフォーマル・フォーマルの使いわけなど状況を見極める力)
語用論的能力(話を組立てる力、状況に見合う類型表現を取捨選択する力)
そして以上の能力の有無・程度は言語運用の実際 (performance) を通じて外部から測定できるものとなり、それを指して言語運用能力 (proficiency) と言っています。
以上の言語モデルとしてのCEFRを貫いている基本的なアプローチは、「言語は人が何かをするために使うもの」だと捉える行動中心主義的アプローチ (action-oriented approach) です。ひと昔前の外国語教育のように、言語が人にとりどういう意味あいがあるかなど考えずに、もっぱら解説ないし研究の対象として捉えたり、あるいは、わが国の受験英語のように、ある言語の文法や単語をどこまで覚えているかを試し、人を選別するために使うというアプローチとはまるで違います。人は、問題を解決し、約束を果たし、あるいは何かの目的の達成に向けコミュニケートされるべき課題 (task) を遂行するものであり、このために、持てるコミュニケーション能力を発揮して言語活動に携わっているとされます。このことを念頭に置いているからこそ、CEFRみずから、What is the Common European Framework という項目の冒頭で、こう説明しているのです。
It describes in a comprehensive way what language learners have to learn to do in order to use a language for communication and what knowledge and skills they have to develop so as to be able to act effectively. CEFRは、言語をコミュニケーションのために用いようという言語学習者として一体何ができるようにならねばならないのか、また、効果的に行為するためにはどういった知識・スキルを身につけておくべきかを包括的に捉え、説明しているものです。
ところで、言語モデルとしてのCEFR における一つのユニークなポイントは、複言語主義 (plurilingualism) というものが盛り込まれていることです。複言語主義というのは、言語を学ぶことの意味は文法などの抽象的な知識の体系を覚えることにあるのではなく、コミュニケーションのためには何をし、何ができるようにならねばならないかを体得することだという行動中心主義と表裏一体をなす考え方であり、具体的には、英語に関しては電話の応対ができれば十分、韓国語はメールを書ければ用が足りるという具合に、複数の言語を自分に必要なだけ取り込み、自分のコミュニケーション能力の一部として統合的に運用できれば十分ということになります。一つ一つの言語のためにいわば部屋を用意して、内装を整え、家具を入れて完全にしていくアプローチ、つまり、ネイティブスピーカーをモデルとしてそれに近づかねばという学習スタイルと決別し、頭の中の「コミュニケーション部屋」に英語の椅子、韓国語のテーブルというふうに用途に応じて並べていけばそれでいいじゃないかというアプローチです。
なお、この複言語主義は多言語主義 (multi-lingualism) とまぎらわしい言葉ですが、多言語主義は事実として一定社会で複数の言語が用いられていることを言うのに対して、複言語主義は、個々人のコミュニケーションのあり方を言っているのであり、事実の形容ではなく、人間としてのあり方を言っており、既成の言語観、特に言語教育のあり方に一種のパラダイムシフトを迫る概念です。
複言語主義という観点からは、言語教育の目的は、ネイティブスピーカーをお手本としながら、個別の言語をそれぞれ独立の体系として追究するというものから、「言語は使うためのもの」であり、何語であっても、自分のコミュニケーションに役立つ限度でレパートリーの一つとして取り込めばいいというものへと変わることになります。そこで政府や教育機関などの外国語教育を担う人々もこれに合わせて、一つの言語にばかり集中せず、学習者のニーズのある言語につき、然るべきレベルにまで行けるコースを用意することが求められます。
これにつき私見を足させていただくと、学校教育だけで予想しようもない将来の言語学習のニーズをすべてカバーすること自体無理なのですから、むしろ学校教育では、英語なら英語でいいけれども、そこでの学習経験を他の言語の学習にも転用できる教育内容の整備が重要だと考えます。英語より国語が大事だと強調するなら、国語を教えながらも外国語との違いを浮かび上がらせるべく、「私はあなたのご親切をうれしく思います」での「は」は格助詞というものであり、決してbe動詞に相当するものではない、といったことをきちんと教えてくれれば、I am appreciate your kindness. といった日本語に引きずられた失敗を防げるだろうということを申し上げたいのです。ひとことで言えば、国語を教えるときも英語を教えるときも、語学のセンスが身につくようなものにしてくれということです。
いずれにしろ、CEFRは、言語は芸事として学ぶものではなく、自分にとり、社会にとり意味のある課題をこなすための道具だという見地から、人の言語活動を家庭、友人といった私人としての領域、社会人・組織人としての領域、職業人としての領域、そして教育人としての領域に分けた上で、各領域において人は言語を使って何をしているのか、何ができなけれなばならないとされているのかをまとめ、6つの共通参照レベルに整理しています。これが次の項のテーマである、言語運用能力の指標としてのCEFRです。
長くなってきたので、言語運用能力の指標としてのCEFR、TOEICなどとの比較は次回に譲ります。
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現在おります部門の英語レベルが低いようで、英語がたいしてできるわけでもございません私が様々な英訳をしなければなりませず、日々四苦八苦致しておりますが、数ヶ月前にこちらを知りまして、過去に遡って読ませて頂き、色々と参考にさせて頂いております。
受験英語の勉強しかしておりませんようなものでございますので英訳にあたりましては いつも迷うことばかりでして、今回の内容とは関係ないことなのですが、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか。
唐突ですが、“仕様書”という場合、通常は複数形で用いて“specifications”とすると辞書に書いてあります。
日本語で“この仕様書は云々”という文を英訳致します場合には、
These specifications are
となりますでしょうか。
それとも、“通常は複数形”ということは、仕様書という意味の場合にも単数形で用いることもあると考えて、
This specification is
とするのが自然でしょうか。
あるいは、形は複数形でも単数扱いをする単語もあると記憶致しておりますので、
This specifications is
という言い方になるのでしょうか。
こういう形での質問が、ここでのルール違反となりますようでしたら、先生にも、お読みになっていらっしゃる皆様にも、大変申し訳ないと思いつつ...
[返信]
「仕様」という意味での specificationには可算用法と不可算用法がありますが、前者の場合は一般に冠詞なしの複数形で使う一方、後者はbuilt to specificationのように前置詞の目的語となっているのが普通です。
「仕様書」と言いたい場合は、the specification document と言う方が通りがいいと思います。
仕様の一項目を敢えて単数で取り上げるときは、this specification requirement is...という言い方をするのではないでしょうか。
- Anne
- 2007年12月27日 20:09
いつも、素晴らしい内容のブログ、ありがとうございます。
後半もとても楽しみです。
ところで「学習指導要領」がリンク切れのようですが。
[返信]
ありがとうございます。直しておきました。
- しろうと
- 2007年12月27日 13:10

日向先生
お忙しい中、ご回答頂きまして、ありがとうございました。
御礼が遅くなり、大変失礼申し上げました。
これからもビジネス英語雑記帳で色々学ばせて頂きますことを楽しみに致しております。