2007年12月10日
語学ができる人を真似するというアプローチ
世の中、何カ国語もネイティブのように話したり、書いたりできる、驚くような語学の達人というのはいるものです。当然、外国語教育の研究者もそういった人たちに着目し、一体、こういう、語学ができる人たちと語学で苦労する人たちとはどこがどう違うのだろうか、共通する秘訣というものがあるとして、それは他の人に伝えられるものだろうかという視点から研究をしています。要するに語学ができる人たちの共通点を探り、真似してしまおうというアプローチです。ビジネス英語雑記帳の読者の方々は、言語運用能力ないし語学への関心において水準が高いと承知しておりますので、今回は、このあたりの研究でどういったことがわかっているかをまとめてみました。
★ 学習のプロセスを考える
われわれは「外国語を身につけたい、ものにしたい」ということで勉強するわけですが、こうした学習ニーズが満たされ、「言葉ができるようになる」といった結果を生む学習プロセスの要素を考えると、三つあると言えます。第一は、学習者本人で、年齢、性格、動機、頭の良し悪し (intelligence) 、語学の適性 (language aptitude) 、過去の言語学習経験が一人一人の個性を左右しています。受け皿が悪くては話になりません。第二は、インプットされる学習の質、これは授業計画(シラバス)、教材、教授法、授業内容、そして教師の資質で左右されます。学習者本人の資質がよくても、インプットが貧弱では力を発揮できません。第三は、学習環境で、どれだけ学習している外国語を使うチャンスがあるかで左右されます。
このように、結果を出せるかが三つの要素にかかっていることは、例えば、アラビア語のように日本国内で使う環境はなくても、つまり学習環境が一見、不利に思えても、ネットで探せばBBCのアラビア語版などのようにいくらでも生のアラビア語に触れるチャンスは作り出せますから、要は学習者本人がカバーでき、それをやれば、学習環境が恵まれている人に負けないで済むということです。
してみると、学習者本人さえしっかりしていれば、インプットされる学習の質や学習環境にマイナスがあっても、それを補っていい結果が出せると言えます。そして、ここで言う「しっかりしている」かを左右するのは明確な指針をもって学習に臨んでいるかということですから、結局は自分なりの学習方針 (learning strategy) を持っているかということに帰します。言い換えれば、ものごとの学び方 (learning to learn) がわかっているかが成否を左右するのです。
例えばドイツ語あるいはイタリー語といった外国語を勉強しようという場合にひとまず単語からと考えるでしょうが、子供向けの簡単な辞書を買ってきて、基礎単語をおさえるというアプローチがありえます。その場合、書いて覚えるのか、音読するのかも人によって違うことでしょう。あるいは単語がわかる範囲の本を何冊も読むというアプローチだってあります。こうした、学び方のうち一体、どれが自分に合っているのでしょうか。これが "learning how to learn" と呼ばれる問題です。その一つとして good language learners つまり語学の達人に学ぶというアプローチが出てきます。
★ 「語学の達人から学ぶ」というアプローチ
この問題に先鞭をつけたのは、Naimanを中心とする研究者のグループで、成果は、1978年に、What the good language learner can teach us. と題された本として刊行されました。それまで外国語学習と言うと、もっぱら教える方に立って、やれ文法だ、訳読だ、いや、コミュニケーションだと騒いでいたわけですから、このように教わる側に視点を移しての研究は画期的だったと評価できます。今、さかんに外国語教育の関係者が言う自律学習 (autonomous learning) を実証的見地から取り上げたケースとも言えます。[稿をあらためて取り上げようと思っていますが、自律学習は自学自習/独学とは違います]
調査の柱は二つで、社会人を対象とするものと、外国語の授業を受けている子供たちでした。前者は、外国語がうまくなった34人とうまくならなかった2人を対象とする個人面談という方法をとり、後者は、トロント(カナダ)近辺の12クラス(8年生から12年生までの72人)を対象とする授業観察と個人面談という方式です。
この結果、一つわかったのは、よく耳がいいからとか、記憶力がいいからといった語学が論じられる際に聞かされるステレオタイプが実は当てはまらないという事実ですが、それよりおもしろいのは、三人の達人に焦点を合わせてケーススタディです。
例えば、アメリカ生まれのAさんは、学校時代にフランス語とドイツ語を勉強したのち、フランスに3年住み、次いでドイツ語とのバイリンガルであるフランス人女性と結婚しました。その後、スェーデンに2年、ポーランドに1年住んでから、最終的にケベックに落ち着き、普段はフランス語を使う生活をしています。
こういった語学の達人がこなす言語の数は20を超えているのですが、おもしろいことに共通点があります。
→ どの人も、勉強している言語が使われている映画や新聞・雑誌に日常的に触れるように努めています。わが国の場合、英語を勉強しているという割に、このように英語のものに触れようとしない人が多いことを考えると対照的です。
→ 常にその言葉を使うチャンスを作り出しては、間違ってもいいから使ってみては発音等の自己点検をし、どこがポイントなのか、コツは何かを探り続けています。この「自己点検」というのは、あとで見る「メタ認知」という観点からきわめて重要なポイントとされていますので、是非、頭のすみに残しておいてください。
→ その言語への関心を持ち続け、ちょっとやそっとじゃくじけないタフな神経の持ち主です。
そもそも、この Naiman たちの研究は、good language learners に共通する要素を7つに絞った Rubin という人の研究を裏づけることが主たるねらいの一つだったのですが、Naimanたちは、上で紹介した調査を通じて、このうちの5つにつき、なるほど「達人」に共通しているようだとという結論に達しました。このあたりをKeith Johnsonが、An Introduction to Foreign Language Learning and Teaching (Longman) の中でうまくまとめているので、それによりながら、ちょっとコメントをつけてみました。
第一に、達人たちは、ともかく書いてみる、話してみるという態度に徹していました。積極的に勉強している言葉を使えるチャンスをみずから作りだすということです。
よく日本には英語を使う環境がないから英語学習のモティベーションがどうのとぼやく英語の先生がいらっしゃいますが、ネット時代の今、そんなことはありません。アルクさんのサイトを使わせてもらっているので宣伝するわけではありませんが、このアルクのサイトにもネットでの文通相手を探すしくみがあります。また、keypal あるいは penpal またはその両方をキーワードにして検索すれば、いくらでもあります。ともかく使ってみてやろうという姿勢がないぐらいなら、その言葉を勉強する意味もないのではないでしょうか。
第二に、ある言葉がうまくなった人たちは口をそろえて、その言葉を客観的に観察し、研究しています。「聞いているだけ」で英語がうまくなるようなことはありえないのです。実際、調査対象者の94%が自分たちの学習のプロセスは意識的、主体的なものだとしています。加えて、Naiman のレポートでは、言葉の学習プロセスを無意識に行われるもの、自然と吸収されるものと捉えていた2人がいずれも「駄目学習者」だったというのはそれ自体何かを物語っているのではないかとしています。
この点、Johnson は、外国語学習には無意識に「獲得」される側面と意識的に「学習」する側面とがあると説いている Stephen Krashen の説に疑問を投げかけるものだと指摘していますが、わが国の外国語教育関係者にこの Krashen のファンが多いことを思うと、何か痛快ですらあります。
第三に、達人たちに共通していたのは、コミュニケートしたいという熱い思いでした。
言葉を単なる学習対象に終わらせず、それを使ってコミュニケートしたいからこそ勉強しているということであり、イタリー語ではこういうときはこう言うんだ程度のことを覚えて満足しているのとは大違いです。ひどく人間的な学習者像が浮かんできます。現に、社会人グループの中でも傑出していた学習者の1人は、マスターした言語ごとにガールフレンドがいるという何とも愛すべき人です。彼に言わせると、"The language comes alive when you get to know the individuals who speak it." なんだそうで、ごもっともなことです。
第四に、達人たちは、常に自分の言葉のやりとりを客観的に観察し、フィードバックをもとに軌道修正をし続けています。
紹介されている例ですごいなと思ったのはある学習者の例で、クラスで先生が質問した場合、他の人が当てられていても、自分でブツブツと回答し、正解と照らし合わせていたと言います。このぐらいマニアックな学習態度でないと語学はものにならないのかも知れません。
第五は、恥ずかしいといった体面ないし心理的要素も学習のプロセスの一つとして割り切っている点です。また、これも心理的要素ということになるのでしょうが、勉強のためなら見知らぬ人にも声をかけることを含め、積極的に人間関係を作っていけるかが学習の成否を左右していました。
「間違ったらどうしよう、恥ずかしい」という壁が当然あるとわかっていますから、いちいち恥ずかしがっていたらきりがないと、最初から割り切った姿勢で学習に臨み、会得に成功しているのです。いまどき、英語の勉強のために外国人に片端から声をかけるような人もいないでしょうし、いたらこれはこれで迷惑な話で感心はしませんが、気概としてはそのぐらいのものが要求されるということでしょう。
なお、「間違ったらどうしよう、恥ずかしい」というのは人情の自然ではあります。しかし、学習プロセスを研究している人たちに言わせると、「間違ってみる」ということ自体、プロセスに不可欠のステップであり、間違っちゃいけない、恥ずかしいと間違いを避けているようでは学習効率があがらないことがわかっています。
言葉を換えて言えば、堂々と間違いまくって初めて達人になれるのです。テニスや自動車の運転など、誰でも失敗しまくる時期を経て人並みに球を打ち、あるいは運転できるようになるというのに、こと外国語学習になると、失敗が特別な恥のように受け止められるようで、不思議と言うか、言葉と人間の独特の関係をうかがわせ、考えさせられます。
[つづく]
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こんばんは。いつも勉強になります。
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父親が上海人(上海語+北京語)+母親が広東人(広東語+北京語)+学校教育(英語)=子供は上海語+広東語+北京語+英語の超スーパートライリンガルに育つ(読み書きはできないが会話ならOK)
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