2008年2月 8日
利用実績250万人以上という言語学習ツール:ヨーロッパ言語ポートフォリオ
アーティストであれば、自分の作品をひとまとめにしておくことで、自分でこれまで何をやってきたかをぱっとつかみ、また、スポンサーその他、対外的にはそれを見せることで自分の腕をわかってもらえます。投資家であれば、債券6割、株式3割、臨機応変に買い増すための現金1割といった形でポートフォリオを組むことで、自分の資産運用の状況を把握しつつ、次のステップを考えることができます。こうしたポートフォリオの考え方を語学に応用したものが言語ポートフォリオであり、それを学習者が使いやすいよう、きちんと体系化する一方、教育の現場を通じての普及も進められているのが European Language Portfolio (ヨーロッパ言語ポートフォリオ。以下「 ELP」と呼びます)です。
欧州評議会が41ヶ国からの言語の専門家に依頼し、30年かけて開発したヨーロッパ共通参照枠 (CEFR) をヨーロッパ内での言語教育に浸透させる仕掛けと言えます。
パイロット版は、1998年から2000年にかけ、欧州評議会加盟国の1/3に当る16ヶ国で試験的に運用され、この間、2000人近い教師と30,000人を超える学生が関わっています。その結果、正式な ELP が満たすべき条件ないし仕様が決まり、自分たちの事情に合わせて域内各国が独自に開発したELPを欧州評議会が審査し、認定するというアクレディテーションという仕組みも確立され、本格的普及へと移っています。
こうしたアクレディテーションを得ている ELP のバージョンは、84にもなり、2006年末現在、その利用者数は250万人を超えています。250万という数字を見てもぴんと来なかったので、何か対比できるようなデータはないだろうかとちょっと調べたら、わが国の大学生の数、約280万人に近いことがわかりました。全国の大学生が全員、英語その他の外国語学習の進捗状況を記録しては改善を図っているような話と言えます。
一方、アメリカでも言語ポートフォリオの考え方は支持され、LinguaFolioという名前で、バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ケンタッキー、そして、ジョージアの5州で言語教育に用いられています。
今回は、このELPを取り上げ、それがどういうもので、言語を学習しているわれわれにどういうメリットがあるのかを見て行きます。
まずは現物をご覧になりたいという方は、イギリスでの外国語教育のまとめ役的なCILTのサイトに行けば、ダウンロードできます。左下に見えている、Adult ELP biography and dossier とAdult ELP passport がそれです。
(事前にあらましをという方には、慶應の境一三先生(外国語教育研究センター所長)のプレゼン資料が便利です。また、もっと詳しい資料をというのであれば、A HREF="http://www.jpf.go.jp/j/japan_j/publish/euro/pdf/01-4.pdf" target=_blank">こちらに国際交流基金による解説があります。)
★ ELPは何のためのものか
あとで一つずつ見て行きますが、ELPは、語学検定の結果や自己査定をもとに学習者が自分の現在位置を確認するための passport、学習経過を確認しながら次の目標を立てるための biography、それに学習の記録ないし産物である各種資料を放り込んでおくための dossier の三つが柱です。
この passport, biography, dossier の三点セットを通じて学習者が自分の責任で Plan, Do, See を繰り返すための仕掛けが ELPです。仕組み自体は現物をご覧になればわかるとおり、簡単ですので、誰でも、きょうからでも始められます。
きちんとした資料には、ELPの機能として学習者の言語運用能力を対外的に報告する機能だとか、自分の責任で自分の学習プロセスを管理するよう仕向ける教育的機能が説明されていますが、ELPの導入例を研究したレポートを読むと、ELPはその開発のねらいどおり、生涯学習をみずから進めて行くためのツールとしての効用が大きいようです。
わずか16年ばかりの外国語教育でその後40年も50年もある人生の中で出てくる様々な外国語のニーズをすべてまかなえるはずもないから、学校教育の場では、みずからの責任で自分に必要なのは何かを見極めた上、目標を段階的に設定し、学習経過を振り返りながら、それを達成して行くスキルをつけるべきだという発想です。
「(続)語学ができる人を真似するというアプローチ」で取り上げたとおり、語学ができる人というのはそうでない人と比べてメタ認知的ストラテジー(読み、書き、話す、という自分の知的活動を一段高いところから客観的に把握し、自分の得手不得手をわきまえた上で学習の段取りをつけたり、学習成果を自己評価すること)において優れていることがわかっているので、ELPという仕組みを通じて、learning to learn あるいは thinking about thinking を体感し、体得してもらい、誰もがメタ認知的ストラテジーを身につけ、一生ものにしてもらおうというのです。
★ ELPの中身
この passport は、自分が今どこまで来ているか確かめるためのものです。サンプルに示されているとおり、英語、あるいは学習中のその他の言語につき、CEFRの A1 から C2 のスケール上、リスニングは B1 、リーディングは B2 、会話は B1だけれど、プレゼンなどの口頭発表は A2どまりというふうにボックスを塗りつぶして、一目で自分の言語プロフィールがわかるしかけです。

自分がどのレベルなのかは、個々の項目につき複数の can-do statement (能力記述文)が並ぶ、以下のような、自己査定のための判別表を使います。

Biography は、自分の学習プロセスを振り返るためのツールですので、以下の表を使って、その外国語とどう出会い、どうつきあってきたかを記録しておくようになっています。

また、以下の表でわかるとおり、自分が今何ができて、今後、何を目標とすべきかを記録するようにもなっています。ベストセラーになった岡田斗司夫著「 いつまでもデブと思うなよ」は、自分が食べたものを徹底的に記録しながら変化を観察するアプローチによっていますが、考えてみれば、自分のやっていることを客観的にとらえながら Plan, Do, See を繰り返しているわけで、ダイエットも語学も鍵となるのはメタ認知的ストラテジーのようです。

ここには、例えば、初めて英語で書いたメール、日記等の現物を納めていき、資料を通じて自分の学習履歴を確認できるようにします。検定の証書やスコアの通知書などもここに入ります。
★ さいごに
わが国での ELP の知名度はほとんどないと言っていいと思いますが、早稲田大学がELP を意識した教材 を開発しているぐらいで、意識の高い外国語教育関係者の間では注目されています。しかし、名前ぐらい聞いたことがあるという程度の認識の人だと、たいていは新たなカリキュラムと受け止められているようで、実際、ある学校でこの ELP を導入しようとしたところ、教員から、ただでさえ忙しいし、自分たちのやり方で間に合っているから、こんなもの押し付けるなという反対論がわき起こったと言います。
しかし、ELPのねらいは上で見たとおり、学習者が自分の責任で Plan, Do, See を進めていくためのツールであり、学習者本人に成果達成に向けての責任感を持ってもらい、モチベーションを高める道具なのですから、むしろ教師側が歓迎してもおかしくないはずです。
実際にもELPのパイロット版を運用した結果をまとめた評価報告書では、回答した学習者の7割がELPは自分の能力を自己査定するのに役立ったと回答しています。教師ばかりが働くのではなく、いわば学習者本人との責任分担が可能になるのです。またパイロット版運用プロジェクトに参加した学習者の68%がELPに記入するという作業に費やした時間は有益だったとし、教師の方も、70%以上がELPは学習者にとっても、教師にとっても有益な学習ツールだと回答しています。このようにELPは学ぶ方はもとより教える方にも役立つと歓迎されているのです。
加えて ELP での自己査定の指標である CEFRが TOEICのように他者との比較で学習者の能力レベルを判定するのでなく、飽くまで「これができますか?」という can-do statement を通じて個々人の能力を個別に見極めようとしているのは理にかなっています。人の知性ないし能力について、ハワード・ガードナーは多元的知能といったことを言っていますが、なるほど、人の言語運用能力など、身長や体重のように一つの数字ないしスコアで表せるものではありませんから、CEFRのように複数の評価項目を使って、幅を持たせた指標で表現する方が妥当だと思います。
わが国の英語教育が今なお文法シラバスを中心に回っている以上、まるで異なる言語観に立脚するCEFR(人は日常生活、社会生活上の課題を解決する有用なツールとして言語を使っているのであるから、そのような言語を学ぶということは、「実際に人はどう言語を使っているのか」を学ぶことに他ならないとする)を導入したところで木に竹を接ぐ結果となるおそれがあります。したがって、現状がそうである以上、CEFRを言語教育の現場に浸透させるためのツールであるELPをわが国に持ち込んだところで、実効性など期待できそうもありません。
たしかに世界最大の経済圏であるEUはLifelong Learning Programme 2007–2013というものを掲げ、加盟国民が自国語プラス2言語話せるようになることを目指しており、だからこそ熱心にELPの導入が進められているという事情はあります。しかし、それにしても、わが国の英語教育はおそまつです。
それに加えて、メタ認知ストラテジーを意識しているELPの普及により、予測不能の要素が多い知識基盤社会の中でメシを食って行けるだけの「独立自尊型」市民を制度的に輩出する言語政策があちらにはあるというのに、わが国はこういうことを見越しての教育を怠っているわけでもあり、教育関係のオピニオンリーダーや文部科学省は日々何をしているのだろうと不思議な感じすらします。そう言えば教育再生会議というのもありましたっけ。学校でのしつけだの愛国心だなどと言っているうちに国際社会での競争から取り残され、食いっぱぐれる危険を考えたりしないのでしょうか。いよいよもってわかりません。
ただ、これは学校教育を通じての英語学習の話で、ビジネス英語雑記帳の読者のみなさんがご自分の学習プロセスを振り返りながら、Plan, Do, See で英語力あるいは他の外国語の力を伸ばして行くには上で紹介した CILTの ELP をダウンロードし、それをプリントアウトして使う方法がありますし、この他、PC上で使えるELPを利用する手もあります。お試しください。これとwww.dialang.org とを組み合わせるのも一興です。
CEFRとポートフォリオの関係については、こちらの記事をご覧ください
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