2008年5月27日
TOEICで英語教育の効果を測定できるのか:教育再生懇の中間報告に疑問
このところ新聞で政府の教育再生懇談会の第一次報告が取り上げられています。例えば、25日の朝日新聞の見出しは、「5000校で小3から英語 教育再生懇が中間報告へ」。24日の読売は「小3から英語必修 小中高の英語教師にTOEIC」となっています。
このくだりは、「これまでの審議のまとめ 第一次報告」と題された報告書の原文ではこうなっています。
(1)小・中・高・大の各段階の到達目標を立て、国語教育等と矛盾しない形で、全ての段階で英語教育を強化する
○ アジア各国では、我が国の中学校相当の英語教育を既に小学校で行っている。真の国際人になるには、<中略>我が国においても、国は、小学校から大学までの各段階における到達目標を、TOEIC、TOEFL、英検を活用するなどして明確に設定し、英語教育を強化する。
<中略>
○ 現在、高等学校の英語教員でも英検準1級相当以上の者が5割にとどまることから、更に高いレベルを目指し、教育委員会は、TOEIC、TOEFL のスコアや英検合格を条件として課すなど、小学校教員、中・高等学校の英語教員の採用を見直す。
英語教育に到達段階を設けるという当たり前のことにようやく手をつけたのは画期的で大歓迎すべきことですが、「まさか」と驚いたのは、英語教育について、第一に、「TOEICなどを」活用して小学校から大学までの各段階での到達目標を明示せよとしている点、それと、第二に、英語教員の採用にTOEICの点数や英検合格などの条件を課すべしとしている点です。
TOEIC「など」という形で例示しているだけで、TOEIC一本でことを決めろと断じているわけではないのがせめてもの救いですが、教育関係の有識者を集めたはずの教育再生懇談会がTOEICを英語能力の判定基準であるかのように言っているのは何だかなあと感じました。仮に文科省あたりがTOEICとは何ぞやというレクチャーをしたにしても、「英語が使える日本人」構想で英語教員にTOEICで730は欲しいなどと言っていた人たちですから、頼りないことです。(あとで説明するとおり、TOEICはランクを競い合うコンテストであり、能力判定試験ではないので、そのようなテストを資格要件にすること自体、TOEICに対する認識不足が表れています)
そこで今回は、とりあえずTOEICを使って小学校から大学までの各段階での到達目標を設定できるのかという点にしぼって、なぜ、TOEICだと具合が悪いのかを説明したいと思います。
まず教育再生懇談会がTOEICを持ち出したのは、従来の文法重視の英語教育ではなく、コミュニケーション能力育成の英語教育を進めたいという気持ちから、一般に「英語によるコミュニケーション能力をテストする」と受け止められているTOEICに白羽の矢の矢が立ったのでしょう。
しかし、TOEICがコミュニケーション能力をテストしているのかについては疑問視する研究者の方が多いと言えます。例えば、大学の4割がTOEICで単位認定:問われる大学の見識では、こう指摘しました。
それより気になるのは、上で見たとおり、ほとんどの大学がTOEICの宣伝文句を真に受けて「コミュニケーション能力を測定する」と信じ込んでいる点です。というのも否定的な見方を取っている専門家ばかりが目につくからです。
例えば T. Newfields という研究者は、TOEIC® Washback Effects on Teachers: A Pilot Study at One University Faculty (Toyo University Keizai Ronshu. Vol 31. No. 1. Dec. 2005. (p. 83 - 106) というペーパーで、「択一形式のテストに答えるのと実際に外国語でコミュニケーションを取るのとはずいぶん違うわけで、択一の正解を当てるのが比較的うまい学生の多くがコミュニケーションは下手だということにもなり、このことに照らし、TOEICが実際にコミュニケーション能力を測れるかは疑問だ」とし、さらに、テスト理論の権威 Bachman を引用して、テストの作成段階で、コミュニケーション能力ありという結果を導くために必要な要因が過不足なくカバーされていないがために、言語の使用局面を部分的にしか把握していないテストになっているのではないかと指摘しています。
また、Cunninghamというバーミンガム大学の研究者は、TOEICとコミュニケーション能力の相関関係を正面から取り上げた実証研究を行い、その結果をTHE TOEIC TEST AND COMMUNICATIVE COMPETENCE というレポートにまとめています。これによりますと、TOEICのスコアが高いからと言ってコミュニケーション能力が高いわけではないし、また、TOEICのスコアが上昇するにつれて、コミュニケーション能力が高くなることも認められなかったとしています。TOEICはコミュニケーション能力を測定してはいないということです。
さらに、このレポートでは、この結果を受けて、TOEICは、一定の授業内容を履修したかを確かめるものでもないし、また、英語を使って何ができるのかを判定できるテストでもないのだから、到達度を見るテストとして使うべきでないとしています。そうとすれば、TOEICのスコアを基準に単位を認定している大学はいわば何の意味もないテストの成績を根拠に単位を出していることにもなります。
上でCunningham という研究者がTOEICにつき「英語を使って何ができるのかを判定できるテストでもないのだから、到達度を見るテストとして使うべきでない」と指摘しているのは、こういうことです。英語の能力を測ろうという場合、年間35時間ずつの英語教育をしっかり受け止め、小学校卒業時点で期待されている能力を身につけているかをテストするというのですから、それは予め定められた物差しに照らして、どこまで到達しているのかを測るわけで、こういう目的のためのテストは専門家たちは、criterion-referenced assessment (目標規準準拠テスト)と呼んでいます。
目標規準準拠テストの典型例は運転免許試験です。所定の技能と知識があるかをテストするわけで、学校などの定期試験もそうです。この種の試験の特徴は「教わった知識・技能が身についているのか」を正面から試すことであり、したがって、全員満点もあれば、全員零点もありえます。
ところが、TOEICは、この目標規準準拠テストではなく、典型的にはレベル分けテストあるいは足切り目的のテストのように、同じ試験を受ける他の仲間との比較をするためのテストです。こういう目的のテストを専門家たちは norm-referenced assessment (集団規準準拠テスト)と呼んでいますが、この種のテストの特徴は、個々の受験者を他の受験者との関係で相対的に位置づけることから、全員満点といったことがあり得ない点にあります。事実、ある回のTOEICの受験者の全員が990ということは理屈から言ってありえないのです。スコアが990以上の人を1万人集めてテストをすれば、理屈としては、必ず半分の5,000人は495以下とせざるを得ない、そういうテストなのです。
ちなみに、各回の受験者の得点がどういったグループの得点分布に照らして「この人はこのあたり」と評価されるのかというと、TOEICの実施団体である国際ビジネスコミュニケーション協会の責任者自身、 TOEIC test scores are reported on a scale which was instituted on the first TOEIC test administration. (TOEICのスコアは、初回TOEICで確定されたスケールにそって表示されています)と説明しています。そして、ここで言う初回TOEICとは、上のインタビューによると、1979年12月のTOEIC(受験者数2,773名)のことですから、本質的にはこのグループの得点分布が今も毎回の受験者を「支配」しているわけです。
ついでに言えば、 Paul Moritoshi という研究者もTOEICを研究した論文の結論として、測定対象を明確に定義していない以上、構成概念妥当性(「コミュニケーション能力をテストする」と言っているテストが果たしてどこまでコミュニケーション能力を測定しているのかということ)もはなはだ疑問だとしています。
ところでTOEICを使って到達目標を設定というのは、例えば、小学校卒業時点でTOEICのスコアが何点以上、中学校卒業時点で何点以上というふうに使うことだと解されますが、言い換えれば、TOEICという物差しを使ってコミュニケーション能力の松竹梅を見きわめようというのです。
これでTOEICが看板どおりコミュニケーション能力を測っているなら、問題はありませんが、上で見てきたように、そもそもTOEICがコミュニケーション能力を測っているのかという根本的問題につき多くの専門家がそうではないと見ています。(この点、痛快なのが、ブログ「カメハメハ日記」の井上大輔さん。TOEICは、「英語を通した知能テスト」であり、そのスコアが示しているのはTOEIC力だと喝破されています)このようにTOEICが測っているのがコミュニケーション能力だとするには無理があるというなら、TOEICを使って学校教育で英語によるコミュニケーション能力が身についたかをチェックしようということも、これまた無理があると言わざるを得ません。
一方、もっと大きな問題として、TOEIC自体、もともと英語の運用能力を判定するためのものではないという限界が見落とされています。英語がある程度できないと話にならないという意味で英語のテストではありますが、「このレベルの人はこの程度の英語ができるのは当然」という見地から受験者の英語力を試すというよりは、むしろTOEIC問題をすばやく解いていくスキルを競わせ、ランキングを決めるテストです。したがって、こういったもので英語学習者の到達度をチェックしようという教育再生懇談会は、道具の選択を間違っていると考えます。
この点、何と言っても決定的なのは、TOEICを制作しているEducational Testing Service みずからTOEIC A to Z というレポートで、The test is a norm-referenced proficiency test and was not designed as a measure of achievement. (このテストは集団規準準拠型テストであり、到達度を測るために制作されたものではない)と明言していることです。教育再生懇談会はこんな基本的な情報も調べずにTOEICを到達度を測るための目安になどと言っているのでしょうか。
以上を要するに、TOEICを使って小学校から大学までの各段階での到達目標を設定するのは無理な注文です。
じゃあ、何を使えばいいんだということになるでしょうが、理想を言えば英語の世界での世界標準であるケンブリッジ検定です。しかし、スピーキングの力を面接で試す試験委員の数が少ないので、実際上難しいと思われます。となれば、次善の策は、お隣の韓国のように政府主導で英語検定を開発すべきでしょう。
なお、TOEICが英語運用能力の指標でない以上、教員採用の条件にTOEICを求める意味を見いだせません。私が条件を課すとすれば、ケンブリッジ検定、特に英語の教員を対象とした検定である TKT を迷わず選びます。
☞ TOEICの問題点について書いたバックナンバーはこちらにあります
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サイトを見る限り、教育再生懇には英語教育のご専門家が
おられないようです。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/kousei.pdf
>しかし、スピーキングの力を面接で試す試験委員の数が少な>いので、実際上難しいと思われます。
この点は、ぜひ、Versantをも頭の隅においてください。
http://www.versant.jp/
>また、ビールを傾けながら英語談義をしましょう!
こちらにもぜひお声をかけてください。
[返信]
英語教育に通じてらっしゃる慶応の大先輩にコメントを頂戴し、恐縮しております。
たしかに、スピーキングとリスニング能力を電話での所定の応答だけで測るVersantはイギリス大使館が職員採用に使うだけあって、すぐれた仕組みです。
ただ、ものの役に立つ英語力を備えているかを判定するためには、やはりリーディングとライティングのテストが必要なわけで、手っ取り早いのは、英検が帰国子女も驚く珍妙な口頭試問をやめて、Versantさんに面接部分を外注することではないかと思ったりもします。(肩に力が入った気位の高い人たちだと聞きますから、まずは無理でしょうが)
- 浜地道雄
- 2008年5月30日 21:57
日向先生のTOEICに対するお考えに大賛成です。「基数的分析」と「序数的分析」の差異には、常に数量化の際に留意したいものですよね。冷徹な観点からのまっとうなご批評を発信される日向先生の知識人としてご姿勢に経緯を表したいと思います。
ただ、まあ、英語教師は日ごろから英語力と英語の授業を行う力の両方は基本用件として持っている必要はあると思います。
- eichan
- 2008年5月30日 06:37
>真の国際人になるには(略)
この懇談会の質がいかほどのものか、引用した一文が如実に物語っていますね。
そもそも国際人などという、実態のない、意味不明の人を養成しようと本気で報告書に書いているあたりからして、救いがないと思うのは私だけでしょうか?
外国に数年暮らしただけ、単に外国語が話せるだけで「国際人」と呼ばれることに私自身は辟易しているというのに、この懇談会に名を連ねておいでの方々は、何を好き好んで「日本人」ではなく、胡散臭い「国際人」を大量生産しようとされるのか、さっぱり理解できません。
なにゆえ「日本人」が「日本人」を目指したらいけないのか?ご自分たちが「国際人」と呼ばれたがっているからといって、皆が皆「国際人」になりたいと思っているのでしょうか?この程度の質の低い見解の持ち主たちが、よってたかってこの国の未来の人材を育成について意見しているのかと思うと、腹立たしさすら覚えます。
幼少の頃から海外に長く暮らし、語学のみならず、西洋文化にも造詣の深い日向さんなら、このばかばかしさ、お分かりいただけるのではないでしょうか?
[返信]
たしかに、こんなに「国際人」と騒ぐ国は世界的にも少数派なのではないでしょうか。語学の目標とされることの多い「幻のネイティブ」同様、そんなものは存しないとは思うのですが、みなさん、見てきたかのように論じるわけで、これも英語教育が失敗している遠因の一つのようにも思えてきました。
- 匿名
- 2008年5月29日 11:28
日向先生、こんにちは。
[返信]
KH: こんにちは。考えさせられた内容なので、ひとまとめに答えず、一つ一つ、回答する形式をとらせていただきます。
とても興味深い記事ですね。
私自身、高校の英語教員なのでとても身近に感じます。
文科省はTOEIC730点を目標(最低?)ラインにしていますが、730レベルなんてのは練習すれば取れる大学生はいくらでもいます。
KH:そのとおりですね。この記事にコメントしてくださっている神崎先生がおっしゃるとおり英語ゲームだということでしょう。
でも高校英語教師でも、まったく準備せず(経験なしで)受けると届かないことがあります。
KH:これもやはりTOEICが英語を素材にしたゲームであることの証拠でしょう。他面、留学経験等の個人的事情から英語力のある先生が何の準備もせずに高いスコアを出すというのも事実なので、英語教師というプロである以上、日頃から英語を「練習」して地力のある連中に負けないことが求められると考えます。プロのアスリートは一日に何時間も練習するというのに、英語の教員が毎日ディクテーションや音読をし、あるいはワークブックを繰り返し解いて英語力に磨きをかけないのは怠慢です。
じゃあ730取れる大学生の方がいい授業ができるのか・・・あり得ないでしょうね(^^;)
KH:そりゃそうですね。ゲームの点数で教師としての資質を決めるようじゃお話になりません。
どうしてこんなにTOEIC信仰が広まったのでしょう。
英検より細かく点数が出るのが受けたのか、
日本だけの英検より国際的に行われるからなのか・・・
KH:TOEIC信仰の元凶は企業です。他に見るべきものがなかったので消去法によりTOEICを従業員の英語力の目安にせざるを得なかったのは同情できますが、客観的分析を怠ってはいけない企業がTOEICの本質を見きわめないまま、無批判に採用・昇進や海外派遣の条件にしてきたのは罪深いことです。TOEICの責任者自身、TOEICだけで決めるのはよくないと言っているぐらいなのですから。
だとしたらちょっと情けないですね。
「国際」という言葉に弱い民族なのでしょうかね。
KH:そのとおり、情けない話です。加えて、「国際」と言いながら、日本人と韓国人とが受験者のほとんどを占めているのに、敢えて「国際基準」と押し切るTOEICもよくない一方、そこを鵜呑みにしてしまう大学や一般受験者もLet the buyer beware.という大昔からの教訓を忘れているわけで、自業自得とも言えます。
- 匿名
- 2008年5月28日 22:05
「大学入試に比べればTOEICの方が遙かにマシ」
というのがあって、また同じ喋れない人でもTOEIC400点の人と800点の人では歴然とした差があることから、「TOEICを参考に使う」のは悪くないと思います。
ただTOEICを目的にしちゃうのが良くないのだと。
[返信]
ご意見ごもっともです。TOEICも勉強の励みにする等、参考に使う分には、有益な指標です。ただ、それを大学での単位認定やら到達目標代わりにまで使うとなると、本来の用途から離れてしまうわけで、その点は困るよなと思います。
なお、おっしゃることはそのまま大学入試に代表される単語/文法力という言語知識の角度から英語を捉えるアプローチにも当てはまると感じました。大学入試に代表される言語知識は大事だけれど、あそこまで行き、目的にしちゃうのがまずいんだと。
- 匿名
- 2008年5月27日 14:11
大変、ご無沙汰しております。お元気でしょうか。ブログはいつも拝読させていただいております。先日のGoogole の使い方に関する記事、私のブログの読者にも知らせたく、先週土曜のネットラジオでご紹介させていただきました。
さて、今日はTOEICに関する内容なので、直接コメントさせていただきます。「TOEICを使って小学校から大学までの各段階での到達目標を設定するのは間違い」、「教員採用の条件にTOEICを求めるのは意味がない」というご意見、全く同感です。
ご指摘のように、TOEICが英語のコミュニケーション能力を測る試験ではありません。リスニングとリーディンだけのマークシート方式の試験でコミュニケーション能力は測れません。「コミュニケーション能力の育成を目指す」というのであれば、他の試験を指標として使ったほうがいいでしょう。特に英語教員を目指す方にはケンブリッジ英検を受けていただきたいと思います。
TOEICは英語を素材にした点取りゲームです。英語力、TOEIC力、集中力、体力、気力、その他もろもろの要因によって、スコアが上がったり、下がったりするので受ける面白みがあります。このゲーム性が昨今のTOEICブームのひとつの要因だと思います。英語を趣味でやっていてる方には、ゲーム感覚で受けられるTOEICはよいテストです。ただし、英語に真剣に取り組んでいる方(例えば英語教員を目指している学生)はTOEICで遊ぶのはそこそこにして、ケンブリッジ英検のような真面目な試験を目指していただきたいです。教育再生懇談会も本気でコミュニケーション能力育成の英語教育を目指すのであれば、ケンブリッジ英検の導入を検討していただきたいところです。「どこまで本気か」というのが問われます。
[返信]
おひさりぶりです。時折り、ブログを拝見しては、気合いが入っていることだと感心していました。神崎先生のグループは、何だか福沢諭吉的「私塾」のおもむきがありますね。
さて、コメントの方ですが、まずはお礼申しあげます。TOEIC界の大御所に「そうだ、そうだ」と言われ、何だか拍子抜けする一方、神崎先生のように英語の勉強のあり方がわかっているからこそのご意見だなと感じました。英語の勉強、特にコミュニケーション能力をつけるための勉強がわかっていたら、あのような報告は出せないはずです。
それともう一つ思ったのは、われわれは二人ともケンブリッジ英検を取得しており(もっともわたしはCPEどまりなのに、神崎先生はその上の(上等過ぎて今は廃止されてしまった)Diplomaですからねえ、頭があがりません!)、4技能をバランスよく身につける大切さを身をもって経験しているだけに、簡易版のテストをもって良しとする大きな流れに疑問を感じるのだということです。
また、ビールを傾けながら英語談義をしましょう!
- 神崎正哉
- 2008年5月27日 13:40
全くもってその通りだと思います。
TOEICの点数だけやたらと高く英語が話せない人が非常に多いと最近常々思います。
この道具の間違いは結構問題だと思うのですが、しばらく日本はTOEIC熱が冷めそうにないですよね。
[返信]
もともとお上に弱い体質があるところに、まず企業が英語の能力を見るにはTOEICと言い出し、ついには政府までもTOEICと言い出しているわけで、手がつけられません。中国と言い、韓国と言い、国家の政策として世界標準は何かを意識しつつ国民の英語力強化に取り組んでいることを考えると、ますます気分が暗くなります。
- la_barmaid
- 2008年5月27日 11:05

長らくご無沙汰していります。海外留学者です。先週アメリカから三年半ぶりに日本に戻ってきました。
TOEICを参考の一つとして取り扱う考えは、基本的に間違いではないと思います。では何が問題かというと、点数の高低やランクばかりにこだわりすぎているところです。900点以上取ったら英語上級者、990点とったら英語は完璧という見解がすでに一般化している今日ですが、語彙もpassageも易しい問題が中心のテストでは、満点をとったからといってもたかだか知れています。なぜならtest smartになれば誰でも、簡単に点数が取れてしまう試験ですから。これも日本の高校・大学受験の対策として、詰め込み式による暗記を中心とした学習を行い続けてきた日本の学校教育の悪しき伝統が、少なからず反映しているように感じ取れます。
TOEICの試験内容をspeakingやwritingなどの題材に応用するといった工夫もできると思うのですが、懇親会の方々の誰一人からも、そういった発想はちっとも出てきませんね。
[返信]
おかえりなさい。ご留学中はいろいろとコメントを寄せてくださったおかげで、新たな見方にも触れることができました。ありがとうございます。
TOEICを制作しているETSみずから、「到達度を測るツールじゃありません」と明言しているのに、教育再生懇談会の面々を含め、誰もそんなことに耳を貸しません。もう the runaway TOEIC craze とでも形容すべき状況になっており、手がつけられません。