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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2008年12月31日

ゴーマンな輩:プラグマティクスでの失敗

単語や文法ばかりに力を入れ、プラグマティクスというものに意を用いないで英語を勉強していると、自分でも気づかないまま、傲岸不遜な奴という印象を与えてしまうおそれがあります。プラグマティクスとは、社会的文化的要素を踏まえた上での、状況に見合った言葉の的確な運用のことですが、今回は、もっぱら形式としての言葉にばかり注目し、生身の人間が実社会で英語を使う際に考慮すべき点を無視ないし軽視している学校での英語を意識しながら、プラグマティクスがいかに大事かを見ていきたいと思います。

実は、橋内武著『ディスコース:談話の織りなす世界』(くろしお出版)という本を読んでいたら、「インターアクションの社会言語学」という章で、チュートリアル(イギリスの大学での個人指導)における日本人留学生とイギリス人学生の対応が比較されており、それがまさにプラグマティクスの素材としてうってつけだったので、思わずブログネタにした次第。

まず指導教員が、画家Xについて、

Are you familiar with the work of X?

と尋ねたの対して、当然、プラグマティクスがわかっているイギリス人学生は、こう答えています。

Yes, I saw her exhibition last week at Y Gallery. Although she is not my favorite, I know she has influenced my work, particularly in respect to Z.

注目したいのは、「Xの作品、どの程度知っていますか」という趣旨の問いに対する答えが Yes のひとことである点です。あとは相手の問いを起点に自分にとってXがどういう存在であるかの説明になっています。

一方、日本人学生、A, B の返答は以下のとおりです。

A: Yes, I am familiar with the work of X.

B: Yes, I am familiar with the work of X. She is one of my favorites. I have many books about her works.

著者の説明は、イギリス人の教師にとって学生は真理探究に向けて作業を共に進める同輩であり、教師の役どころは手助けであるのに、日本人の場合、もともと教師中心が当たり前で、その分、教師との距離もあり、また、教師からの指示待ちという姿勢に終始しがちであり、そこからぎごちない質疑応答が観察されるというものです。

しかし、私がびっくりしたのは、二人の Yes, I am familiar with the work of X. という答え方です。自分が言われたら、「何だエラソーに」と、カチンと来る言い方です。さきほど触れたとおり、普通に英語を使う人間の感覚からすれば、こういった場合は、Yes だけにとどめるべきであり、敢えて、I am familiar with the work of X. を加えるのは、(もちろん二人の間の空気や表情によっても左右されますが)字面から見る限り、傲岸不遜の輩です。

日本語的には、「Xの作品などご存じですか」と問われた場合、知っていれば、「はい、知っています」と答えるでしょうから、そういう視点からはこの英語も別におかしくないのかも知れません。しかし、英語感覚で言うと、このくどい答え方自体、「知っているさ、それがどうかしたの?」という、一種挑戦的なものと感じられるのです。母語の感覚を外国語にそのまま持ち込んでしまうために生ずる軋轢の種です。

★ プラグマティクスでの失敗

こういった具体的な言語の表現形式とは別に、そこでの状況に照らして、Aというつもりで言っている話し手の意図がそのとおりAとして伝わらず、Bとして受け止められるようなことはプラグマティクスの問題として知られています。とりわけ問題なのが、母語の感覚をそのまま外国語を使うときにも持ち込んでしまう例で、上で紹介した日本人留学生の返答ぶりもそうですが、次のロシア語の例もそうです。

Thomas という研究者がロシアで英語を教えていた当時の経験を紹介していますが、上の日本人の例とまるで同じです。ロシア人は、英語の Of course に相当する "konesno" をよく使うのだそうで、それがそのまま英語を使うときにも以下のように「転用」されてしまう結果、何だか妙な受け答えになってしまいます。

A: Is this a good restaurant?
B: Of course.

ロシア人は、Yes, it really is. という感じで使っているつもりなのでしょう。しかし、英語を使う人にしてみれば、「いいレストランでしょうか」という質問に対して、Of course. というのはプラグマティクスに照らして考えられる返答の「範囲外」であり、したがって「なんて馬鹿なことを聞くんだ」的なセリフに聞こえるという結果をまねいています。ロシア人の使った英語の言い方 Of course. が本人の意図とは違う結果をもたらしてしまっており、プラグマティクスの問題として取り上げられる代表的な例です。

つまりコミュニケーションと簡単に呼ばれているものを言語が社会において持つ独特の意味合いという視点から捉え直すと、人が言っていることを額面どおりに取ったものと、その状況において持つ具体的な意味合いとの間にずれが生ずることを踏まえた考え方であり、英語の知識としてのみ捉える受験英語の世界とはまるで趣が違います。

上で取り上げた Yes, I am familiar with the work of X. だとか、Of course. という言い方は文法上、何ら問題ありません。"know about English" という見地からは英語に違いありません。しかし、こうした言い方をした人の置かれた社会文化的状況に照らして考えると、つまり、"know English" という見地からすると不合格となります。なぜかと言えば、会話というのは単に情報/意見の伝達だけでなく、人間どうしが気持ちよくつきあうためのツールという役割も担っているのに、こうした答え方は、情報/意見の交換という限度では役目を果たしているものの、相手に違和感をおぼえさせ、「感じのいい人」と思ってもらえなくしている点、"know English" の域に達しているとは言えないからです。

もっといろいろな例を見て、このあたりを確かめてみますと、例えば、Analysis of Pragmatic Failure and College English Teaching というペーパーでは、二人の中国人研究者がこんな例を出しています。

Foreign Businessman: Thank you for accompanying me.
Chinese Host: Don’t mention it. It’s my duty to do so.

お供をしてくれ、なにくれと世話を焼いてくれた人に対してお礼を言ったところ、「どうぞお気遣いなく、仕事ですから」という返答が戻ってきてびっくりしたという例ですが、これなどは、たしかに筆者たちが言うとおり、プラグマティクスを踏まえた正しい答えは、My pleasure. でしょう。このままでは、「何をおっしゃいます。業務ですから」ということになり、「好きでやってるんじゃなえから、気にしなくていいってことよ」と言っているも同然です。「感じのいい人」と思ってもらえるはずがありません。

今度は、外国人の上司が秘書に対して、「ありがとう。助かったよ」と言っている場面です。

Manager: Thanks a lot. That’s a great help.
Secretary: Never mind.

ここでの秘書は相手が詫びたときに言う「どうぞお気になさらないでください」に相当する Never mind. を使っているので、相手もびっくりすることになります。何かの手助けをしたことで「ありがとう」と言われたら、「何でもありません。どういたしまして」ということで、これも My pleasure. で済ます場面です。ところが、場違いの Never mind. を使っていることにより、これまた(本人の気持ちとは違って)「いいって事よ」的な尊大な響きを持つ発言になっています。

次は、イギリス人の学生が Song Hua という名前の秘書に電話をするという例です。

English student: Hello, I’d like to speak to Song Hua, please.
Secretary: I’m Song Hua.

このペーパーによると、電話口での応答として中国ではティピカルなものだそうで、日本語でなら、「ソン・ファさんお願いできますか」という自分にかかってきた電話を取った場合に、「私、ソン・ファです」と言っている感じでしょうか。何であれ、英語的には、普通、こういった場合、Speaking. と応じるのが相場ですから、敢えて、I'm Song Hua. という一風変わった応答をすることで、「ソン・ファである、何の用だ」的な響きになってしまいます。

このとおり、英語特有の状況に見合った言い方をしていないがゆえに、妙な響きとなっており、言った本人は、知らないところでとんでもないマイナス評価をされる結果となっています。これがプラグマティクスのこわいところです。

★ プラグマティクスは教われるのか、教わらないとどうなるのか

言葉としての英語そのものと、英語の背景にある社会文化的事情を切り離して、「ああ、これは文化の違いによるものだからうんぬん」という発想をする人からすれば、ここで取り上げているようなプラグマティクスはひとまず英語の勉強が中級とか上級以上になってから別途取り組むべき課題と映るようです。つまり言葉が「できる」ようになれば、自然とこういうことが身につくということなのでしょう。しかし、私に言わせれば、こういったプラグマティクスの問題を形式的な言語表現と並行して学ばないと英語が「できる」ようにはなりません。単語や文法といった言葉の形式的側面を理解し、習得するのと同時に、その言葉が実際に使われる状況に応じてどういう意味合いをもって相手に伝わるかまでも意識できるようであって、初めて英語が「できる」と言えるものだからです。そうとすれば、単語や文法と並行して、英語を使う際のプラグマティクスにまで目を配った学習が必要だということになります。

実際、専門家の実証研究では、プラグマティクスは教えられることがわかっています。例えば、「ゆうべの食事、どうだった」という質問に対して、「盛りつけなどはよかったよ」という答えを通じて、暗に味の方がたいしたことはなかったと伝える手法につき、ネイティブとそうでない人との間での見解の食い違いが3割かた合ったのに、4年間の学習の後にはそういった食い違いが1割以下に減ったという報告があります。

また、Mane と Wolfson の共同研究では、アメリカ人が人をほめるときの言い方を700件集めて分類した結果、なんと85%が以下の三つのパターンでカバーされていることを発見しています。

1)何か(名詞)+ isまたはlook+(必要に応じて really) +形容詞

[例文] Your necklace is (really) beautiful.

2)I +(必要に応じて really)+ like/love +何か(名詞)

[例文] I (really) like/love your necklace.

3)代名詞+ is + (必要に応じて really)+形容詞+何か(名詞)

[例文] That's a really nice car.

これに、さらに以下の6パターンまで含めると、実に 97.2% がまかなわれます。

4) You + 動詞+形容詞+何か(名詞)

[例文]You have an adorable cat.

5) What (a) +形容詞+何か(名詞)

[例文]What a lovely cat!

6) Isn't +名詞句+形容詞

[例文]Isn't this handbag gorgeous!

7) You +動詞+ (a) (really) +形容詞+名詞

[例文]You did a good job.

8)You +動詞+名詞+副詞

[例文]You handled that situation very well.

9) 形容詞+名詞

[例文]Good job!

ということは、この9つのパターンをしっかり頭に入れた上、状況に応じて必要な言葉を補充すれば、誰でも、ほめるときの言い方を使いこなせるということです。無限にありうるパターンを詰め込む必要がないのです。

一方、プラグマティクスをきちんと教わっておかないと実害のあることがわかっています。単に相手に「おやっ」と思われたり、違和感を持たれる程度では済まないのです。

例えば、大学でのコース選定の相談に乗る教員と学生とのやり取りがネイティブとそうでない学生との間でどう違うかを研究した例では、英語の使い方がわかっている学生だと、自分なりの選択を指導教員に伝える際、I don't know how it works out but (どうなるか自分もわかりませんが、ただ、自分としては・・・)というふうに、自分を前に出さず、婉曲的な言い方を選ぶのに対して、プラグマティクスがわかっていない留学生は I will take...と、断定調のもの言いをすることが明らかになっています。そのぐらいだったら、まあ、留学生だから仕方がないかで終わる話ですが、Bardovi と Harlig という研究者による共同研究では、プラグマティクスから見て不適切な応答をする学生はそうでない学生と比べ、自分の志望どおりのコースに進める確率が低いと指摘されています。

ここまで状況に見合った言い方ができるか否かという視点からプラグマティクスを取り上げてきましたが、より広く言葉をきちんと使えるか、一般に受入れられているようなやり方で語句を連ねることができるかという視点まで取り込むと、こういった英語の知識プラスアルファの部分は、社会言語的コンテクストという側面だけでなく、書き言葉での語句の連ね方でも問題とされます。

この点、Kaplanという研究者は、様々な言語グループ出身の留学生が書いたおよそ700本のエッセーを比較対照したことで知られていますが、それによるとアラブ語系の学生は、やたら文頭に And や But といった等位接続詞を持ってくる上、従属節をほとんど使わないというクセのあることが指摘されています。もちろん、こういったクセは、自国語で書くときの流儀に由来するわけですが、英語のエッセーとして読み、採点する方にしてみれば、ただの手抜きとしか映りません。しかも、悪いことに、採点する方は、文法などの間違いについては比較的大目に見るのに、接続詞がきちんと使われているか、筋道だった話になっているかなどの文章を連ねるときのルールについては厳しいのが一般だとされています。してみると、書き言葉はもとより、話し言葉でもプラグマティクスがわかっていないと、本人の知らぬ間にマイナス評価をつけられてしまうということになります。

★ さいごに

プラグマティクスがわかっていないと、話している相手に違和感を持たれたり、あるいは大学などの人生の岐路で不利益を受けうること、その一方、プラグマティクスは教わることのできるスキルであることを見てきましたが、それでは、わが国の英語教育では、どういった位置づけを与えられているのでしょうか。

気になって高校英語の教科書をのぞいてみました。すると、Chat Room というコーナーがあり、「学校の図書館で、由美はおもしろい本を見つけました。その本の写真を見ながら Bob に話しかけます」という状況設定を示した上で、こんな形で会話を始めています。

Yumi: Bob, look at this picture. What is it?
Bob: It's a rabbit.
Yumi: To me, it looks like a duck.
Bob: A duck? It doesn't look like a duck at all.
[以下省略]

この会話、アヒルの置物の写真を回転させると、ウサギの置物になるという落ちになっていますが、第一に、二人が基本的にフルセンテンスで話をしていること自体、不自然で、普通なら、 A: Bob, want to have a look at this? Now, what do you see? B: A rabbit? といった感じでしょうか。第二に、「これ何だと思う?」と答えを知っている人が相手を試す感じで言うときに、はたして What is it? という尋ね方をするのか疑問です。先生が生徒に聞くならわかりますが。

そもそも、写真を見せながら、そこに写っているものに言及するときは、What is it? (=これは何であるか?)はないだろうというのが感想です。結局、

See this figure? What do you make of this? (この写っているもの、これって何だと思う?)

といった感じで言うのが普通だと思います。

いずれにしろわずか数行の会話例ながら、プラグマティクスに配慮した形跡がありません。

高校の授業を全部英語でやれという話が進んでいるようですが、いくら授業が全部英語でもそのコンテンツが相変わらず現実離れしているというのでは、不毛の英語教育を固守してきたこれまでの仕組みと何ら変わることがありません。制度上、Garbage in, garbage out. である以上、日本語だったgarbageを英語に変えてどうしようというのでしょう。


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Comments

あけましておめでとうございます。
いつも楽しく拝見しております。こちらに書き込みさせていただくのは初めてです。

数回前に取り上げられていた「褒め言葉に Thank you. と返していいのか?」と併せて、非常に考えさせられる内容です。
「通じるのが一番大事なんだ」という考えで使っていた自分の英語でのやり取りを思い出すと、ゾッっとします。たぶん、相当空気の読めないヤツと写っていたと思います。

「外国語を学ぶというのは、その文化を学ぶことだ」とは言われますが、実はそれほど漠然としたものではなく、プラグマティクスとか、ディスコース・マネジメントという形で存在するものなのですね。
考えてみれば、日本語でも一緒ですね。褒められたときに「いえいえ、...」と謙遜するもの日本のひとつの文化だと思います。
そう考えると、外国語を勉強するというのは、ますます楽しくなりますね。

今年も、楽しいコラム楽しみにしています。

[返信]

おっしゃるとおり、外国語を勉強するのは楽しいことなのに、わが国の場合、教材がいけません。外国語を学ぶ以上、内容として単語や文法に加えプラグマティクスが必要だということは、20年以上も前から常識で、2001年に公表されたヨーロッパ諸国共通の外国語指導要領(ヨーロッパ共通参照枠)でも踏襲されているにもかかわらずです。

英会話が漫然と行われているものではなく、一定のメカニズムにのっとって行われており、それを前提に英語を話す人々はディスコース・マネジメントなどを行っているのだということを本にしようと思っています。ご期待ください。

日向先生
いつも、興味深いお話をありがとうございます。

言葉やフレーズを、英語と和訳の一対一対応で覚えているだけだと、「母語の感覚を外国語にそのまま持ち込んで」しまって失敗することが多いように思います。「その言葉が実際に使われる状況に応じてどういう意味合いをもって相手に伝わるか」を意識するには、ある程度の長さの会話のやり取りの中で、その使われ方を知り、学ぶしか方法はないですよね。

「この日本語は英語で何と言うのか?」という置き換えだけを気にしすぎる人も多いように思いますが、それだけではとうてい太刀打ちできない、それが他言語を学ぶ難しさであり、また面白さでもあるのでしょう。

英語の知識を身に付けることだけがメインになってしまいがちな、我々英語学習者にとって、プラグマティクスを意識することの大切さを示していただけることは、とてもありがたいことです。

一連のディスコース・マネジメントのお話もそうですが、そういう部分は、突き詰めていくと、本当に深い話になってきますね。英語を学び始めた頃は、どうしても知らない単語にばかり目が行ってしまい、ディスコース・マーカーのようなものは、軽視してしまいがちです。逆にそういう部分のニュアンスの大切さがわかるようになってくることが、進歩なんだろうな、と思います。

今年は、日向先生とこうしてお話させていただけて、とても光栄でした。来年もどうかよろしくお願いいたします。これからも、興味深く刺激的な記事を楽しみにしております。

[返信]

こんにちは。その手の本までたくさん出ているぐらいで、「『この日本語は英語で何と言うのか?』という置き換えだけを気にしすぎる」ことが諸悪の根源のように思えます。Rachさんのブログは、「ある程度の長さの会話のやり取りの中で、その使われ方を知り、学ぶ」ために有用で、実際に使う英語の宝庫という感じがあります。スピーキングのテストでは必ず受験生が「ある程度の長さの会話」をこなせるかが問われるわけで、なおのこと、こういう会話例に親しむことが重要だと感じています。英会話を学びたい人向けのブログとしてはイチオシです!

来年の「味付け」として「フレンズ」での会話にいくらでも出てくる会話らしさ(例えば従属節が単独で使われている)を分析されるようにしたら一段とおもしろいのではないでしょうか。来年、英会話を始めて、続け、さらに終わらせる基本作法の本を出したいなと思っているのですが、Rachさんがフレンズを素材にした会話分析をまとめてくだされば、シリーズの上級編ないし応用編になるななどと勝手なことを考えたりします。

よい年をお迎えください。

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