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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2009年1月12日

味の形容:日英の違いを考える

先日、(ミシュランの一つ星という触れ込みの)新宿の「中嶋」というお店でlondonsmileさんをまじえての小宴会がありました。評判どおりのうまい料理が次々出てくるなか、その席で話題になったのが、英語で味が語られるときの形容の単調さ。そして、対照的に、われわれ日本人が味について語るときの形容の豊かさ。

たしかに、味については自分でも How's your steak? と聞かれたら、普通は、Just perfect. 程度で、それが特別やわらかくて、味もよければ、It's tender and tasty. と形容するぐらいでしょうか。興に入れば、百点満点ということで、I'd give it a ten out of ten! ぐらいのことは言うかも知れません。ともかくその程度です。

ところが、日本語での味の表現は多彩です。しかも、英語族の会食と異なり、味そのものを話題の一つとして積極的に取り上げもします。例えば、先日、別の機会に恵比寿にある焼肉店、「遊牧」(山形牛の一頭買いだから安くてうまいのが自慢)に数人で行ったときのことを考えると、みなさん、「江美ちゃんの焼き方がいい、うまみが逃げていない」とか、「ジワッとうまみが広がりますね」「コクがあるのに、くどくない」あるいは「あっさりしているのにコクがある」あるいは「サシが入っている割には軽い」「見た目より奥深い」などと種類の違う肉を焼いて食すつど思い思いの形容で肉の味を語っていました。

食の専門家による味の形容も同じようなもので、例えば、京大の伏木亨先生が書かれた『コクと旨味の秘密』(新潮選書)には、トロのうまさが油のおかげであることを説明するくだりで「トロを噛みしめた後、一瞬間をおいて舞い上がるようなおいしさが出現」「なんとも言えない絶頂感や高まり」といった記述があり、さらに霜降りのステーキのうまさを語る場面では「肉のうま味や塩味が一瞬後に舞い上がるようなおいしさの波に飲み込まれます」といった書き方です。こちらまで「遊牧」のシャトーブリアン(一頭の牛から1キロも取れない極上ヒレ肉)などを思い出し、一種の疑似体験ができます。

これは互いに日本人だからこそ楽しめる経験なのではないでしょうか。

一方、食について書かれた英語の記事を考えても、日本語でのような細やかな形容に出くわしたことがありません。よくあるのは、

It has a rich, creamy flavor that is deliciously earthy, nutty, and steak-like.

といったたぐいの言い方です。これはマッシュルームの味の説明ですが、「濃い、クリーミーな味わいで、ほのかな森の香りとナッツの風味、それにステーキの味が伴っている」という言い方は、味の客観的形容を羅列しているだけで、日本語と対照的です。

Brillat-Savarain の The Physiology of Taste (邦訳は確か「美食礼賛」)も、英訳という限界はあっても、ありきたりです。例えば、warblerという小鳥の肉のおいしさを形容している一句ですが、a unique flavor of such exquisite bitterness that it stimulates, satisfies and delights the organ of taste (他で得難い風味であり、その風味たるや味覚を刺激し、満足させ、堪能させてくれる、そういった実に繊細なほろ苦さだ)という程度です。百科事典的記述のレベルで、読んでいるだけで「ゴクリ」と生つばを飲み込んでしまうような臨場感を欠いているのが一般です。

これに対して、日本語の場合は、「うま味が口の中でゆっくりと広がる」「コクが深い」といった、官能的とでも言うのか、味の主観的形容であり、本当なら人それぞれであるはずなのに、日本人なら言われた方も「ああ、あの感覚、味覚か」とわかり、その体験を共有できる点が独特だと感じます。国語辞典も似たようなもので、『三省堂国語辞典』で「まったり」を引くと、語義は「こくがあって、ゆっくりと口の中で味わいが広がるようす」となっており、例文は「まったり(と)した、ふかひれ煮」となっています。自分だったら英訳をあきらめるような言い方です。

『コクと旨味の秘密』では北米・ヨーロッパ圏が油文化圏とすれば、日本を初めとするアジアはダシ文化圏だとしていますが、この違いが食べ物の形容の豊かさにも影響していそうです。

ところで、このように英語だと料理やその味の形容が限られているといった話で盛り上がっていたおり、londonsmile さん、さらりと「イギリスだと味より会話が中心という感じですね」とおっしゃっていたのが強く印象に残りました。と言うのも、イギリスを含めてのいわゆる西欧文化の中で、「人がなぜ同じ食卓を囲むのかと言えば、それは会話を楽しむことにある」とする The Rituals of Dinner という本の中の一節が頭に残っていたからです。

著者の Margaret Visser はカナダのヨーク大学で古典文学を教えている人ですが、彼女に言わせると、食事に招かれたら "everybody must talk during dinner" なのであり、そこでは、「単に食べるために食卓を囲んでいるのではなく、まわりの人々との会話を楽しむためにこそ集まっているのであり」その意味では、会話は、人々を食べ物より一段高い次元へと押し上げるための手段の一つだと説明しています。このくだりは、英語では、こうなっています。

Talking is of course one of the ways in which we "rise above food": we are not at table merely to eat, but in order to enjoy each other's company.

そして、Visser は、古代ギリシア人の例を引き合いに、こう続けています。

The ancient Greeks never tired of reiterating that "stomach" (gaster) was not enough, one needed "mind" (psyche) as well; that civilized people came together for each other and for philosophy, and not just to stuff themselves. 古代ギリシア人がしきりに言うことだが、「腹」だけで十分ということはなく、人は「内面」の満足を求めるものなのだ。文明人は、単に腹を満たすために集うのでなく、他とやり取りをし、哲学を究めようと集まるのだ。

日本人どうしの会食とずいぶん雰囲気が違うと思われませんか。結婚式で同じテーブルとなった人たちを見ていると、たいていはいっしょに来た人あるいは顔見知りとしか話をしようとしません。懇親会などでテーブルが一緒になった人たちを見ていても同じです。これに対して英語圏あるいは西洋社会での dinner は、dinner talk という言葉があるぐらいで、talk が命です。ですから、どこの国のとは言いませんが、ディナーに人を招待しておきながら自分は寡黙に徹するという「蛮行」を繰り返していた大使などは、相手国の外務省に召還を求められ、実際更迭されたという例があるぐらいです。

それはともかく、英語の世界では、どうやら「食べる」より「人と話す」ことにより大きなウェイトがあり、必然的に食べ物に向けられる関心の度合いが低まり、その結果、食べ物を形容する言い方も日本語の場合と比べて質量ともに異なる趣があるのだと言えそうです。なるほど、シェフどうしの会話ならありそうですが、大のオトナが食べ物の味をどうのこうのと大まじめに語り合っている姿というのは英語の世界ではイメージしにくい感じがあります。

ところで、この記事、同席したAJINOMOTOの方がこれからは Umami の時代ですよと強調していたので、そのことを取り上げようと思っていたのに書いているうちに、まるで違う内容になってしまいました。で、Umami は次回、取り上げようと思います。


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Comments

日向さん、こんにちは。

当方の観察では、こちらアメリカ人(中西部)も、食事は味わって食べている様子はありません。なぜか?逆説的になりますが、食べ物が日本に較べるとおいしくない、うまみというものが無いからだと思います。

おいしい、おいしく無いは個人の嗜好ですのでさておくにして、見聞する物からいくつか挙げます。

1.こちらの屋外の看板に、あるレストランの広告がかかっていました。巨大な写真でステーキのおいしそうなものでした。うーむ、これはどんな味わいのステーキかな、と思ってその写真の下に書いている文面を読むと、”Indulged(食欲を満俗させる)!”とありました。日本でも食べ物はまず空腹を満たす物ですが、レストランのキャッチコピーが「満腹に!」というのはあまり無いですよね。こちらでは、まず満腹になるのが第一義に来ているようです。

2.同じく料理の写真に多いのが、”Nutrition”という文字です。日本で見られる「健康のために...」のシチュエーションよりはるかに多く見られます。これも、味は二の次という考えが見られます。

3.テレビの料理番組をみてもショー化されて、料理人も喋り捲っています。日本もにぎやかな料理番組も増えてきているようですが、こちらは日本の料理人より数倍喋っています(料理Plateの前で、TH音やL音、PやTの破裂音を連発するのは唾が飛んでこないか心配になりますが...)。調理の音や香りを確認して、深い味わいの料理を作ると言う意識が低いようです。

その他、上げればキリがありませんが、どうやら単純においしい物が少ない--->食べながらでも喋れる(若しくはうまみの表現が少なくなる)という図式のようです。長期滞在されたら確認してみてください。

[返信]

なるほど、そうなのかも知れませんね。詳細なご報告ありがとうございます。しゃべりまくる料理人で思い出しましたが、ハワイあたりの高いお店だとウェイターが料理の説明をまくしたてますが、あれも味ではなく、ただの description ですよね。いろいろと考えさせられます。

こんにちは。突然、自分の名前を見つけて、びっくりしてしまいました。大変光栄です!(でも、やっぱり食べ物がらみですね・笑)

イギリスでは食事をする時に、きちんと会話をするのは当然なのですが、彼らは会話をしながら遅れずに食べることができるので、やっぱり味わっていないんじゃないかなーと思ってしまいます。会話についていこうとしながら味のことも考えている私は、食べ終わるのが最後になって、人をお待たせすることになってしまい、それもマナーとしてはあまり良くないようです。うーん、まだまだ学ぶことがたくさんありそうです。

味覚を表す日本語の多彩さを考えると、「美味しんぼ」という漫画なんかは、英訳しにくいでしょうね。英語にしにくそうなUmamiのお話、楽しみにしています!

[返信]

こんなに早くのぞいてくださるとは思ってもいなかったので、報告が遅れてしまいました。失礼しました。

「会話をしながら、みんなのペースから取り残されずに食べる」というのは大発見(?)ですね。改めて考えると、けっこう大変な芸当だと感じます。食事しながら会話は続けろ、でも口を開くなと注意する行儀作法の本はありますが、会話のペースを乱すなというのは見聞きしたことがありません。やはり、おっしゃるとおり、味わってはいなさそうですね。もったいないことです。

Umamiの件、調べてみたところ、NY TimesあるいはBBCなどで何度も取り上げられており、驚いています。

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