2009年2月28日
ことわざ、格言の使い方:社会言語能力の見地から
www.amazon.co.jpで、「英語 格言」で検索すると20冊以上、「英語 名言」で検索すると40冊以上、ヒットします。それだけ、英語の格言のたぐいに対する学習者の関心が高いということなのでしょう。しかし、実際の会話ではほとんど使われることがなく、いわば receptive な(聞いたときにわかればいい)ものにとどめるべきである点、注意を要するかと思います。あとで見る通り、会話の中で格言に部分的に触れたりする程度ならともかく、その格言をまるまる全部持ち出したりするのは、自然な英会話という視点からは「問題行為」なのです。
★ 格言は自分からは口にしないという暗黙の掟
英語の使い手には、自分の方からは格言などを口にしないという感覚があると言えます。この点、1974年発行のOxford Advanced Learner's Dictionary of Current English 3訂版の序文は痛烈です。Proverbsの項にあるくだりですが、格言、名言などは、表現こそツボをつく気のきいたものだが、内容としては人の営みについてのありきたりと言うか、言わずもがなのことだということを踏まえて、
They are thought of as the sort of remark that would be made by someone who is rather dull, someone who cannot express in his own words what he thinks or feels, but who has to borrow a proverb from the language to do this. 一般に、頭の回転があまりよろしくない人や自分の言いたいこと、感じていることを自分の言葉で表現できず、ことわざの力を借りなければならない人が使うたぐいのものとみなされている。
★ この暗黙の掟の認識は社会言語能力の一部
編集者の断定的判断とか独善的見解という話ではありません。ヨーロッパ共通参照枠のバイブルと言うのか原典と言うのか、Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment を細かく解説している A Guide for Users という解説書でも正面から指摘している話です。
英語を勉強しようという場合、語彙や文法を勉強しないと何も始まらないのは言うまでもありません。しかし、いわゆる「使える英語」つまりコミュニカティブな英語運用能力を身につけるには、これに加えて、言葉が社会の中で実際にどう使われているかを知り、それに即して英語を使う能力、すなわち「社会言語能力」も求められているのです。
文法に従って単語やフレーズを組み合わせていくと基本的な言語能力に加えて、社会言語能力も備わっている人というのは、より具体的に言えば、自分の言うことが社会のルールに照らして妥当かどうか、相手との関係に応じて言葉遣いを変えられるか、会話に参加している人々にとって共通の価値観、理解というものに気を配れるか、プレゼンなのか単なる歓談なのかに応じて話すスタイルを変えられるかという課題をすべてクリアできる人です。こう書くと何だかすごいことのようですが、実は、日本語の世界でも、きちんとした社会人なら誰でもこなしていることです。したがって、言葉が英語だからと言って、急にルールが変わるわけではありません。言葉が社会人どうしの関係を処理するツールである以上当然です。
★ 社会言語能力の内容
このような社会言語能力が具体的に問題になる場面として、上の A Guide for Users は、以下のような項目を並べていますので、それぞれがどうして大事なのかをざっと見て行き、その中で冒頭のことわざや金言につきどういうことが言われているのかを確認してみたいと思います。
社会的関係を示す言語標識 Linguistic markers of social relations
フランス語の tu と vous 、あるいは、日本語での「俺」「僕」「わたくし」のように、会話の当事者間の社会関係を示す言葉のことであり、社会生活上妥当な言葉遣いかを大きく左右する要素なので取り上げられています。
礼儀上の慣習 Politeness conventions
この手のものは日本語でも額面どおりに受け取ると訳がわからなくなります。例えば、人のうちに電話をかけたら子供が出たという場合、こどもは社会慣習に即した言葉遣いを知りませんから「お父さん、いる?」と言われたら、「うん、いるよ」で終わり、取り次ぐことに頭がまわらないのが一般です。したがってどんな言葉の世界でも、誤解の種となりがちです。
また、ロシアで英語を教えている教師が、Would you like to read page 5? という指示をしたのに、その子供が、No, I wouldn't. と答えたという例などもあります。
こういった事情から、言葉が実社会では、相手への気遣いから額面どおりの意味とは違う意味での使い方がされることに注意を向けよということになるのでしょう。
金言・ことわざ Expressions of folk wisdom
イギリス英語のちょっと古めかしい言い方に、It's not fair. を意味する、It's not cricket. という言い方があります。これなど社会的価値観として、公平がいかに重要視されているかを示していると言えます。このように、慣習上よく使われる言い回しには、その社会のメンバーたちに共通する感覚が盛り込まれているわけで、学習者としては、こういったものに対する問題意識がないと、相手の言わんとしていることの理解にも苦しみます。
他面、この手のものを暗記して会話にどんどん使うことで、相手との仲間意識を高められるかと言うと、そうではありません。A Guide for Users はこんなふうに説明しています。
In English, the cliché (proverb, etc.) itself is avoided in favour of an abbreviation or oblique reference, which may be opaque to a listener unfamiliar with the original, which is assumed to be common property. For instance, 'Ah, it's an ill wind', said with a rising intonation, indicates that there is a positive aspect to a bad situation, the words 'that blows no-one any good' being merely implied. 英語ではことわざなどを含め、陳腐な常套句をそのままで使うのは避けられています。その簡略形ないしは、遠回しにそれに触れる言い方が好まれるからです。そうなると、誰もが知っているとされているそのような言い方の元の形を知らないと意味がわかりにくいということにもなります。尻上がりの抑揚をつけて、Ah, it's an ill wind ( ↑ )と誰かが言えば、それに続くのが "that blows no-one any good" であるとわかり切っていることから、「どんな悪い状況でも何かしら救いはあるものさ」という言外の意味あいが伝わってくるのです。
このことわざは、It's an ill wind that blows no-one any good. であり、直訳すれば、「誰にもいいことをもたらさない風は邪悪な風」ということになり、転じて、「泣く子もあれば笑う子もいる」と「禍福はあざなえる縄のごとし」を足して二で割ったような意味の言い回しとして使われます。これをそのまま使ったんじゃ、芸がないということです。
言語の使用域の違い Register differences
教室外で使われる英語は、相手が誰か、テーマは何か、そして書き言葉なのか書き言葉という三つの要素の兼ね合いのなかで、具体的な言い方決まるものであり、こうしたことから生ずる言葉遣いの違いを指して、英語では register の違いと形容しています。会話の参加者は意識しているかは別として、こういった認識があるので、そこでの言葉遣いから、自分が置かれている状況を確認できるわけで、その意味で、学習者としても気をつける必要のある分野です。
具体的に register の違いがどう表れるかと言えば、CEFRの基本資料である、Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment では、複数の人が集まった場での、「いいですか、では始めましょうか」を儀式張った言い方から、アットホームな言い方まで、つまりフォーマルからインフォーマルへと並べると、こう変化するという例を紹介しています。
Pray silence for His Worship the Mayor!
↓
May we now come to order, please.
↓
Shall we begin?
↓
Right. What about making a start?
↓
OK. Let's get going.
↓
Ready, dear?
方言や訛 Dialect and accent
こういったものを手がかりに、人は、相手がどういう人であるかというイメージを持ったり、その他の価値判断をしたりしますから、やはり学習者としては意識しておくべき事項だとされています。経験的にも昔、英語ができないままテキサス駐在を命じられたエンジニアが強烈なアクセントの英語を習得した例を知っていますが、あれなど、自覚して使わないと出る場所によっては存在感を発揮しすぎて損をするようなこともあるでしょう。
(積極的になまった英語を習得する例がそれほどあるとは思えませんが)CEFRの資料では、なまっている言葉を習得するに当たっては、社会的な意味合い (social connotations) を意識しておく必要があるとしています。
この点、そうだろうなと思ったのが母校出身のジャーナリストの例。一時期、国際ジャーナリストということでよくお名前を見かけましたが、この方が意気揚々とパリに赴任したときの話です。母校はフランス人神父たちの修道会が経営していることで知られていますが、フランス人と言ってもドイツ語っぽいごつごつとして響きの、英語で言えば、guttural なフレンチを話すアルザス人。したがって、そんな神父さんたちから一生懸命フランス語を学んだ先輩のフランス語も当然アルザスなまり。ただ、悲しいかなその時点では本人は気づかなかったようです。そして、パリ駐在を命じられ、いよいよフランス語を活かせると乗り込んだところ大ショックに見舞われます。いく先々で、アルザスなまりのフランス語を話す日本人というのも珍しいですねと言われ、初めて自分のフランス語が標準語ではないことに気づかされたのです。
★ さいごに
英語を勉強されている方々は文法や単語中心の受験英語がたたって、ある言い回しが実際に使う場面でどう受け止められるのか、どういうインパクトを発揮するのかまで気を配らない傾向があるようです。もちろん萎縮してしまって、「これ言って大丈夫だろうか」などと過度に警戒するのも問題です。向こうだってこちらが達人でないことぐらいわかっていますから、まともな人であれば大目に見てくれるはずです(ただ、それにいつまでも甘えてもいられません)。
結局、大事なのは、言葉というものはその額面通りの意味あいだけで済まず、実質的な意味あいも重要だということで、社会言語能力なるものが取りざたされるということではないでしょうか。
つまり、英語を受験英語的に知識の体系として捉えるのでなく、実際に使われている姿を知り、それを会得しようという以上(つまりコミュニカティブ英語を習得しようというなら)、第一に話し手がどういう「意図」でその言葉を使っているのか、第二に、その言葉が聞き手にどう響くかという「相手への伝わり方 = effect」、そして第三に、フォーマル/インフォーマルかという、その状況での言葉の「妥当性」の三つに目を配る必要があります。
こうした目で見ると、ことわざの引用における話し手の「意図」は、そのことを通じて、「ね、わかるだろ、あれだよ」的な仲間意識の確認にあると言えます。また、話の中で、
Can I make a request? (ひとつ、お願いがあるのですが)
と言ってもいい場面で、
I was wondering if I could make a request?
と言ったりすれば、相手は、「この人ずいぶんと丁寧なものの言い方をするもんだ、フォーマルな姿勢を打ち出しているんだな」という形で受け止めるものです。
このような、話し手の意図、相手への伝わり方(相手にどう響くか)、状況に合わせた硬軟両様の使い分けというコミュニカティブ英語の柱は、受験英語が主流のわが国では当然英語教育の中でも取り上げられることが少ないので、学習者がいわば自助努力でカバーしなければならないのが現状です。
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Comments
こんにちは。
たしかに格言やことわざをえらそうに言っても「知ったかぶり」と思われるかもしれませんね。
私だったらちょっとひねってジョークっぽく使うでしょうか。
たとえば When in Japan, do as the Japanese do(^^)
とか。どんなもんでしょう。
[返信]
なるほど。
- みゆき
- 2009年3月 2日 13:14
こんにちは。
昔 (1970年代あたり)の中学校・高校には英語の諺で生徒を煙に巻くのが好きという先生がたいてい1人はいたように思います。
幸い若いうちに見た作文の参考書に
「cliché には手垢が付いている。使うな」
という記事があったので、その後英語を読むにあたって
「なるほど、たしかに(そのままの姿では)使わないものだ」
と意識することができました。
余談ですが、中国語では全く様子が異なり、四字熟語や故事成語は使えるところでは片っ端から使う趣があり、外国人学習者にとっては相当苦労するところです。教師が言うには、相互の誤解なく意思疎通するにはとても有効だとのこと。こんなことも社会言語能力の重要さを示していると思います。
[返信]
クリシェを警戒せよと説く参考書と言い、中国語でのご経験と言い、言葉というのは本当に教室外で得る情報がものを言うのだと改めて感心しました。ありがとうございます。
- Shira
- 2009年3月 2日 10:04
確認ですが、
>Can I make request?
は、Can I make a request?の誤植ですよね?
もちろん、そのすぐ後に
>...make a request?
とあるので、ケアレスミスであることは明らかなのですが...。
[返信]
ありがとうございます。直しておきます。
- こんにちは
- 2009年3月 1日 11:04
日向先生
いつも多方面に渡る興味深い記事をありがとうございます。
「格言をまるまる全部持ち出したりするのは、自然な英会話という視点からは「問題行為」なのです」というお話、その通りだなと思いました。ドラマを見ていても、ことわざや格言が「完全にそのままの形」で出ているものはないようです。
「フレンズ」の話になり恐縮ですが、A watched pot never boils. ということわざをもじったジョークが2回出てきました。
1. 空の鍋の中にポケベルを入れた状態の時、Y'know, they say "A watched pot never beeps." 「鍋を見つめてたって、ビープ音は鳴らないわよ。」
2. 今か今かと人を待ってドアをじっと見つめている時、"You gotta stop staring at the door. It's like a watched pot. You know, if you keep looking at it, then the door is never gonna boil." 「ドアを見つめるのをやめなくちゃ。「見られてる鍋」みたいなものよ。ほら、それをじっと見てたって、ドアは沸騰しないんだから。」
元となることわざの完成形とその意味を知らないと、その2つのジョークの面白さがわかりませんよね。(さらに、コメディの場合は、そのシーンの前後の状況と、そのキャラクターの性格を知らないと、余計に面白さが伝わりにくいです。)
実際の会話では、その格言をそのまま使うことはなく、その格言を当然知っているという前提条件の下で、それを変形させたジョークとして使われたりすることが多いように思います。イディオムも、イディオムとしての意味と、直訳した意味とをかけたダブルミーニングとして使って、ジョークにすることもよくあります。(コメディを見ているので、やたらとジョークがらみになってしまうのかもしれませんが。)
日本人英語学習者は、ことわざや常套句を英語の知識として暗記することで安心してしまう傾向にありますが、実際の会話でその知識を披露するだけでは、まさに「芸がない」ことになってしまいますよね。
私自身、英語の格言に焦点を当てて学んだことがないので、格言の知識がそれほどあるわけではありません。ですから、セリフの中でもじった形で出てくるとピンと来ない部分も多いのですが、キーワードとなりそうな言葉をネット検索することで、「元の格言はこれか!」と探し当てることも現代のネット環境では可能です。ノンネイティブにとっては「格言そのまま」でないだけに聞いた瞬間にはパッとわからない、でも、そのままの形ではなく、少しひねった形で出てくるところが一歩進んだネイティブの会話なのだ、ということに気付くことができ、とても面白いなと思います。日本語でも、「噂をすれば(何とやら)」みたいに上の句だけで止めることも多く、「みなまで言わない暗黙の了解」というのも、会話を楽しむ上で大切な部分ですよね。
[返信]
「元となることわざの完成形とその意味を知らないと、その2つのジョークの面白さがわかりませんよね・・・実際の会話では、その格言をそのまま使うことはなく、その格言を当然知っているという前提条件の下で、それを変形させたジョークとして使われたりすることが多いように思います」という点、まさにそのとおりで、本文でもそれを言いたかったわけです。そして、つまるところは、「日本語でも、『噂をすれば(何とやら)』みたいに上の句だけで止めることも多く、「みなまで言わない暗黙の了解」というのも、会話を楽しむ上で大切な部分ですよね」という点も、結局、そこがオトナの会話ということなのでしょう。
なんだか、学生から自分のものより上出来なレポートを頂戴したような妙な気持ちにもなりますが、意とするところを余すところなく汲み取っていただき、うれしく思います。
なお、A watched pot...は、The New Dictionary of Cultural Literacy の Proverbs の項に入っていましたから、ネイティブとしての最低限の教養を考える人たちにとっても、「この程度は」というレベルのことわざであることがうかがえます。
- Rach
- 2009年3月 1日 09:29

先日、英語の名言やことわざの使用について自分のブログで取り上げ、「個人的にはほとんど聞いたことがないが、日常生活では実際どれくらい使われるものなのだろうか」といった内容のことを書きました。
今回、貴ブログを久しぶりに訪れたら(怠惰な読者ですみません)、まさに自分が抱いていた疑問に対する解答がありました。「社会言語能力」の話など、なるほどと思ってじっくりと拝読させていただきました。今後も、こうしたお話を取り上げていただければ、と楽しみにしております。
[返信]
ありがとうございます。子守男さんのような問題意識の鋭い方のニーズに応えることができ、なんだかうれしくなります。社会言語能力の話、自分でも興味を持っているので、また取り上げてみましょう。