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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2009年7月27日

インテリ vs 知識人

世の中、英語がわかっている人どうしの会話では、「あの人は(高学歴という意味で)インテリかも知れないけれど、intellectual とは言いにくいんじゃない」といった話が出るぐらいですから、インテリと intellectual とは区別されています。

ところが、『ロングマン英和辞典』で intellectual を見ると、「知識人、インテリ」となっており、この「インテリ」を『三省堂国語辞典』で引くと、「知識階級(の人)」となっています。

しかし、「知識階級の人」と言われても、どうもピンと来ません。とりあえず教師など知識階級とされるのかも知れませんが、大学から小学校まで、頭脳労働かも知れないが、ただの勤め人というのが大半でしょう。特にフルタイムの教員だと、部活の世話やら会議などの外部からのしばりで、自分の時間どころではなく、したがってものを考える時間すらないのが普通だと思います。

一方、十把一絡げにして、知識階級に属するから知識人だという区分の仕方もずいぶんと乱暴で、役立ちそうもありません。

もともとは前回の記事で述べたとおり、特派員の翻訳上 intelligence の話が知性の話にすりかわっているのがおかしいということから出発したわけですが、英語で言う intellectual つまりは西洋の伝統的知識人がどういうものであるのかをちょっと確認しておこうという気になりました。(便宜上、ここでは intellectual = 知識人とします)

確認と言ったのは、実は、この方面の本を読んだことがあるからで、イギリスのケント大学の社会学者、Frank Furedi が書いた Where have all the intellectuals gone というものです。本そのものは、知識人/教養人とは何かを追求したものではなく、普遍的真理を追究するための知識というアプローチに代わって、その知識が何かの役に立つのかを判断基準とするアプローチが大学を初め、社会のあらゆる部面で普及しているのは問題だという内容です。ただ、その中で、当然の成り行きとして、知識人の輪郭を描いてくれているので役立ちます。

Furedi の見る所、知識人というのは、第一に職業ではなく、行動様式により、第二に自分を客観視する点で、第三に真理の追求が典型的だが、一定の価値・理想を追うということにおいて、他と違うのだとしています。

第一に職業とか学歴といった人に付帯する属性ではなく、どう行動するかが問題なので、教師であるとか、ホワイトカラーであるとか、つまり頭脳労働に携わっていれば知識人というものではありません。

この点は、スケジュールがあったり、営利追求等の組織に属することによる制約があっては、自由にものを考えるどころではありませんから、納得できます。

一方、行動が求められるというのは、単にぼんやり「こうだろうか、ああだろうか」と考えているようでは駄目で、社会の一員として社会に役立とうという意識を持ち、思考の結果として、社会に働きかけることが要求されると言います。

ですから、山などに引きこもって独り思索にふけるのは、Furedi の目には正しい、よき知識人とは映らないようです。

大所高所に立って、社会全体としてこうあるべきだ、あああるべきだと考え、それを一般に明らかにして、働きかけねばならないのです。

第二に、自分を客観視できるというのは、

An intellectual is a person whose mind watches itself.

と、アルベール・カミュが言ったことと重なります。

第三に知識人をそうでない者と識別する指標は価値の追究です。どこのラーメンが一番うまいかといった話ではなく、何しろ西洋における intellectualism の源流は18世紀の啓蒙主義に求められますから、一定の理念や真理の追究に打ち込んでいないようでは、知識人と呼んでもらえません。

ただ、この場合の真理と言うのは、私の理解では宗教の人たちが言うような超越的存在だとか絶対的真理といったものではなく、the art of thinking ということである logic により到達ないし認識可能なことの実相と言うのか、要するに actuality ( = thing as it is known)です。だからこそ、この Logic は、thing as it is symbolized を司る Grammar ならびに thing as it is communicated ともどもリベラルアーツ教育の柱とされてきたのだと解されます。

なんであれ、以上を要するに知識人の要件は、(1)社会的な目的意識をもって行動し、(2)自己を客観視する能力があり、(3)ものごとのあるべき姿を捉えようとする、の三つにまとめることができます。

ここで果たしてわが身が知識人と言えるのかという大それたことを考えるに、第一に、日本人の英語力を押し上げたいという気持ちをもって辞書や本を書いていますから、要件の一は満たせます。第二も、まだ勉強が足りんなとか、まだ一流とは言えんなとわかっていますから、大丈夫そうです。第三は、うーん、微妙です。なぜ日本人の英語力は水準以下なのか、国際的に通用しないのかという問題意識から、あれこれと本を読み、日本人の英語力の「実相」を解明しようとは努めています。しかし、本来、Logic が 「概念を操作して判断に至り、その判断を三段論法で組み立てていき、その連鎖により真理に至る」 (Sister Miriam Joseph の The Trivium: The liberal arts of Logic, Grammar and Rhetoricによる定義)であることからすると、そのレベルのはるか下の方をうろうろしています。

結論は、もうちょっとで知識人だけれど、惜しいかな、まだということです。


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