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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2009年11月10日

懐かしのフィリップス曲線

今を時めく勝間和代さんがTwitterでこうつぶやいていたと言うより、ぶちあげていました。

まずは、すべてのリーダーたちが、フィリップス曲線を理解すること。デフレは失業につながります

「フィリップス曲線かあ。いや、懐かしいな」が第一印象で、次に、まだこんなものが取りざたされているんだと驚きました。

Twitter で、勝間さんは、「フィリップス曲線の説明はこちら。 http://ow.ly/xruS」と追加しているので、そちらを見ると、「経済学においてインフレーションと失業の関係を示したもの。 アルバン・ウィリアム・フィリップスが1958年の論文の中で発表した。 縦軸にインフレ率(物価上昇率)、横軸に失業率をとったときに、両者の関係は右下がりの曲線となる」という説明になっています。

察するに、デフレ(物価の全般的下落)は失業を増やし、景気を悪くするから、わが国のリーダーたちは、以下の形をしているフィリップス曲線が示すトレードオフを念頭に置きながら積極的にインフレ(物価の全般的上昇)となるような政策を支持し、推進し、もって失業を減らしなさいという趣旨のつぶやきなのでしょう。

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昔、米系証券会社や投資銀行の翻訳を引き受けていた頃、どのエコノミストのレポートにも始終、 このフィリップス曲線の「後身」である NAIRU(注)がやたらよく登場していた関係で、おのずと NAIRU の前身である フィリップス曲線も調べたりしたもので、それで「懐かしいな」と思ったわけです。

[注記 The Economist 誌が監修しているオンライン版経済用語集は、フィリップス曲線が想定しているインフレと失業率との相関関係が認められなくなってからは、エコノミストたちはもっぱら NAIRU (non accelerating inflation rate of unemployment = インフレを加速させずに済む失業率)に目を向けているとしています]

「まだこんなものが」と思ったのは、とっくに淘汰され、表舞台から消え去ったモデルというのが自分の理解だったからです。勝間さんのような有名な経済評論家が言うのですから、その後の研究で「実は、フィリップス曲線、使えるじゃないか」みたいな話になっているのでしょうが、私が最後に触れた資料では、フィリップス曲線は過去のものとされていました。

そもそもフィリップス曲線が一時期取りざたされたのは、本当にフィリップス曲線が示すとおりなら、政策当局もこうした曲線をにらみながら、「失業率を改善するためにはこのぐらいの物価上昇は許容してもいいのでは」といった判断ができ、好都合だからです。

ところが、アメリカでのインフレと失業の推移を実際にプロットしてみた以下のグラフを見てわかるとおり、長期的にインフレが進行している場合、失業は減るはずなのに、実際には失業が増えているのを見て取れます。65年当時の2%弱というインフレ率が80年時点では12%超と上昇している訳ですから、セオリーどおりなら失業率が低下するのを反映して、この80年の点は65年の点の左側に来るはずです。ところが、ご覧のとおりそうはなっておらず、逆にインフレで失業が増えるという構図になっていますから、「デフレで失業が増える」とか、その反対に、「インフレで失業が減る」と説くのはまさに机上の空論ということになります。

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このあたりのフィリップス曲線に対する受け止め方の変化をアメックスのチーフエコノミスト John Calverley は The Investor's Guide to Economic Fundamentals という本の中で、こう説明しています。

However, in the late 1960s and 1970s both inflation and unemployment rose to higher levels and it became clear that such a choice does not exist over the long run.  ところが 1960年代の後半から1970年代にかけて、物価上昇率と失業率がともども上昇してしまい、長期的には、こうした(インフレと失業率のトレードオフに基づいた)選択などできないことが明らかになった。

このようにインフレと失業率とが、一方が上がれば他方が下がるといった関係にあるとしても、それは一時的なものでしかないという点はミルトン・フリードマンやエドムンド・フェルプスのような超大物経済学者(フリードマンは1976年に、フェルプスは2006年にノーベル経済学賞を授与されている)が各々別の論文を通じて指摘し、上でも触れた 1970年代のスタグフレーションがこれを実証することになりました。このことを、Todd G. Buchholz の From Here to Economy: A shortcut to economic literacy (注)は、これまた大物経済学者のサムエルソンがフィリップス曲線に基づいた処方箋を示していたものだと紹介したあと、こう説明しています。

Then the magic wore off the Phillips curve. Milton Friedman and Edmund Phelps persuaded the economics profession that the Phillips curve menu was only a temporary trade-off--that ultimately, government spending to cut the unemployment rate would only push prices up but not push unemployment down. ところがその後、フィリップス曲線の神通力が失われることになる。ミルトン・フリードマンならびにエドムンド・フェルプスの論文により、フィリップス曲線に基づく政策上の選択肢は飽くまで一時的なものに留まるという見方がエコノミストたちの間で広く受入れられ、失業率の低下を期した財政出動は専ら物価を押し上げるだけで、失業率を押し下げることにはならないという見方が通説化した。

[注記 Todd G. Buchholz はそのうち連銀理事になるだろうと言われている著名なエコノミストで、一時ハーバードで教えていた他、ホワイトハウスで経済担当のシニア・アドバイザーも務めたことがあるだけに、理論と実際のバランスを感じさせ、説得力があります。著書はどれもお勧めですが、経済の入門書ということであれば、前掲書がイチオシです]

ところで勝間さんは、リーダーたるものフィリップス曲線がどういうものか知っておけと強調されていますが、みずからの経験をもとに「フィリップス曲線なんかやめとけ」と言っているリーダーもいます。Buccholz が引き合いに出していますが、1970年代のイギリスで労働党政権を率いたキャラハン首相です。いわく、

We used to think that you could spend your way out of recession and increase employment by cutting taxes or boosting government spending. I tell you, in all candor, that that option no longer exists.  われわれは、減税をし、あるいは、政府支出を拡大すれば、リセッションから抜け出せると考えるのが常でした。しかし、意外に思われるかも知れませんが、率直な話、もはやこうした選択はありえないのです。

というわけで、あるいはこちらの知識が陳腐化しているのかも知れませんが、知る限りにおいては、フィリップス曲線は経済学説史上の遺物でしかありません。ところが、先日、勝間さんが管副総理の下に出向いてデフレ対策のためのプレゼンをしたときの資料には、「デフレで失業が増える、というのは経済学の常識です」と書いてあります。Twitterでの発言をも加味すると、これは本気でフィリップス曲線のリバイバルを図っているようです。ただ、何しろ、副総理に直接会ってデフレ対策を説くような雲上人ですから、あれこれ言ったところで始まりません。ここは、Let the facts speak for themselves. と申しあげて終わりにしておきましょう。

追記:勝間和代さんはお名前こそよく見聞きするものの、どういう方なのかはさっぱりでした。そこで、ちょっとネットで調べてまわったところ、この“勝間和代ブーム”のナゼ?が一番読ませる内容でした。精神科医の書かれたもので、最後に出てくる「言論人としての信頼感」というフレーズがなぜか胸に落ちました。

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Comments

先にお送りしたコメントでお名前をミスタイプしてしまいました。大変申し訳ございませんでした。

また、後ろから2つ目のパラグラフは、失礼かもしれませんので、ご判断で削除していただいても結構です。

確かに、フィリップスが想定したのは(名目)賃金上昇率と失業率ですが、既に第二次大戦後に、サミュエルソンらによって(名目)賃金上昇率を(名目)物価上昇率(インフレ率)に置き換えた「修正フィリップス曲線」が使われ、むしろこちらの方が以前から普通に使われてきています。日高先生のエントリーで引用されているグラフもこちらを使われていますね。失業率も、GDPギャップとリンクしていることも論を俟たないと思います。

少々誤解があるように思うのですが、観測されたデータから失業率と(名目)インフレ率との間の関係が明確に見られないからといって、それはフィリップス曲線自体が過去の遺物であることを全く意味しません。むしろ、観測データできれいな右下がりの関係が見られたのですから、両者に何か関係があると見るべきで、それが1970年代以降なぜ崩れたかを説明するのがフリードマン等を含めた専門家にとって課題だったはずです。

勝間氏が言いたかったことは「デフレは失業につながる」ということですし、それ自体間違っているわけではないです。しかし、そのような関係があることを(特に日本の?)リーダーが必ずしも理解していないと思われるからこそ、勝間氏はTwitterに書いたのではないでしょうか。デフレと失業との間に関係があることをよく知らない人間に向かって言っているのですから、その関係の存在を平易に説明したフィリップス曲線の概念をまず理解するよう求めているのではないでしょうか?もちろん、勝間氏の理解度や意図は測りかねるところがあるので断言はできませんが、少なくともその可能性を考えてみるべきではなかったのでしょうか?勝間氏が持ち出したWikipediaのフィリップ曲線のページにも、現実に観測されるデータからは短期的には必ずしも右下がりの曲線がないことが書かれているので、勝間氏がその点を全く理解していないとは言いきれないと思います。勝間氏も、「フィリップ曲線を理解すべき」といっているのであって、「観測されたデータでは、(名目)インフレ率と失業率は常に右下がりの関係にある」とは言っていません。

むしろ、私が危惧しているのは日高先生のエントリーのほうです。大変失礼ながら、ご専門でない事柄に口を出して、一本取ったつもりが却って墓穴を掘っていることになりかねないのではないか、と心配するのですが・・・。

また、社会現象にしろ自然現象にしろ、現実の世界はAll other factors are never equal.であるのが通常であり、おそらくほとんどの専門家はそれを否定しないと思います。しかし、「他の条件が一定」であることを仮定しなくては、事物の間の関係は捉えられないのではないでしょうか?科学者がなぜ実験が行い、そこに新しい発見を見つけようとするのかを考えればそれは明らかだと思います。経済の場合、実験がしにくいことが大きなネックなのですが。長文になりすみませんでした。

[返信]

ありがとうございます。

「フィリップス曲線は経済学説史上の遺物」というのはちょっと言いすぎでしょう。確かに、実際の失業率とインフレ率のデータだけでグラフに示した伝統的なフィリップス曲線では、既に1970年代にはこの関係は崩れていますが、フリードマン等も期待インフレ率の変化にその原因を求めています。かつての伝統的フィリップス曲線は理論的裏づけがなかったわけですが、現在では、例えば以下に見られるように、インフレ率と失業率(あるいはGDPギャップ)の関係は理論的に取り入れられ、政策の現場等でも考慮されています。
http://www.boj.or.jp/type/ronbun/rev/data/rev05j06.pdf
実際のインフレ率だけで実際の失業率を説明しようとするのはミスリーディングでしょうが、他の条件が一定であることを前提とすれば、勝間さんの行っていることが間違いとは言えないでしょう。

[返信]

勉強になります。ありがとうございます。ただ、示してくださった日銀の資料で言う曲線は要素がフィリップスが想定した賃金上昇率と失業率という組み合わせから考えるとかけ離れており、同一性があるとは考えにくいのではないでしょうか。また、経済の専門家が好きな「他の条件が一定」という仮定については、All other factors are never equal. と思っていますので、これまた、どうなんだろうなと感じます。

日本のフィリップス曲線は安定していてあまりに見事なので,Gregor Smith という経済学者がこんな冗談みたいな論文を書いています。

Japan's Phillips Curve Looks Like Japan
Journal of Money, Credit and Banking (2008) 40, 1325-1326.

http://economics.sbs.ohio-state.edu/jmcb/jmcb/07224s/07224s.pdf

[返信]

コメントありがとうございます。これ、見たことがあります。ロールシャッハみたいな奴ですよね。カナダのそれはカナダらしい形をしており、また、フリードマンだかが言っていた縦軸にそう形の、修正版フィリップス曲線は南米のチリの形にそっくりだという話もあるようです。

http://www.marginalrevolution.com/marginalrevolution/2007/11/rorschach-econo.html

おっしゃるとおりです。
何故、直近のデータではなく、
40年前のデータを持ち出してくるのか。
「推論」や「思い込み」の意見は禁物という
良い例だと思います。

[返信]

本当に不思議です。あんな優秀そうなお方が・・・

「自然失業率を越えて完全雇用を目指そうと財政出動などの総需要政策を続けると物価上昇と失業率の拡大が同時に発生する。これをスタグフレーションと呼ぶ。」というのは約30年前に現実に起きたことで、フィリップ曲線の有効性は歴史によって否定されたものとばかり思ってました。

 デフレは需要を減らすので失業率の上昇につながるからその対策をしっかりしなければいけないというのは間違ってないと思いますが。

[返信]

コメントありがとうございます。

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