HOME英語ニュース・ビジネス英語
 
 


日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2010年1月14日

「会話力を含めての英語教育」

13日付けの朝日新聞の朝刊で、往年のベストセラー、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者、エズラ・ボーゲルが、インタビューに答えている中で、わが国の大学における英語教育につき、「会話力を含めた英語教育が足りないからだ」とずばり指摘していました。やっぱり見ている人は見ているんだというのが感想。

ひところはそりゃナンバーワンだった日本も今ではGDPで中国に抜かれようとしていますよね、と聞き手が水を向けると、ボーゲル先生、「日本には競争力があるサービス産業や、高度な技術が必要だ。しかし、そのもとになる国際競争力のある大学が日本には少ない」と応じた上、「なぜでしょう」という問いかけに対して、次にように続けます。

「大学教育に、会話力を含めた英語教育が足りないからだ。国際的に一流の人間を集めるためには、英語が必要だ。日本の取り組みは、全く不十分だと思う。[中略]日本は一流校でも英語が本当にうまい人は少ない」

これを読んで、「会話力を含めた英語教育」という一句がことの本質を突いているよなと感じました。大学の英語教育の実態はネットから簡単に見られる講義要綱を拾い読みすればわかりますが、どこも基本的に読めればいいという受信型中心で、プレゼンやライティングをこなせるところまで持って行こうという発信型は少数派です。その中で、正面から「英会話」に焦点を当てているような授業はさらに少数派で、しかもネイティブを講師に充て、内容は講師任せというのがほとんどだと承知しています。大学では、体系的に「英語で話すということはどういうことなのか、話せるようになるにはどうしたらいいのか」が教えられていないのが一般なのです。

これは英会話学校や英会話本も同じですが、「英会話」を学べるかのようにうたっていても、内容はフレーズ集の伝授で、こういうときはこう言うんだよ的な内容でおしまいです。この程度では、自動車の仕組みや運転の仕方を教えるだけで、公道に出て走るための訓練をしない教習所みたいなものです。英語も脳内リハーサルでもいいから教えられた手順の中で使ってみる経験をしないと、歩行者や他の車のいない教習所内だけで練習するのと同じで、ものの役に立ちません。

結局、わが国の英語教育を担う側に欠けているのは、英会話つまり「英語で話す」ということがどういうことなのかに対する認識です。コミュニケーション能力と会話力が一緒のものと勘違いし、あるいは、ひととおり文法を会得した上、語彙力を高めればおのずと高度の会話力が身につくと勘違いしている人が多いのもこれが原因です。「なぜ日本人は英語が出来ないのか」的な本を読んでも、会話というものがどういうものかという問題意識を見受けることはできません。

実は昨日、コミュニケーションがご専門の先生(姿は日本人ですが、なぜか日本語が話せない不思議な方です)とランチをご一緒したのですが、日本では英語での話の運び方が教えられていない、あれではいくら単語や文法ができても駄目だということで意見が一致しました。

英語での話の運び方ないし手順がわかっていないので、セミナーでの質疑応答における質問ひとつロクロクこなせなかったらり、あるいは先日の記事で取り上げたように、日本語の流儀をそのまま持ち込んで相づちを打ちまくったりすることになります。

そもそも、こういった英語での話し方ないし手順は、文法や単語を駆使して実際に話す前提条件、すなわち、新たに仕入れた言い回しなどの知識を自分の既存の知識の体系に当てはめて整理するための「スキーマ」を言っているわけですが、いろいろと英会話本を集めて研究しても、こういうごく基本的な手順を説明しているものがありません。一方、英語の本としては、Conversation Analysis や Discourse Analysis が盛んになってきているのに応じて、英語で話すということがどういうことかの解明が進んでいるというのに、どうして、こういうまともな本が訳され、普及しないのだろうと不思議です。

ここで、英会話を理解するためのスキーマというのは、例えば、会議などで参加者が各自報告するようなケースで言えば、たいていは、最初に、現況はこうだと現在形で語り、次いでこれまでの経緯はこうこうと過去形で語り、最後に見通しはと未来形で語るのが一つのパターンになっています。また、ディスカッションの場合も、誰かが何か打ち出し、それに対して他の人がリアクションを示し、然る後に賛成だ、反対という論議があり、さらには個人主義とでも言うのか、大した意見のない人までもが何かしら気の利いたコメントをしようとするのが一つの流れです。話から話へと切り替わるときも、英語の場合は、ディスコース・マーカーを使って、いちいち切れ目を明示してから、次へと進みます。終わるときも同様で、終わりに向かうための手続を経て、初めて本当の終わりが告げられるという流れがあります。(日本語の場合は、当事者が対峙しながら、Legoブロックを協力して積み上げていく英語の流儀と異なり、みんなで話の流れを見きわめつつ、その流れに身を任せて何となく進むので、こういった英語で話すときの流儀は問題意識がないとまずは見えません)

こういった流れないし構図を知らないと、いくら文法力や単語力があっても状況がつかめませんから、参加しようにも参加できず、あるいは無理に参加すると場を乱すことにもなり、嫌がられるだけです。スキーマという名の地図を持たない旅行者は、住宅街に迷い込んだり、果ては、知らぬ間に人の家に上がり込んでしまうわけで、それと同様、迷惑をかけるだけの存在です。

しかし、このように英語で話すためのスキーマの理解は英語をまともに話す上で不可欠だというのに、これが大学レベルで教えられる日が来るようにも思えません。すなわち会話力を含めた充実した英語教育が大学で行われることは期待できそうもありません。やはり大学の教員、特にフルタイムの教員は研究と教育を担っているとの自負があるわけで、そういった知識の体系を重視するメンタリティーからすると、英会話などという日常生活レベルのスキルは大学で正面切って取り上げるようなものではないと映るのではないでしょうか。

*******

hand_right.gif人気ブログランキングへの一票、どうぞよろしくお願いします。人気blogランキングに一票

Trackbacks

Trackback URL: 

Comments

日向先生:

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
2010年も先生のブログを通して、最近の英語事情を学んでいきたいと思っています。よろしくお願いします☆

さて、卑近な例で恐縮ですが、年末の紅白歌合戦で某男性歌手が、英国の女性歌手をエスコートした際の"Thank you for coming all the way to Japan"が通じなかったのにはバックグラウンドはいろいろありましょうが、英語圏の人に日本人の英語がすぐに分かってもらえない状況が良く現れていると思います。

会話力を含めた英語教育の足りない、には至極ごもっともだと思います。 いろいろな国の人の英語の発音があります。もっと前に出る英語を私達は話せるようになりたいものです。

[返信]

あけましておめでとうございます。

「もっと前に出る英語」っていいですね。ただ、タイミングや流れを無視して前に出るのも困るわけで、このあたりをどうお伝えしたらいいのだろうと目下いろいろと考えています。

はじめまして。
日向先生のBlogは平素から興味深く読ませていただいており、また、著書にも大変お世話になっている読者です。

今回の先生のご主張はもっともな主張ではあります。しかし、「日本に国際的に通用する大学が少ない理由」についての根本的な問題ではないと思います。そこで、あえて反対意見(別の意見)を述べたいと思います。

英国Times誌の世界大学ランキングなどにおいても、日本の大学は非常に影が薄いわけですが、これは、「国際的に観点から高い研究や教育を提供しうる大学がそもそも少ない」、という一言に尽きると思われます。学ぶべきこと・研究すべきことがそもそも乏しければ、優秀な留学生など集まるはずはありません。日本の大学の国際競争力に関しては、「会話力を含めた英語教育」で解決できれば良いのですが、事態ははるかに深刻だと思います。

私の問題意識は、David Askew(立命館大学)という方が簡潔に言い表しています。
http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/57304.pdf

上記pdfより引用いたします。

(引用始まり)
思うに国際大学には少なくとも二種類ある。一つは研究や教育における国際基準,グローバル・スタンダードを把握し満たそうとする大学,つま り本来の意味での国際大学であり,国際社会においても競争力を(少なくとも潜在的には)もつ大学である。また一つは「国際結婚」のような用法で,外国人教員が一人でも,外国出身の学生が一人でも多くいて,一部の授業を英語で行う「国際」大学で,国際基準(中でも研究力や教育の質)とは何ら関係のない,日本にしか通用しないような「大学」だ。皮肉なことに,「国際」といえば「国内」学生が集まるだろうという安易極まりない発想で,つまり非国際的動機に基づいて,「国際」という言葉が乱用されているのだ。
(引用終わり)

また、日本のTopである東京大学でさえも優秀な留学生(中国)が減少しているようです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20081209/179546/?P=1&ST=sp_fl


[返信]

日頃からこのブログを読んでくださっている上、拙著まで買ってくださっているとのこと、まずはお礼申しあげます。

さて、おわかりでしょうが、このブログの性格上、大学での英語教育に焦点を合わせただけの話で、ボーゲル先生のインタビューも、そのあとで記者が「問題は英語だけですか」という問いに答えて、最近、日本人は内向きになっているが、もっと海外で挑戦する気概が必要だとか、日本はまだ覚えるために勉強しているが、想像力とか新しいものを発見する精神が足りないし、子供たちが塾と学校の両方に行って同じことを繰り返しているのは能率が悪いと指摘しています。

挙げてくださった資料は国際化という言葉の使われ方に対するひとつの視点として鋭いものがありますが、私の視点からすると大学が抱える根本問題は別のところにあります。

私個人は、日本の大学は最高学府としての任に堪えられるよう、これからの時代に何が必要かを大学全体として考え、それに合わせて個別のコースや学部教育が目指すものを修正すべきなのに、大学の自治、教授会の自治に縛られ、教員が自分のタコツボに安住することを許しており、進歩がないと見ています。

特に英語教育はどこも共通の指標で進捗度、達成度を測ろうともしないわけで、その結果、当然、卒業生の英語力についても客観的な尺度でレベルを対外的に保証することもおぼつかないわけで、原始的です。

これからの時代つまり知識基盤社会を担う人にどのような資質・能力が必要かについては既にOECDが(1)言語などのツールをインタラクティブに使える力(2)異質の人々を受入れ、つきあえる社会を形成する力(3)個々人が自律的に判断し、責任をもって行動できる力を要素として挙げた上、この三つの力を総合的に運用できるコンピテンシーが必要だといるのですから、こういったものをにらみながら、しかも日本人らしさを織り込みながら現代の国際社会で通用する大学教育を施してもらいたいものです。

台湾に行くと日本語を話すお年寄りが多いんですよね。日本統治時代に日本語教育を強制された結果なんですが、極めて美しい日本語を話します。
私のような現代の日本人と違って「ら」抜き言葉や、「ヤバイ」のように本来の意味の言葉は使わないですし。

ただ話してみると、やっぱり台湾語(中国語)の会話の仕方なのか、ほとんど相槌も打たないか、あっても無声音だったり、会話の流れが日本人同士のそれとは違うように思います。

先生の言うように、会話をスキルとして習い、かつ使うトレーニングをしていないと、母国語の会話の流れに引っ張られてしまうんでしょうね。

[返信]

似たような話で、戦後すぐ進駐軍の兵隊と結婚後、海外に住むようになり、すっかり日本語の流儀を忘れた日本人妻たちと日本語で話したことがあるのですが、単語は日本語なのに、なんだか不思議なリズムで話していて面食らったという経験もあります。

いずれにしろ、おっしゃるように、学習対象なんだ、英語には英語の流儀があるはずだという意識がないと日本語流の、いわば力任せのしゃべりで終わっちゃいますよね。それじゃ互いに気持ちがよく、しかも実りのあるコミュニケーションにはならないのに。残念です。

連続のコメントです。
とてもタイムリーな話題だったので。
私も丁度自分のブログで、英会話と英語の違いについて
自分の思いを書いたところ、色々な方からメッセージや少しコメントもいただけて、やはり皆英語教育を受けていた弊害もあり
英会話としての英語を口から発するまえに色々なことを考えすぎてしまうようです。完璧にしなければいけない、文法があってないと通じない・・・などなど。
全く逆なんですよね。子供のように、純粋に耳から覚えてただ口から発してみるという単純なことが一番大切なのに。

ただ確かに、スキルという話になると、英会話は全くスキルとしてはカウントされないかと思います。言ってみればただの言葉だし、コミュニケーションの道具。それに比べて、英語英文法はそれによって資格試験(TOEICなど)で高得点が取れたりしてスキルとして認められますからね。難しいところですね。

[返信]

英会話がスキルと見なされていないというお話、よくわかります。近々、どこがスキルなのかという視点で記事を書いてみます。

コメントフォーム
Remember personal info?