2010年1月19日
人間関係を構築する助動詞たち
17日付朝日新聞に「企業が求める英語力 TOEIC平均686点 立教大調査」という見出しの記事が載っていました。(オンライン版はこちら)その中で印象的だったのが、調査対象企業100社のうち英語を使う企業に対して、採用時に評価される経験は何かと尋ねたところ、68%の企業が「英語でコミュニケーションをとり人間関係を構築」と答えたという下り。
英語の世界でも、Every business is a people's business. とか、Our business is a people's business. という言い方をよく聞くぐらいで、ビジネスでは人間関係が鍵を握るという認識が世界共通であることがわかります。
そうだというのに、英語を教える側、あるいは択一でコミュニケーション能力を測ると言っているテスト業者を初めとする試す側を見ていると、こういう視点つまり「英語でコミュニケーションができるか否かはちゃんとした人間関係を構築できるかに関わるから大事なのだ」という認識が欠けているように思えます。
その一例が文法事項の取り上げ方で、たとえば、後で説明するとおり、人間関係構築にきわめて重要な意味のある助動詞の説明を見ても、文法書として定評のある Forest などでは、「助動詞を使うと、現実や事実そのものではなく、頭の中で「できる/ありえる/そうしなくてはいけない」などと考えたことを表すことができる」という程度の説明で終わっています。
しかし、このような説明では、なぜ助動詞が会話の中で頻繁に使われるのかという、そのありがたみがさっぱりわかりません。しかも学校文法の本は知識の伝授に徹しているので、9つの助動詞を羅列して「この助動詞はこう使う」といった程度の説明で終わっています。この結果、shall のように珍しい部類の助動詞にまで等しくウェイトをかけているので、学習者も余分な労力を割くことになります。
しかし、こういった姿勢で臨んでいるようでは、人間関係の構築などおぼつきません。話し言葉では will, would, can の使用頻度が抜きん出ており、したがって、英語でコミュニケートしようというからには、その用法をしっかり会得しておかねばならないのに、そこが手薄のまま終わってしまうからです。また、had better, have to, be supposed to, be going to といった助動詞に準ずる機能を果たす一群の semi-modals などが視野に入って来ません。この semi-modals が話し言葉では書き言葉に比べて5倍も多く使われること (Longman Grammar of Spoken and Written English) を考えると、大問題です。
これはわが国の英語研究者や英語教育の専門家たちが無味乾燥な知識の体系としての英語をそのまま受け売りしてきた結果だというのが私の見方です。そのいい例が文法事項の説明の仕方です。例えば、こういった助動詞を専門家たちは、 modal verbs (法助動詞)と呼んでいますが、そこで言う「法=mood」は何のことかと「リーダーズ」を引くと、こう説明しています。
法、叙法《叙述内容を話者が事実としてとらえているか仮定としてとらえているかなどの区別を示す動詞の形態;法によって示される意味の区別》
これを読んで,上の Forest の助動詞の説明と根が一緒であるとわかります。要するにこれがわが国の専門家たちの mood に対する認識ということになります。
しかし、「法」という訳のわからん訳語が付されている mood は、Thornbury と Slade の Conversation: From Description to Pedagogy によると、"can be broadly defined as that grammatical system that is centrally concerned with the expression of interpersonal meaning" (広い意味では、主として人間関係を考えながら意味合いをどう伝えるかを担っている文法領域と言えよう)ということですから、まさに人間関係構築の要とも言えます。
事実、Suzanne Eggins という研究者は、An Introduction to Systemic Functional Linguistics の中で、こう敷衍しています。
The systems of Mood and Modality are the keys to understanding the interpersonal relationships between interactants. By looking at the grammatical choices speakers make, the role they play in discourse, we have a way of uncovering and studying the social creation and maintenance of hierarchic, socio-cultural roles. ムード[動詞が事実、命令、仮定のいずれを表しているかの別]ならびにモダリティ[話し手が自分の態度や判断をどう表しているかということ]は、やり取りをしている者どうしの間で成立している人間関係を理解する上での鍵となる。話し手が文法上の選択肢の中からどれを選んでいるか、また、ディスコース[話し手が何かを伝えようとし、聞き手がそれを受け止め、解釈する過程とのその結果]での役割を観て行くことで、社会的な階層秩序を反映した社会文化的な役割が社会の中でどう創り出され、維持されているのかを解明し、研究することができる。
何だか難しいことを言っていますが、要は、助動詞をどう使っているかによって、人間関係構築に当たり話し手がどういう姿勢で臨んでいるかがわかるよということです。
そうとすれば、英語を教える側も学ぶ側も、もっと助動詞の使い方に目を向けてしかるべきだと言えます。特に、交渉であれ、会議であれ、日本語だと普通に折り目正しい人が英語になると急に言い方が乱暴になったりするのを見るにつけ、助動詞の役どころ、きちんと教えた方がいいよなあと感じます。
どういうことか、例を挙げましょう。
I don't understand what you're trying to say. はまずい、ということです。助動詞を使って、Could you clarify that, please? がいいに決まっています。前者が人間関係を損ねるのに対して、後者の助動詞入りの言い方の方が人間関係をよりよくすることは言うまでもありません。
You are wrong. ではなく、Could we look at this in another way? と言うのが文明人というものでしょう。
I have another suggestion. よりは Can I suggest something different? の方がずっと感じがいいに決まっています。
上の例を見てわかるとおり、助動詞というものは、non-assertiveness を演出するツールすなわち、断定的なもの言いを避けるためのツールです。例えば、I don't understand what you're trying to say. という言い方は「あんたの言おうとしていること、わかんないよ」というニュアンスの事実の指摘です。ところが、Could you clarify that, please? の方は、「わからん」という事実の問題から離れて、敢えてそれに触れないことで心理的距離を置きながら、「よろしかったら、その点、もう少し説明していただけませんでしょうか」という形で、「控えめな人、ごり押ししない人」というイメージをそこに投影しています。だから感じがいい訳です。したがって、当然のことながら、このようなツールを使えるかは、人間関係の構築に大きく影響します。
コミュニケーションを強調する英語の先生たちやお役所は、今いちど、英語がコミュニケーションを通じての人間関係の構築にどう役立っているのかを確認し、より重要な部分により大きなウェイトをかけるべきではないでしょうか。また、文法用語を扱う専門家も、草木の研究じゃないんですから、生身の人間をもっと意識して、血の通った表現を考えてくれてもいいんじゃないかと感じます。「法助動詞」はないでしょ。
昔、「トルコ風呂」と呼ばれていた特殊浴場がトルコの外交官の熱心な働きかけで「ソープ」に変わりました。障害者も「障がい者」になりつつあります。このように広く使われている言葉でさえ変えられるのですから、英文法用語だって,変なもの、わかりにくいものを変えたってよさそうなものです。みなさん、言葉のプロなんですから、もっと言葉に対して神経を使って当然でしょう。あるいは英語の研究者たちは「日本ではこれで通じているから、これでいいのだ」という立場なのでしょうか。
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Comments
以前、イギリス人にある件で私見を述べたところ、"It can be."と言われたのですが、表情は"I don't think so."だったのを思い出しました。
最近は聞かなくなったような気もしますが、科学的な分析を伴わないまま「英語には敬語が無い」「アメリカ人ははっきりものを言う」と言ったことが一般論としてまかり通り、その一方で先生が仰るような論点が見過ごされていると思います。
[返信]
アメリカ人はたしかにはっきりものを言いますが、「どのように」ものを言うのかが見過ごされているのではないでしょうか。また、敬語も謙譲語、尊敬語といった区分はなくても、英語の場合は、If you will come this way に見られるとおり、様々な方法で心理的距離感やら隔たりを言葉の上で示して、敬語の仕組みと実質的に同様の効果を得ているのだと思います。
- 元ハノイ市民
- 2010年1月19日 21:13
確かに、入試関連の文法書は、元教師の私から見ても、なぜと思うことが多いです。初心者向けですが、大西泰人先生の、ハートで感じろ英文法、という本は今までの文法書にはほとんどなかった視点で解説されていて、生徒さんには勧めています。
仮定法や助動詞などまさに日向先生が言われていることを、初心者にもわかりやすく説明してくれています。
先生はどう思われますか?
[返信]
obasanさん、昨日は早とちりを正してくださり、ありがとうございます。
大西先生の本、読んでいないので、現時点では何とも申しあげられませんが、「ハートで感じろ」というタイトルからしてまともなんだろうなと容易に想像がつきます。
- obasan
- 2010年1月19日 11:38

血の通った表現、確かにその通りですよね。
あまりにも冷たい表現が多すぎて、英語が楽しいものだという感覚が全くなくなってしまっていますね。
私も実際に現地に行って英語を習得するまでは、敬語は無いもの、みんなずばりと意見をいうものと思い込んでいたのですが
大間違いでした。
英語でも回りくどい(?)言い方をしたりするし、ストレートに言わない表現もたくさんありますよね。
生徒さんから、こういうときはこれでいいですか?と聞かれるときに
かなりの確立でものすごく直球ストレートな言い方を聞いてくることが多いです。その時は、もちろん不正解ではないですが、もう少しやわらかい言い方もありますよ。言い方によっては(シチュエーションによっては)失礼になる時もありますよと言うようにしています。
[返信]
やっぱり本物の牛肉を無視してビーフジャーキーばかり食べている人は用語が無味乾燥でも気にならないのでしょう。サーロインだ、シャトーブリアンだと本物を食べて人生を楽しんでいる人間には理解できない、鈍な感覚です。
日本での英語教育は"Know about English" に偏っているので、英語の成績がいい人ほど、単語力と文法力で強引に英語を作ってしまいがちです。一方、コミュニカティブな英語を目指している人は、"Know English" という姿勢なので、感覚的に social context を意識するクセがついており、「これはまずい」「これはきつすぎるのではないか」と、社会人としてきわめてまともなわけで、人間関係の構築という見地からも、ずっと好ましいと思います。