2010年1月27日
X国教育事情
最近、ある国の教育文化ないし学習文化という、普段、あまり考えることもないテーマを取り上げたレポートを読んだのでご紹介します。
英語圏の某大学では、アジアのある国(X国)からの学生を受入れているものの、X人学生のコミュニケーション・スタイルや学習スタイルが違っているせいか、うまく溶け込み、成績も上がるといったところまで行ってません。そこで、大学側はX人学生から13名の調査協力者を募り、18ヶ月にわたり、エスノグラフィーという手法を通じて調査をしたところ、以下の事実がわかりました。
[注記:エスノグラフィーというのは、当事者からの実体験の聞き取り調査をまとめ、分析することで、ヒトの行動やある所の様子がどうなっているかを解明しようという学術分野で、血筋としては人類学の親戚です]
X国の教育では、記憶すること、丸暗記すること、反復練習することが当たり前である。英語圏では、ソクラテス方式と呼ばれることもあるぐらいで、知識というのは最初からどこかに出来合いのものが存するのではなく、既成概念を本当だろうかと疑問視し、検証することを通じて、仲間といっしょに作り上げ、共有するもの、それが知識だとされているので、大学側はある種のショックを感じます。
ただ、学校側のスタッフの中には、それは一面的な見方であって、X人学生も知に対するアプローチを使い分け、英語圏の学生並みの思考様式、行動様式を身につける必要がわかっているとする向きもあります。
そうは言っても、X人学生たちがクラスの中でどう振る舞うかはやはり母国の教育のあり方が影響するに決まっているということで、アンケートやインタビューを通じて、母国の教育制度・内容を聞き出す作業が続けられました。
その結果、一つ、わかったのは、学生たちのメンタリティーとして、努力すること、頑張ること自体に価値があるという発想を取ることです。そこで、猛勉強したのに成績が上がらないと、自分ではなく他に責任を転嫁することにもなります。また、知識に対する畏敬の念を持っているため、教師はその知識を所有し、独占している者として権威があるとされ、その関係から、教師と学生との関係は階層社会での上下関係のような形を取ります。
一方、コミュニケーション・スタイルはハイコンテクスト型で、実際に発された言葉と同じぐらい非言語要素が重視されるため、行間やら空気を読めないと互いに真意が伝わらず、また、言葉遣いなどの形式も重視され、それと表裏一体を成す話として、社会内での上下関係も「読めない」と困ることになります。こうした社会ですから、個々人が自分の主張を明確に打ち出し、その中で折り合える点を見つけるのではなく、社会全体の和やら世間体やらが優先されます。また、本人が意識しているか否かは別として、体面や面子が言葉を使って行く上で大きな要素となっています。
この調査結果を受けて、大学側は、自分たちのような個人主義社会と異なる集団主義的社会の人々なんだと気づき、改めて、どこがどう違うのかを確かめてみようということになり、以下のような内容のメモとしてまとめられました。
教師と学生の関係:X国では、教師は「ものを知っている人」ということで、上位に立ち、学生は、まさに「学ぶ人」であり、ありがたい話を聞くに終始する。対照的に英語圏では、教師は「ものを分かち合う人」で、学生はみずからも積極的に関与し、貢献する人で、その意味では「学ぶ人」というよりは、「共に研究する人」と位置づけられている。
学業に取組む姿勢:X国では、既存の知識、特に昔から大事だとされているものを伝授するのが教育だとされているため、学生の役どころは、型の決まっている "how to do" を教わることにあり、受け身でいいので、教室内でも教師から指名されたときにしか発言しない。英語圏だと、学生の役どころは、"how to learn" を見つけることにあり、積極的に自分なりのノウハウを身につけようと、自分に足らない部分を埋めるべく、教室内でもどんどん発言する。他面、こういうカルチャーのあるところに放り込まれたX人学生は、質問し、コメントし、あるいは、教師の発言中でもさえぎるかのように発言したり、批判的なことを言う英語圏の学生を見て、なんと大胆なとか、分を超えていると感じたりもする。したがってシラバス(講義要綱)の作成に当たって、意見を求められたりすると、面食らうだけで、どうしていいかすらわからない。
教室内の協調ないし和:教室が社会の縮図である以上、X国では、教授/学習の場でも、一人が目立って発言し、和を乱すようなことが嫌われるし、教師も学生も互いに相手の面子を尊重するので、相手の面子をつぶすおそれのあることは聞かないのに対して、英語圏では、教室との対決、対立はむしろ奨励されている感じすらあり、また、互いに面子へのこだわりもない。
学習の責任のありか:X国では教師が既存の知識を伝授し、学生はこれを脳裏に刻み付けた上、ちゃんと記憶したかがテストされるだけなので、責任は教師が負っている。英語圏では、学習は学生が中心となってインターラクティブに進められるプロセスと認識されているので、学生は他と協力し合いながら、みずからの知的基盤を形成する責任を負っている。このことから、X国では試験やスコアで学生どうしが競争するカルチャーがあるのに、英語圏では、試験の成績より、他との協力やクリエイティビティーにより大きな価値があるとされる。
書き方:この項目は当初予定に入っていなかったのですが、低頻出の難語がやたら出てくる割に何を言っているのかわからないペーパーを読まされ、悲鳴をあげている教員たちからの強い希望で入れられました。
英語のライティングは先に結論を書いてから、次にそれを裏づけるという、アリストテレス以来のパターンが常識となっていますが、X人学生たちのライティングは、英語なら「このペーパーの目的はこうだ」と問題意識を打ち出してから結論と理由と展開するのとは対照的に、何のために書いているのかがはっきりしないというのが大半である上、結論はあっても、それを裏づける事実やデータがさっぱり示されずじまいで、読み手をいらいらさせます。しかも難しい単語や長いセンテンスがアカデミックライティングと勘違いしているらしく、意味不明の度合いがますますひどいことになります。特に一部教員の間で顰蹙をかっているのが、practice makes perfect のような、日本語で言えば四字熟語的なイディオムがやたら入っていることと、It is essential to...We must などとやたら強い語調で書く傾向が目立つことです。
最終的に大学が何をやったかと言うと、"culture of learning" というものがあることを踏まえて、留学生たちが新たな環境の中で本来の力を発揮し、最大の成果をあげられるよう、入学時のオリエンテーションに異文化コミュニケーションの要素を織り込みました。
大学側として一番力を入れたのは、放置すれば、X人学生たちも本国での流儀をそのまま持ち込み、結果が出ないので、単に受け身で授業を聞き、それをノートにするという域を脱するよう助けるということです。ノートを取って得た知識を他と関係づけ、事象に当てはめて当否を考えたり、さらに抽象的に、教室の知識を一般化し、理論にまで持って行ける、そういった高度の認知能力を身につけてこそ、自分たちの卒業生として恥ずかしくないとの思いが強かったためです。
お読みになった読者のみなさんは、「ああ、このX国は中国だよな」とか「Xは日本だろう」などと思われたことでしょう。こちらも、「Xは○○のことです」と、喉のここまで出かかっているのですが、あいにく守秘義務にしばられており、お知らせすることができません。悪しからずご了承ください。
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いつもためになるブログ、ありがとうございます。
おっしゃっていることは、
http://www.informaworld.com/smpp/content~content=a908213984&db=all
これですか?
[返信]
これも似たようなアプローチですが、残念ながら違います。ただ、confucian approach とsocratic approach で検索して出てくる資料はどれもほぼ本文と似たようなことを言っていると感じています。
- ともちゃん
- 2010年1月29日 22:31
日向さん、こんにちは。
当方は、このX国は我が”日出ずる国”の事だと思います。日米(英語圏)比較が容易に出来る場所(アメリカ日系企業)にいるからでしょうか。すべて納得です。ビジネス界の行動文化は多少はグローバル化していますが、それでもこれらの特徴が残っています。
それよりも、このX国の特徴満載の事象に遭遇しました。先日帰国して母校の行事に参加した時の事です。ある会で学校の幹部はたかだか5分位の挨拶に、原稿を準備してそれを読んでいました。まさに”言葉遣いなどの形式も重視され...”や”間違わないように慎重に...”を引きずっていました。アメリカでのスピーチとは180度違う状態でした。こちらでは、5分位のスピーチであれば聴衆の反応を見ながら、変化自在に話を変えて、聴衆を引き込もうとしますよね。
こんなところにも違いが現れますね。X国、ずばり”日出ずる国”だと思います。
[返信]
うーん、惜しい!
- いちろう
- 2010年1月29日 11:43
先生こんにちは。いつも楽しくもためになるコラムありがとうございます。
さて、You're getting warmerというフレーズ初めて聞きました。
"正解に近づいている"(英辞郎)という意味なんですね。
英語圏では良く使うのでしょうか?
本論からそれてしまいましたが、
私はX国は韓国しかないと思いました。
[返信]
よく使うと言うのか、クイズを出された側があれこれ答えるのに対して、クイズを出した側が「うーん、近い」ということを言うとしたら、インフォーマルな表現ではありますが、一番普通なのではないでしょうか。フォーマルに言えば、You're getting close. でしょう。あと、Nice try! というのもあります。「惜しい!」というニュアンスです。この他、ちょっとイディオマチックなので、自分からは使いにくい言い方ですが、Close, but no cigar. というのがあります。
- 外国人参政権絶対反対!!
- 2010年1月29日 00:27
大変興味深い記事を読ませていただきました。
参考までに、Malcolm Gladwell氏のOutlinersでは、この学習態度の違いが飛行機のパイロットの例で挙げらてていました。
教師(=キャプテンや管制塔の職員)が見過ごしたポイントを某国籍のコ・パイロットがはっきり指摘できず、事故に至るというケースが、過去多数あり、問題を重く見た飛行機会社がパイロットの教育プログラムを西洋スタイルに変え、パイロットが上司にもはっきり意見を述べられるように訓練したところ事故が激減した、というような話だったと記憶していますが...日本でなくて、この国なのか、と印象に残りました。
発言しない/出来ない留学生は、日本人も含めて多数いますが、本当の原因は語学力より、この教師―生徒の関係なのではと思います。
[返信]
おっしゃるとおりで、発言しない留学生を対象とする調査ではたいがい、間違った答えだと失礼に当たると思ったといった「奥ゆかしい」回答があり、そうなんだと感心します。他面、語学力には相手のコミュニケーションスタイルまで考えながら言いたいことを言う能力も入るのだとした場合、挙げてらっしゃるICAO方式にならうわけで、教育政策として骨を通すことの重要さがわかります。
ちなみにICAOはイディオムなどいわゆる英米豪などの英語ネイティブを基準にすると航空管制などで失敗するという教訓から、ネイティブという概念を英語から放逐しており、注目されます。
- JT
- 2010年1月28日 09:37
先生のお気持ちはわかりますのであくまで推測ですが、
これは日本じゃないですね。日本の教師にはもはや権威なんて全くありませんから。
これは、旧来の日本的英語教育の呪縛からのがれようとしているが、抜け出せず、英語コンプレックスがみんなにあるけど、みんな留学してもものにできないという民族。見栄っ張りで米国キャンパスを歩いただけで留学と名刺に書く民族。日本と同じくTOEIC信仰がある民族。母語ですら世界的に日本人と同じくらい会話下手な民族。日本と同じく言葉によるコミュニケーションがあまり発達しなかった国。きっとおとなりの国でしょうね。
[返信]
Keep guessing--You're getting warmer. といったところでしょうか。
なお、わが国も権威は別として、教師を「さんづけ」していることに表れるとおり、やはり Teacher-centered approach と言わざるをえないと思います。
- いしだて
- 2010年1月28日 02:49
はじめまして。日向先生のコラムは最近発見し、ほぼ全部読ませていただきました。たいへんためになります。
今回の内容は、文章の書き方についてなど、日向先生が過去に指摘されている日本人像そのものと思いますが、日本ではないのでしょうか?日本でないとするとどこでしょうか...
中国、韓国、インドも社会はハイコンテキスト型かもしれませんが、私の経験からすると、これらの国の人々は日本人と異なり、まず言葉によるコミュニケーションが発達していて「ロゴス」を重視するため、日本人より西洋社会と親和性があるように思います。台湾の方は日本人の性格と近いような気がしますが、グローバルな人材を多数輩出しているので、違いますよね...
[返信]
新たに読者になってくださったとのこと、ありがとうございます。
申し訳ありません。日本であるとも、ないとも言いにくいわけでして。
- mk
- 2010年1月27日 17:53
>ハイコンテクスト型で、実際に発された言葉と同じぐらい非言語要素が重視されるため、行間やら空気を読めないと互いに真意が伝わらず
上記の通り、行間と空気を読むことに長けている国の私達ですから、X国がどこかは分かってしまいますよね。 問題文の中に埋められた答えを発見したような気分です。
[返信]
ウーン,微妙ですね。たしかにわたしたちもハイコンテクスト型ですが、中国、インドもその部類とされ、中にはフィンランドもそれに入るという主張も聞きます。
- yuskay
- 2010年1月27日 16:53

非常に面白く読ませていただきました。
むしろこのX国が中国であれ韓国であれどうでもよく、むしろ日本でも十分あてはまっているところにうーんとうなった次第です。
つい先日イギリスの小学校2年生の授業で新聞の記事を取り扱ったおり、記事の内容を読んで子どもたちがしないといけないことは、FactsとOpinionsに分けると言うことでした。
多分日本ではそんなことは大学に行くまでそんな観点では新聞を読ませないだろうなと思いながら見ておりました。
[返信]
おひさしぶりです。どうしてらっしゃるかと思っていましたが、お元気のようで、何よりです。
ご指摘のとおり、これ日本のことじゃないの?いや、韓国かなと思ってしまうわけで、そのぐらい、みんな東洋的ないし儒教的教育文化の影響を強く受けているということなのでしょう。
ところで、Facts と Opinions を区別するという基本的なことは、おそらく大学でも、ゼミにでも入らないと教わらないのではないでしょうか。実際、テレビ中継される国会の討論、あるいは、テレビの討論番組で見る、わが国のインテリたちの発言は、事実と意見がごっちゃになっていますが、そこはハイコンテクスト社会のいいところで、何となくわかりますし、不都合がありません。ただ、英語で話すときにまでこの流儀を持ち込むとなると困りますよね。
追伸:la_barmaidさんのメルアドが入っていたPCが故障し、取り出せません。恐縮ですが、一度メールいただけませんでしょうか。
jfrancis5535@gmail.com