2010年2月12日
ブロークンで何が悪い!
前回のトヨタの社長の英語について、ブロークンでも気持ちが通じればいいじゃないと思われた方も多いと思います。事実、漏れ聞くところによると、「英語がブロークンかどうかと言うのは枝葉末節だ」「アメリカのメディアは日本人が一生懸命、英語で答えようとしたという姿勢つまり誠意をもっと評価すべきだ」という声が三河の地では多いようです。
まずブロークンで何が悪い、通じりゃいいじゃないかという論法はここでは通じないと考えます。前回の記事のコメント欄でも触れましたが、観光で訪問した先の人々とのなごやかな歓談ならブロークンでも、ともかく自分の気持ちを伝え、ほのぼのとした交流を図れますから、それで十分です。また、英語の学習者としての立場の話なら、「間違いを恐れるなとは言いますが」で触れたとおり、習っている英語を間違って使うのは学習者の中での英語のプロトタイプが形成されつつある証拠であり、歓迎すべきことです。
しかし、今回の件は、途方もないレピュテーション・リスク(ネガティブな報道などによって業績が悪化するリスク。英語では、reputational risk, reputation risk のいずれも使います)にさらされている企業の代表者が遅ればせながら事態の収拾のために開いた記者会見という状況ですから、そもそもコンテクストが違います。
もちろん、英語で答えてくれと言われたのを突っぱねて日本語で答え、それを通訳させた方が賢明だったに決まっていますが、いまさらどうしようもありません。一大危機に直面している企業の代表者が「ブロークン・イングリッシュ」を披露してしまったというのは厳然たる事実です。
英語では register という言い方をしますが、そもそも「どういう話し方が求められるのか、妥当なのか」を左右する要素は、誰を相手にしているのか、どういう状況か、テーマは何かという三つによりけりです。これに照らして考えてみると、今回の場合、相手は、不安を感じているユーザーならびにトヨタは安全と思っていた一般消費者であり、テーマは死亡事故も報じられている重大問題で、状況は会社としての信用がかかっている場面での記者会見であり、とても「ブロークンでいいじゃない」とは言えない場面です。言葉を換えて言えば、フォーマルな英語即ちきちんとした言葉遣いが要求されるということです。
次に「ブロークンかどうかなんて枝葉末節だよ」という見方はどうでしょう。これもレピュテーションリスクへの対処という見地からすると、とても「枝葉末節」だなどと片付けられません。危機的事態を打開すべく乗り出す責任者には当然、プロフェッショナリズム、つまり、自分が携わっている分野で普通の人を凌駕する見識と能力が要求されるのに、実際に登場した人が怪しげな英語をしゃべるとあっては、「この人で大丈夫?」と心配になります。英語の世界では、誠意といった内心ではなく、どういったことをどう言うのかという外形が何よりも重視されますから、なおさらです。
この点、Regester Larkin というレピュテーションリスクを専門とするコンサルティング企業の共同創業者 Judy Larkin は、この種のリスクに対処するための基本中の基本は、問題となっていることに取組んでいる姿勢を対外的に明らかにする、つまりコミュニケートすることだとした上で、その場合、三つの条件があるとしています。第一に、問題が生じていることを率直に認め、反省の弁を述べること。第二に、直しますと約束した上、どういう処置を取るのかを詳しく述べること。そして、第三に、経営トップが事態を掌握していると信じてもらえること。英語で言えば、Concern, Commitment, Control という三つのCが、この種のリスクマネジネメントのイロハということです。(出所は Economist Intelligence Unit が出しているReputation: Risk of Risks というレポートです。)
「怪しげな英語」は上の条件の三である Control に関わって来ます。条件を満たすためには、この人なら大丈夫だろうと思えるようなプロフェッショナリズムを備えている人が当然必要ですが、そういう人だと思ってもらえるためには、当然、speaking well というスキルを持っていなければならないからです。これは日本語の記者会見を考えれば当たり前で、不祥事に際しての企業トップによる謝罪会見に出て来た人の言葉遣いが、「〜つうのか」「ってかさあ」「ぶっちゃけた話」といったものだったら、誰も信用してくれません。それと同じことです。
実際、英語の文化では speaking well には非常に大きな価値が付与されており、そのことは、speaking well の要素が細々と挙げられることからもわかります。すなわち、通常、articulation(言葉や言い回しを選んで言わんとしていることを明確に表現すること)、diction/enunciation(発音が明瞭であること、滑舌がいいこと)、poise(話す際の立ち居振る舞いがきちんとしていること)ということが言われ、こういうことを専門にコーチングするメディアトレーナーという職業があるぐらいです。もちろん、こういう要素をすべて満たせと言っているのではなく、それほど「話し方」という外形の評価が重視されているという話です。(わが国の場合、指導者クラスの日本語というものがないと見えて、総理が「存じる」と「存じ上げる」を混同して「わたくしはその事実は存じ上げておりません」と言ったところで誰も騒いだりしないわけで、対照的です)
言い換えれば、英語を話す人々の間で、プロは "speaking well" をこなせなければならないという共通認識がある以上、その条件を満たさない人が事態収拾のために対外的にコミュニケートしたりすれば逆効果でもあるということです。
ついでに言えば、「一生懸命英語で答えようとしているのだから、それを評価してよ」というのは相手が察してくれることに依存している日本語会話のメンタリティーであり、基本的にみずからの責任で言いたいことをすべて言葉として表現することが求められる英語の世界では通用しません。ハイコンテクスト文化(認識・感覚において互いに共通するものが多く、いちいち言葉に出さなくても通じる文化)に慣れ切っている日本人は、そのことに思いを致さぬまま、聞き手に大きく依存する日本語の流儀で英語を使っておきながら、「誠意が通じない」などと嘆きますが、相手は専ら言葉を評価の基準とし、speaking well をこなせれば、さらに好意的評価をする人々だというコミュニケーション・スタイルの違いを見落としています。
ところで、例の「ブロークン・イングリッシュ」は会社の体質をうかがわせる点でも問題です。外国人記者のリクエストに応えて英語で答えてしまった社長の姿勢は、そのことが持つ意味合いに対する認識の甘さをも露呈しており、上で述べたリスクマネジメントのイロハがわかっていないとも言えるからです。
現に、ファイナンシャルタイムズのアジア版エディターである David Pilling は、How Toyota engineered its own downfallというコラムで、海外メディアがブロークンと評した、例の “Believe me, Toyota's car is safety”と “But we will try to increase our product better.” という英語での発言を引き合いに出した上で、こう指摘しています。
It would normally be unforgivable to mock someone's difficulties in English. But the fact that Mr Toyoda, who earned an MBA in the US, had not been drilled in a word-perfect English apology says much about Toyota's sub-quality response to its recall crisis. 普通なら人が苦労して英語を話す様子を馬鹿にするのは許されないことだ。しかし、豊田氏(ちなみに氏はアメリカでMBAを取得している)が非のうちどころのない英語で謝罪できるようコーチングを受けていないという事実それ自体、リコールを招いた危機に対するトヨタの対応が水準以下であることを十分示すものだ。
思ったより長めに書いてしまいましたが、以上で何を言いたかったかと言うと、第一に、あの「怪しげな英語」は、あの状況に照らして許されない性質のものであり、第二に、「怪しげな英語」が使われるのを組織として阻止できなかったこと自体、会社の危機管理の体制に穴があることを如実に示しているのではないかということです。
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はじめまして。在米の者です。今回と前回のログ拝見しました。今回のログは前回言い足りていなかった事が説明されていて議論が完結できていると思います。(すいません。大学の教授様に大変失礼なことを言っているとは思います。)
企業が失態を起こしたとき、迅速で誠実な対応をアメリカの消費者は求めます。その対応の仕方で企業の評価が下されると言っても過言ではなく、トヨタはその対応に既に失敗している中での記者会見でした。仮に、うまく記者会見をこなせたとしてもメディアからの批判は避けられなかったと思います。
私はここで書かれていることとはまったく反対ですが、この記者会見では社長の北米の消費者に対しての誠意が計られたと思います。ただ、「ブロークン・イングリッシュ」では誠意は伝えられないし、事実、伝えることはできなかった訳ですよね。実生活で小さな失態を犯して迷惑をかけた相手に頭を下げて「ソーリー」って言えばいい次元ではないわけです。
私がもしトヨタの社長であったならば、どれだけ真摯に事態をうけとめているのか、謝罪、現在の状態、今後の対応などを10分ぐらいのスピーチにまとめ、質疑応答を受ける前に英語でそのスピーチをします。予想できるであろう質問に対して英語の答えも用意し、もし、予想外の質問で英語で答えることが出来なければ通訳を通じて対応したと思います。なぜならば、北米の消費者に向けて訴えるわけで、「英語で話すのが当然だろう」と思うわけです。
アメリカではCEOはお金も時間もたくさんあるというイメージがあります。それこそ大企業トヨタの社長なら、記者会見に臨む前に優秀な英語のトレーナーやスピーチ・ライターを雇う事ができただろうし、MBAを取得しているなら英語がまったく駄目だ、というのはいい訳にはならないですよね。
結局、下準備をきちんとして記者会見に臨まなかった社長の「ブロークン・イングリッシュ」は、社長の北米の消費者に姿勢として受け止められたんだと思います。英語できちんと誠意を伝えることができたなら、メディアや消費者からは非難されたとしても、北米トヨタの社員、従業員又はその家族に対して、
I care for you. I look after you.
は伝えられたのではないかと思います。こちらの生産業の失業率はとても高く、トヨタの従業員の気持ちを察すると切ないですね。
駄文・長文失礼しました。
[返信]
ありがとうございます。ちなみに小生、「教授様」ではありません。
- TB
- 2010年2月12日 23:51
そうなんですね。英語も比較的新しい言葉だから、色々な言葉のミックスで生まれたらしいということを知っていたくらいなので知識不足でした。preciseかどうかということは不適切な解釈だったかもしれませんが、要は、日本語よりも時制や数などに対して一つ一つ”細かい”と思うのですが、それが”みずからの責任で言いたいことをすべて言葉として表現することが求められる英語の世界”という文化的側面に少なからずも関係しているのかな ということを感じたということです。
アメリカの仕事スタイルでも、Job descriptionに仕事の担当内容が明記され、それ以外のことは特に求められておらず、日本での個人の担当領域の間にあるグレーゾーンの仕事が暗黙のうちに互いに埋め合わされるということが無いのも、これまた上記の内容に通じるものがあるのかなとも感じます。
それから、この”みずからの責任で言いたいことをすべて言葉として表現することが求められる”というのは、英語圏以外でも当てはまることが多いのかということも気になったので質問させて頂きました。
はたまた、一口に英語圏といっても、英語が公用語とされている国々は旧イギリス領を加味するとアジア、南米、アフリカといわゆる欧米社会とは文化を異にする国々も多いので、その場合はやはりまた違うのでしょうね。
どこの国かは具体的には忘れてしまいましたが、植民地であったという背景から、英語を聞く際は常に"命令形”でものを言われていたので、その国の英語もYou must --- と命令形で言うのがその国の英語として定着したという話も聞いたことがあります。
いわゆる”英語”といった場合、厳密に言えば、国際社会、殊、欧米圏というように捉えたらいいのでしょうか。
[返信]
英語の文化となると、英語圏特に、わが国の相互依存主義の対極にある、個人主義のアメリカ文化が代表的ということになると思われます。つまり構図として、Haru Yamada が言っているアメリカ式の Speaker Talk対、日本式の Listener Talk という組み合わせがひとまず有用と感じています。一方、これだけ英語が世界的に普及してくると、アメリカなのかヨーロッパなのかで見るより、むしろ、使い手の属する文化がハイコンテクストなのか、ローコンテクストなのかで分けた方が、わかりやすいようです。
- SS
- 2010年2月12日 22:31
日向先生のご意見に全面的に賛成です。
もっとも、私がそう思えるようになったのも、グローバル・コミュニケーションのトレーニングコースを受講しているからかもしれません。
日本人としての自分は、大勢のプレスを前に例えブロークンであれ、言わなければならないことを伝えようとした姿勢は評価していますし、やはり経営のトップに立つ方の胆力というのは違うもんだなと感じます。
しかし、グローバル・コミュニケーション研修生としての自分は、そこを英語で答えるという戦略はないだろうと感じました。英語ができるできないというスキルのはなし以前に、会見の重要度に鑑みて、「正しく正直に情報を伝える」という大命題が英語で話し始めた瞬間から崩れてしまいます。
確かに某三河地方から聞こえてくるという、英語がブロークンかどうかは枝葉末節だとか、アメリカは英語で応えようとした社長の誠意を分かっていない、という不満は日本人としては理解できます。
しかし、郷に入っては郷に従えという諺もある通り、日本のやり方や通例と海外のやり方や通例は異なります。ですから、国内向けのコミュニケーションの取り方、海外向けのコミュニケーションの取り方、両者をうまく使い分けるスタイルシフトが必要だったと思います。
今回の件に関しては、先生がおっしゃるように、英語での回答を「きっぱり」と「正当な理由をもって」断るべきでした。このケースでは、「皆さんに正直に正確な情報をお伝えする」という、正当で納得できる合理的な理由があるわけで、通訳を通さずに会話しないという「毅然とした態度」を表した方が、海外メディアの受け取り方も好意的だったのではないかと考えます。
偉そうなことを言ってますが、まだまだグローバル・コミュニケーション研修中の身です。今回の件を教訓にして、コミュニケーションスキルを磨いていきたいと思います。末筆ながら、先生の新刊を楽しみにしておりますので頑張ってください。
[返信]
ありがとうございます。「国内向けのコミュニケーションの取り方、海外向けのコミュニケーションの取り方、両者をうまく使い分けるスタイルシフト」という一句が印象的でした。
- 年寄りGK
- 2010年2月12日 20:31
>みずからの責任で言いたいことをすべて言葉として表現することが求められる英語の世界
少し違うかもしれませんが、英語と日本語を文法的な側面から見た場合、英語の方が、細かいことが一つ一つPreciseだということを日本語を勉強するアメリカ人から聞いたことがあり、これも、それに派生したことなのかなぁ と思いました。
(日本語の時制や数(単数、複数)に対する決まりは曖昧で、全くpreciseではないけれど、英語は非常に厳密)
あとは、日本は島国で敵から離れているので独自の文化が育まれた点が往々にしてあり、察する文化もその一つですが、英語圏以外でも、敵と隣り合わせにある大陸文化は同様に考えられるのでしょうか。
とすると、日本の感覚というのは、本当に日本でしか通用しないので、外国に行く際は肝に銘じなければなりませんね。
日本の製造業が壊滅するということはなく、製造業大国の地位はおそらく揺るぐことはないとは思うのですが、日本人以外で経営する海外での現地化を進める際は、この”日本の考え方”をどう理解し実践してもらうかを伝授するのが、難しいのだと思います。
(今回の事例も、アメリカ国内調達のパーツなどが原因と言われています。)
[返信]
英語との対比では、日本語は時制に関しては、過去形と非過去形の二つしかないと説明されるようですが、英文法の時制もラテン語文法に無理矢理当てはめただけなので、どっちが precise という比較はどうなんだろうと感じました。
- SS
- 2010年2月12日 14:14
これに懲りてトヨタの社長も英語を使う事はなくなるでしょう。
トヨタの重役ルールとして「日本人は英語を使うな」が明文化されるのも近いですね。
これで安心です。
[返信]
一律に「使うな」というのもどうかと感じました。例えば新たに北米で工場を作ったとして、そのオープニングの式典で英語を使うのはパーソナルタッチが出ますし、好ましいのではないでしょうか。時と場所によりけりということかと思います。しかし、いずれにしても、重役クラスにはもっと英語の稽古に励んでもらいたいものです。
- ak
- 2010年2月12日 13:35

あの場面で「ブロークンでいい」って、旅行じゃないんだから(笑)。
企業の危機、いや、日本の経済の今後をうらなう会見なんですから。これで危機を脱するか、いなかの重要な場面なんですからね。
「ブロークンでいいじゃないか」って言うのは、「のんき」すぎますよ。日本的情緒は英語の世界では通用しません。
いや日本でも。日ごろ、いつもいつも「説明責任果たしてない!」ってどんなに説明しても言う日本じゃないですか。
あの英語のコメントを英語話者が聞いて、
トヨタの信用回復ができたはずがありません。「よし、社長を信じて、プリウス乗り回そうぜ!」って思った英語話者は誰一人いないはずです。
そこが一番重要なポイントであり、旅行先で行きたい場所が通じるか、どうかっていう話とはまるで違います。
[返信]
一説によると三河の地では大政奉還後、恐れ多くて誰も殿様にものを申さぬそうで、上のような当たり前の話も通じない空気があるようです。うそだと思いたいのですが、どうなのでしょう。