2010年3月 7日
(完)ELF vs ネイティブ英語
互いに母語が異なる人どうしの間で使われる英語 (ELF = English as a LIngua Franca) はどうなんだということで、文法では三人称単数現在の -s を落としたり、単数・複数の区別を無視しても会話が成立するし、発音でも th を気にしなくても通じるといったことを見た上で、そうとなれば標準語としての英語、ネイティブ英語が廃れそうなものだが、14ヶ国400名の学習者を対象としたアンケート調査では、なおもネイティブの英語が学習者の目標となっていることを見て来ました。
今回、シリーズの最終回では、ELFが幅広く浸透しているヨーロッパの実情を見ておきたいと思います。
ヨーロッパの場合、建前としては23を数えるEU加盟各国の言語は同格とされ、公文書はすべてこれらの言語に翻訳されることになっています。また、EU域内では、母語に加えて、もう二言語を早い時期から教えるべきだという合意があり、大学生についても、少なくとも一学期は外国に行き、外国語の単位を取ることが政策として打ち出されています。複言語主義と言われるものです。
しかし、EUの公文書の6割以上が英語で書かれており、また、欧州中央銀行における実務上の共通言語は英語です。ビジネスの世界でも英語が公用語扱いされています。この点、象徴的なのが、2006年に起きた「シラク大統領(当時)の抗議の退席事件」です。BBC Newsの見出しは、Chirac upset by English address となっており、まさにその通りですが、フランス経団連の会長がEU首脳会議での分科会において英語を使ったのが逆鱗に触れ、大統領が外務大臣、財務大臣ともども、抗議の退席をしたという一件です。ふるっているのが、経団連会長の反論で、シラク大統領になんで英語なんか使うんだと難詰されたところで、英語は「この分科会の実務上の共通語である上、英語はこんにちのヨーロッパにおけるビジネスの公用語として認知されていますからね」と応じたのです。
このようにヨーロッパでは英語が共通の公用語として広く、深く浸透していますが、そこで使われている英語がどういうものか気になります。独特の「進化」を遂げているのか、それともやはりネイティブ英語が標準語なのかということです。
この問題に関しては、話し言葉が24万単語、書き言葉が16万単語の計40万単語から成る Corpus of Euro-English (以下「欧州英語コーパス」)を基にした研究があります。Sandra Mollin の English as a Lingua Franca: A New Variety in the New Expanding Circle?という研究報告で、ここでは、Corpus of Euro-English 上の用法をイギリス英語のコーパスである British National Corpus (BNC) と突き合わせるというアプローチによっています。
このレポートの結論は、ヨーロッパ(大陸)の英語の話し手たちによって新たな種類のヨーロッパ英語とでも言うべきものが形成されつつあるとは言えず、結局、ネイティブ英語がモデルになっているというものでした。
先に、Seidlhofer という研究者が三単元の "s" がなくても話は通じている旨報告しているということをご紹介しましたが、欧州英語コーパス中、三単元の s が必要な例、約2,700例のうち s が落ちていたのはわずか16例だそうです。本家のBNC での用例調査の結果との違いで言っても、0.58% 未満の差だと言いますから、イギリス人による三単元の使い方の正確さとほとんど変わりがないということです。
欧州英語コーパスは大部分が EU がらみのやり取りですから、ヨーロッパで英語を共通語として使っている人々つまり教育程度の高い人々が三単元の s を落とすことはまずないと言えそうです。
同じく Seidlhofer が指摘していた the dog who.../ the man which といった who/which の誤用についても、少なくとも欧州英語コーパス上は、ほとんどないという結果でした。who の用例を調べたところ、誤用率は 1.83%で、which の用例においてはそれが 0.91% ですから、標準語であるネイティブ英語のルールが忠実に守られていることになります。
さらにこのレポートは完了形の使い方もチェックしています。完了形はたしかに学習者にとっては鬼門であり、「ユーロイングリッシュ」においては完了形は消える運命にあると見ていた研究者もいたのですが、go, make, take といった基本動詞を中心に完了形が使われるケースを調べたところ、BNC で見られる使い方と何ら変わりがないことがわかりました。
一方、「ユーロイングリッシュっぽい」用法もあるにはありました。ただ、それも英語の「作り」が変容しているといった話ではなく、「こう言った方が通じやすいのではないか」という話し手の工夫という性格が強いと解されています。
例えば、欧州英語コーパスでは動詞 have が好んで使われていますが、その延長線上で、以下のようにネイティブ英語の使い手だったら違和感をおぼえるような使い方がけっこう見られます。
...to have a dialog on...
...to have a definitive judgement...
...has a stronger consolidation...
こうした例は、標準的な英語からすれば、hold a dialog, make a judgement, achieve a consolidation ですから、ちょっと外れている感じがあります。(ただ、dialogは微妙です。Oxford Collocations Dictionary は have も認めているからです)
しかし、共に母語が英語でない人どうしが話すような場合、「これなら大丈夫だろう」という言い方を敢えて選ぼうとするのは心理としてよくわかります。つまり、知識としては、make a judgement が普通の形であることはわかっていても、相手との英語でのやり取りを通じて、ちょっと心配だったら、have a judgement という、変だけれど、コミュニケーション優先で、伝わりやすい形を選ぶのもひとつの方法です。
こうして見ると、ヨーロッパ大陸で使われている共通語としての英語は、標準的な英語(ネイティブ英語をモデルとする英語)と比べて、何か根本的な「作り」で異なっているという性質のものではなさそうです。Sandra Mollin の見るところ、English as a Lingua Franca (ELF) というのは、英語を母語としない人々が使う英語というように、特定グループによって使われる英語とみなすよりは、状況と、何を伝えようとしているのかで左右される英語の使い方の違いです。
そして、その使い方の違いは、具体的には、「ひとしゃべり」が短めであること、語彙が限定的であること、通じそうもない定型句やイディオムを控えることにあるとのことです。
何であれ、ELF がこのように、状況とコミュニケーション目的によって左右される機能の問題であり、流動的であるということは、会話が持つ即興性から来る散発的な現象でしかなく、定型性を欠いているということです。そうとすれば、これまた Mollin が言うように、英語を教えたり、学んだりする際のモデルとしては適当でないということです。
ですから、ELFシリーズの第1回の記事につき、「日向先生の著書を参考に英語を勉強しているのですが、日々の学習の方向性としては日向先生が著書で紹介されているような文法・語法を身につけるべきだと考えてよろしいでしょうか。ご紹介のELFのような実態については、学習上どう位置づければよいでしょうか」というコメントを寄せてくださった「羊」さんに対して、どうぞ安心して拙著をお使いくださいと言えることにもなります。
ちなみに現在のシティバンクのCEOである、Vikram Pandit はインド出身で、母語はマラティ語だそうです。16歳でアメリカに移住したという経歴ですが、話す英語は多少アクセントはあっても、内容的には(当たり前ですが)ビジネス英語の標準語です。そうでなかったら、コロンビアでファイナンスのPh.D を取れなかったでしょうし、モルガンスタンレーで出世することもできなかったはずです。どの世界にも標準語はあるのだといういい例だと思います。
(www.youtube.comで、Vikram Pandit と検索すると彼がどういう話し方をするのかがわかります。きわめてイディオマチックな英語で、「しゃべり」のうまさに感心します)
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大変興味深いお話でした。
こうした「正しくなくても通じる」という話は、ことによると「ちゃんと英語を習わなくてもなんとかなる」という話だと受け取られかねないので、英語の先生・教材作成をお仕事にしている方などは、なかなか話題にしづらいトピックなのかも、とも思います。
私はフィリピンに住み、現地の英語学校に滞在中の日本人学生さんの現地サポートをする仕事をしているのですが、
英語学校のオーナーは韓国人であることが多く、彼らとは通常英語でコミュニケーションしています。(先生はフィリピン人とネイティブです)
まさに日向先生が今回挙げられたような例などで、韓国人たちがネイティブ英語とは異なる言い回しをしているということも、日頃気になっているところではあるのですが、やはりそれ自体はコミュニケーションのうえで、さほど問題になりません。
韓国語の発想と日本語の発想がかなり近いからか、意味を理解するのは容易だからです。
問題になるのは、私が韓国人相手に英語で話すときに、誤解を与えない言い方をしなければならない、という部分です。
誤解を避けるため、相手にあわせて、あえて間違った言い方をする場合が多くなります。
たとえば、相手から否定疑問文で聞かれた場合、ネイティブ英語では「No」と答えると、「その通りです」という意味になりますが、
韓国人などに「No」と答えると、日本語の「いいえ」同様、相手のセンテンス全体に同意しないという意味と受け取られてしまいます。
ですから、「Right」と言ってみたり「It isn't」とか答えてみたり、あるいは面倒なので、相手に完全にあわせて「Yes」と言ってしまう場合も多くなります。
また、メッセンジャーなどで会話する場合も、相手は間接話法の時制の一致などは無視してきますので、誤解を避けるために私もそれにあわせて書くことがあります。
ノンネイティブ相手に話すときは、相手の英語を聞いて、自分が話す英語を相手にわかりやすいようにコントロールする、というスキルも必要なのではないか、という気がします。
[返信]
なかなか、おもしろいと言っては失礼ですが、微妙な立場でらっしゃいますね。その代わり、勉強になる、得難い経験も多いのではないでしょうか。
おっしゃるとおり、「相手の英語を聞いて、自分が話す英語を相手にわかりやすいようにコントロールする、というスキル」がやはり重要なんだと思います。
ただ、社会言語能力を含めての広い意味の英語において割と高めのものが要求されそうで、その意味では、研究のしがいのある領域という印象も受けます。
- シゲ@セブ島
- 2010年3月 7日 16:31
インド人英語の洗礼(?)を、何回も浴びたことがありますよ。私は英語でインド人に伝えることはできたのですが、先方の言っていることがわからないので、隣のアメリカ人に「通訳」してもらいました。何とも、滑稽な雰囲気でした。
シンガポール駐在経験のある日本人に相談したところ、「あれはインド語だから諦めな。よほどのOJTで場数を踏まないと、コミニュケーションできないよ。」とアドバイスを受けたことがあります。
当面は、「米英人モデル」を徹底して学習することになりそうですが、インド人とBOP対象のビジネスをしないといけないようになったら・・・。その時は、相手の癖を読んで確実なコミニュケーションができるように頑張ります。
[返信]
インド人の英語の特徴は日本語同様にsyllable-timedで話すことと、もう一つは独特の節回しをつけることだと思います。個人的には(通訳する立場など)聞く気になろうと思えば聞けるのですが、あの節回しが嫌で心が閉じてしまうのか、普段は聞いてもさっぱりわかりません。
- めいけんとパパ
- 2010年3月 7日 11:00
>ELF がこのように、状況とコミュニケーション目的によって左右される機能の問題であり、流動的であるということは、会話が持つ即興性から来る散発的な現象でしかなく、定型性を欠いているということです。そうとすれば、これまた Mollin が言うように、英語を教えたり、学んだりする際のモデルとしては適当でないということです。
本当にその通りだと思います。NHKのビジネス英語なる番組に、視聴者からの強い要望があったとしても、インド人やELAを登場させないで欲しい、と思います。「米英人モデル」を徹底して学習すれば、ELAとのコミュニケーションは何とかなると思います(先に書きましたように、相手次第の面もありますが)。
[返信]
ただ、インド人その他の(標準音から見て)すごい英語を話す人々に触れることは、純粋培養の弱さを克服するという意味では有意義なことだと思います。
- めいけんとパパ
- 2010年3月 7日 10:21

ELFシリーズの第1回の記事でコメントしました「羊」です。ご返答いただきありがとうございました。
今回のELFもそうですが、毎回のブログで英語に関わる幅広いトピックをとりあげてくださり、勉強になります。今後も楽しみにしております。
[返信]
羊さん、これからも「標準語」ベースの著作を出していきますので、どうぞ安心してご購入くださいね。