2010年3月 9日
時を超越する駄目教育
以下は、アジアの某国(ここではひとまずX国)で主として英語教員養成に携わったイギリス人が同国の教育当局に提出した報告書の一節です。(読んでいて、大学教育のことのようにも思えますが、中等教育における英語がテーマです)
学生は週あたりおよそ10時間を英語にかけているが、まるで結果を出せないで終わっている。卒業時点でさえ、英語を読めるのは少数に留まり、話す能力もばらばらのセンテンスを連ねる程度だ。書く能力も時間をかけて、苦労しながらまとめるのがやっとのことだ。
英語教育の実際はこうだ。通常、学生には英文の一節が課題として与えられ、学生はどういう内容かを読み解き、かつ、それをX国語に訳さねばならない。時には、この単語の同義語として他に何がありましたっけという程度の質問がある。教師の役どころは、英文を読み上げた上、これはX語ではこういう意味ですねと解説するというもので、学生はその解説を一生懸命にノートに書き取る。
声に出して英語を読むことも行われている。指名された学生が指定された箇所を音読し、終わったところで、学生はその英文が何を言おうとしているかを説明するという手順だ。
週に1回か2回は、X語から英語への翻訳の練習もある。翻訳の課題文は短いものの、内容的には難しく、学生は辞書を引き引き、逐語訳的な英文を作ることになる。結局、英文ライティングらしきものはこの程度しか行われない。
この結果、学生は、英語からX語には訳せるが、反対方向の翻訳はまずできない。童話のような簡単なものすら英語に直せないというレベルだ。また、授業自体、X国語なので、話される英語というものを聞いたことがなく、当然、英語で話をされても理解できない。ライティングもものの役に立つレベルではない。
これを読まれた方の多くが、ああ、このX国は日本のことだと思われたのではないでしょうか。たしかに、そのぐらい似ています。ところが、実は、これ、基本単語のリストとして今なお専門家が賞賛してやまない The General Service List of English Words の編者、MIchael West が赴任先のインドの英語教育事情について書いたものです。
いつの話だと思われますか?第一次世界大戦の後始末をしたパリ講和会議が開かれた年です。しかし、上には上があるもので、わが国の教科書に載っている会話例などは、1906年当時のものと大差ないわけで、その意味では現代日本の方がガラパゴス度において勝っています。
なお、Michael West が追求し続けた必要最小限の適正な語彙水準 (minimum adequate vocabulary) という考え方は、その後、制限語彙によるグレイデッドリーダーを生み出し、さらには、定義をすべて所定の制限語彙内に収めてある英英辞典の先がけとなった Longman Dictionary of Contemporary English (LDOCE) へと結びついて行きます。
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やれやれ・・・。日本の英語教育は、100年前のインドにおける英語教育と同じ、まさに「歴史は繰り返す」ということですね。
近々、高校(だったと思います)の英語の授業は英語で行われるようになる、と聞いた記憶があるのですが、脱ガラパゴス化できるのでしょうか?
高校の先生が、まともな英語を話せる気がしないのですが・・・。
最近、「ガラパゴス」という言葉が良く使われますが、ガラパゴスの動物たちに失礼な気がしてきました。動物たちは、独特な「進化」を遂げたのですから。
[返信]
高校の授業を英語でやっても、やらないよりマシということだと理解しています。理由は二つで、第一に、IFR (Initiation, Response, Feed-back) という言葉があるぐらいで、教室のやりとりは、「○○は日本語で言うと何かね」→ 「XXです」→ 「ちがうね、Xだよ」と定型化されており、コミュニケーションとは違うからです。第二に、高校の英語の授業は普通、teacher centered だからです。知識を伝授するスタイルと言えます。英語でのコミュニケーションがどういうものかを知るためには、student centered と呼ばれるアプローチにより、学生が英語をみずから使ってみて、経験するのが最善です。
- めいけんとパパ
- 2010年3月 9日 20:12

>>高校の先生が、まともな英語を話せる気がしないのですが・・・。
この間、異文化コミュニケーションの講演を拝聴しました。A級通訳で、帰国子女の方だったのですが、その方が、「国際会議でネイティブと同等の語学力を保有して話をしている人は、10%だ。」と言っていました。この話を聞いた後に、国際会議は、いったいどんな風に進行するのか、これは、前のブログにあったとりあえず壊れていても通じる英語で、とにかく話が通じている上で話がまとまっていると言うことなのだろうか、、、。それとも、ネイティブにほぼ等しい能力だけれども、今一歩の人たちが多いのか、、。とぐるぐる考えてしまいました。
とにかく、「まともな」というのが「ネイティブ同等」でなければ、多分、国際会議の話といい、壊れていても通じる英語の話といい、何とかなるのではないでしょうか?
[返信]
おっしゃるとおりで、捕鯨関係の会議での日本代表の発言をテレビで見たときも悲惨でした。国益どころの話ではありません。あれでは、誰も耳を貸してくれません。英語はエリートに任せればいいという話を聞くたびに、あの程度のエリートに大事なことを任せるのはどうなんだろうと思います。