2010年3月10日
基本単語の謎
先頃、学習指導要領が改訂され、中学英語レベルでの必修単語数が200語増の1,200となり、高校卒業時まで習得すべき単語数が合計で3,000 となりました。
この 3,000 単語という語彙水準、英語を勉強してコミュニケートしたいという場合の最低ラインとして納得が行きます。というのも、語彙習得論の権威である Paul Nation が Robert Waring といっしょに書いている論文で、こう言っているからです。
Clearly the learner needs to know the 3,000 or so high frequency words of the language. These are an immediate high priority and there is little sense in focusing on other vocabulary until these are well learned. 学習者が3,000前後の高頻出単語を覚える必要があるのは明らかだ。まずは他に優先して進めるべきことであり、この種の単語を十分マスターしないうちは、他のボキャブラリーにまで手を広げてもあまり意味がない。
そうかと思うと、ケンブリッジ大学出版から出ている Vocabulary in Use シリーズの共同編集者の一人、Michael McCarthyは、ある専門誌のインタビューで、こう言って、2,000単語以上と強調しています。
Practical tips, right. Well, first of all, get to the 2,000-word threshold as quickly as you can, using any method whatsoever, flashcards, translation lists, rote learning, anything, because without those 2,000 most common words you can't do much, and especially you can't use the words you know to guess the meanings of the words you don't know if you haven't got those 2,000. 実際的なヒントですね、わかりました。まずは、2,000単語レベルに一刻も早く達することです。方法は問いません。フラッシュカード、対訳のある単語帳、暗記となんでもいいのです。と言うのも、この頻出2,000単語を知らないことには、たいしたことができないからです。このレベルをクリアしていないようでは、自分の知っている単語をもとに別の新たな単語の意味を推測することすらままなりません。
なんであれ、基本2,000単語を使えるようになれば、書き言葉の8割、話し言葉の9割をまかなえることがわかっていますから、これが一つの目標とされるべきであるのは間違いありまえん。
ところで、わが国の学習指導要領では、3,000単語と言いながら、どの単語がこれに入るのかを明らかにしていません。調査不足なのかも知れませんが、ネットで調べても具体的なものが出て来ません。わずかに、中学英語の学習指導要領の別表1というもので100単語示してあるだけです。察するに、あとは教科書の編集者に任せているのでしょう。そうとすればずいぶんと乱暴な話です。あれだけ指導要領で事細かに「どのように教えるべきか」を定めておきながら、「どういう単語を教えるべきか」がすっぽり抜け落ちているも同然です。
対照的に、台湾では政府が基本2,000語リストを定めており、それがどれだけ基本語彙リストの老舗格である General Service List と一致しているかが研究されているぐらいです。
ここで、ふと「何が基本か」についてのコンセンサスがあるのかと思い、調べてみました。まず文部科学省のサイト( site:mext.go.jp ) を指定した上で、「基本単語」や「必修単語」をキーワードに検索してみると、審議会などでこういう表現がさかんに使われていることがわかります。ところが、どこにも定義がありません。互いに「何が基本か」についてわかったつもりで、あるいは意味が相手と違っているやも知れぬ「基本単語」という言葉で、いろいろと議論しているわけですから、そもそも、よく議論が成り立つなあと感心します。不思議な世界です。
中でも驚いたのが、学習指導要領の必修語の変遷についてという研究報告。ちょっと古く、日付は1999.5.29 になっており、日本英学史学会広島支部 第40 回研究例会という記載があります。報告者は、比治山大学の馬本 勉という方。
何が一番驚いたかと言うと、終わりの方で「『基本語』の捉え方が一貫していない」と指摘されていることです。象徴的なのが、以下の引用部分。若林俊輔(1971)「学習指導要領の変遷」『英語教育』20.10: 42-44 上の記述を引いて、こう報告しています。
「文部省の定めた基本単語」昭和33 年版の案は515 語であったものが何かの都合で
520 語になり、「ラウンドナンバーにするための小手先の操作」がうわさされたことを紹介。さらに、選定の「理論的根拠が全く不明」であると述べている。
「何かの都合で」英語教育の根幹部分が左右されてしまうのですから、呆れてものが言えません。有識者委員会により外務省密約事件並みの調査をしてもらいたくなります。
ちなみに自分にとっての「基本単語」は Michael West の General Service List (GSL) で取り上げている 2,000強の単語です。なにしろ1930年代のコーパスに基づいていますから、computerといった現代では常識に属する言葉が入っていない一方、shilling のような死語のようなものが入っていたりします。またコーパスに話し言葉が入っていないという限界があります。しかし、それでも、各種研究を通じて、GSLの単語を覚えることで、書き言葉の8割、話し言葉の9割をまかなえることがわかっています。
[注記:後日、別の研究者たちが改訂しものながら、General Service List の実物はこちらにあります。ご覧になっておわかりのとおり、ワードファミリー単位で見出し語を立てているので、spoke, spoken, speaking, speaker, speech, speeches をひとまとめにして、speak という見出し語で代表させています。動詞の場合、こういった活用形や派生形がありますし、形容詞も、able を例に言えば、「能力がある」という意味に加えて「力量がある、有能だ」という意味もありますから、見出し語が 2,000 と言っても、派生形やニュアンスの違いなども加味したら、最終的には1万前後の単語を扱うことになります]
実際、Learning Vocabulary in Another Language などで知られる語彙学習の権威、Paul Nation は、以下のように評しています。
"it still remains the best of the available lists because of its information about the frequency of meanings, and West's careful application of criteria other than frequency and range" [GSLは]今なお入手しうる語彙表としては最善のものだ。理由は、意味別の出現頻度がどうなっているかを示していること、また、West が頻度と使用範囲だけを基準とせず、他の基準をも注意深く適用していることに求められる。
また、Ronald Carter という研究者も、1998年に出ている Vocabulary: Applied Linguistic Perspectives という本の中で、"one of the most innovative examples of foreign language pedagogy and lexiometric research this century" (外国語教授法ならびに計量分析による語彙調査において今世紀中最も先進的なアプローチの一つ)と高い評価を与えています。
いずれ、この GSL を正面から取り上げた本を書きたいものです。単語解説と用例を羅列しただけで終わっていないものを。
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基本単語からはやや話が外れますが、最近、大雑把ですが、
(1)自分が英語で仕事や生活をするのに必要な語彙
(2)世界中の英語コンテンツを理解できるための語彙
の2つに分けて考えています。そして、後者のハードルはなかなか高いと感じている次第です。
日向先生はご存知の本かもしれませんが、先日、昔大学の授業で使った"30 days to a more powerful vocabulary"という本を実家で見つけて懐かしくなり、半年かけてもう一度やってみました。
http://www.amazon.co.jp/30-Days-More-Powerful-Vocabulary/dp/067174349X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1266457346&sr=8-1
本の説明によりますと、この本で約500の語彙が増やせるそうです。
今回は、折角なのでこの本の有効性を確認しようと思い、「この本で覚えた単語に実際にどれくらい出会うか」を、勉強した半年間に可能な範囲でチェックし、都度メモをしておきました。
私の場合、仕事で英語を使う機会は殆んどないのですが、BBCのニュースやインタビューのpodcastを毎日
何本か、英語の勉強と趣味を兼ねて聞いています。主にそこで出会ったものが主になりますが、実績は以下のとおりでした。カッコ内の数字は(その単語の活用形も含め)出会った回数でして、数字のないものは1回です。
acrimonious
altruism (6)
anomaly
benevolence(3)
carte blanche
circumvent
cursory
disparaging
docile
epigram
faux pas(2)
impasse
kleptomaniac
obsequious
ornithologist
ostracize
panacea
phlegmatic
plagiarize
puerile
punctilious
repercussions(3)
vegetate(2)
勉強した内容は役に立ったという実感ですが、この本が米国人向けであることを考えますと、上述の語彙の多くはおそらく基本単語に含まれていないのではないかと察します。一方、これだけ実際の話し言葉で出くわたことを踏まえますと、この頃は、以下のように考えている次第です。
・基本単語を押さえれば、英語で仕事や生活は十分にできる。やみくもに高度なものは不要。
・それ以上を求めようとすると、こんどは基本単語を超える語彙を増やすための努力がエンドレスに必要。
実際にはこれらの中間もあるのかもしれませんが、直感的にはこんな風に感じています。
なお、この本は以下の書き出しで始まります。このような観点は日本ではそれほどないような気もするのですが、米国ではピンと来るものなのでしょうか。
Your boss has a bigger vocabulary than you have.
That's one good reason why he's your boss.
[返信]
はい、30 Days...は昔、Norman Lewis の Word Power Made Easyともども、繰り返しやったのでよく覚えています。頻出順位の低い難語の中から選りすぐっているだけあって、たしかに、有用です。お尋ねのコピーが説得力があるのは、版数を見れば明らかかと思います。
- Ken
- 2010年3月14日 01:38
日向さん、今日は。
こちらのブログの、豊田社長関連エントリーの引用各種Web siteを参考にさせていただきました。有難うございました。
その中の、Larry King Showをじっくり読ませていただきましたが、単語においても、Larryの英語は基本的に平易な単語を使っていますよね。
その他、彼の英語は、日向さんのブログで書かれている事(ローコンテクスト、コロケーション、リズム)が網羅されており、読んでいても(私は映像は見ていませんので)、肩の力の抜けた英語になっていますね。豊田社長サイドの通訳の英語の方が(話の噛み合わないのを別にしても)方に力が入っているなぁ、という感じです。
ポイントは難しい単語ではないはずなのに、どうして日本の英語教育、特に大学受験ではそういうところに行くのでしょうか?
私は在米18年のビジネスマンですが、単語数は4,000語くらいでしょうか。それでもこちらで仕事や生活が出来ています。是非日本の英語学習者にお伝え下さい。
[返信]
読者のみなさん、「いちろう」さんのおっしゃるとおりで、あまりむずかしいことをしなくても十分仕事ができる程度の英語は身につきます。宣伝に踊らされて「高度」のことをやりすぎないよう気をつける必要がありそうです。
なお、通訳の話もおっしゃるとおりで、相手の英語が普通なのに和訳を聞くと、漢語だらけのサムライ言葉になっていてびっくりすることがあります。
- いちろう
- 2010年3月13日 13:25
私も中学・高校で指導するべき単語が明示的に定められていない現状は不思議に思います。たとえば高校や大学の入試出題者は、その出題範囲・水準が妥当か確認するために、必修単語を調べたいと思うはずですが、どうしているのでしょうか。教科書を複数入手してどのような単語が使われているか自前で調べてリスト化でもしているのでしょうか。社会科の場合は山川出版社が用語集を出版していて、そのなかで個々の用語が何種類の教科書に採用されているか示していることを思い出しましたが、英語の教育業界はどうしているのか本当に謎ですね。
[返信]
山川出版の用語集は気が利いていますね。英語の場合、本当にどうしているんだろうと思います。辞書によっては、中学必修といったマークを付けていますから、あるいは、それを基準にしているのかも知れません。それにしても不思議な世界です。
ちなみにケンブリッジ大学では、今、ヨーロッパ共通参照枠のレベルA1からC2に合わせて、このレベルではこの言い回しをしっておかねばならないという一種の目録作りを進めており、完成が待たれます。
- 羊
- 2010年3月10日 22:03
高校卒業時の3000と言うレベルには納得できます。但し、文部科学省が必要な単語を網羅していない、というのは乱暴な話ですね。指針として示すべきでしょう。
また、覚えるべき単語群は、5年に1回くらいは見直すべきなのでしょう。私が高校生の時の英作文のテキストを今見ると、噴出しそうな文例がたくさんです。今の高校生に取っては、the Internet, email, texting, smartphone 等の単語は必須でしょう。これらを知らなければ、外国の高校生とのコミュニケーションは成り立たないでしょう。
私? You shall die. を知っている世代です。今も教えているんでしょうかね?
[返信]
単語のアップデートはそのとおりですが、書き言葉偏重を改めるべきだと思います。先月の文芸春秋に山崎なんとかという人の英文解釈本をなつかしがっていた記事がありましたが、an oyster of a man といった純然たる書き言葉、しかも、きわめて陳腐なフレーズが満載で、改めて書き言葉を美とする感覚の根強さを知りました。
- めいけんとパパ
- 2010年3月10日 20:26
日向さんのコラム毎日楽しみに拝見しています。
英語関連のあらゆるものを題材に、鋭く、分かりやすく指摘されていて、毎回関心ばかりしております。
この記事とは、全く関係のないことなのですが、もしも、私が、日向さんの弟子となった場合、日々どのような勉強をするよう指示されますか?
[返信]
chikaさんの現在のレベルがわからないので、ちょっとむずかしい質問ですが、「いつの日にか」方式ではなく、現実味のある到達目標をきちんと定めた上、日々、針路から外れていないかを確認させることでしょう。
- chika
- 2010年3月10日 13:02

いちろうさんのおっしゃるとおり、私もアメリカでの生活にそんなに高度な英語力は必要ないと感じています。現在「アルク・シネマ・シナリオシリーズ」を読んでいますが、その本からもそれを感じます。最初のページに中学・高校で習った単語の割合が示されているのですが、今手元にある三冊(三作品)をざっと見ると、語彙においては中学学習語で約45パーセントが構成されていると示しています。映画のタイトルは、トゥームレーダー、ショーシャンクの空に、カサブランカなのですが、中学を卒業した時点で映画が45パーセントぐらい理解できていたとはとても思えないですし、映画の役者のように少しでも話せていたかと考えると、首をかしげてしまいます。
話は少々それますが、このアルクの中学学習語の定義は一体なんだろう?ともふと思いましたね。
[返信]
オバマ大統領の演説を分析した記事でも触れたとおり、普通の人はみな基本2000語レベルで暮らしているわけですが、ただ、違うのは、日本人の場合、知識としてそういった単語を知っているに留まっており、コロケーションなどの基本的用法がぱっと口を突いて出てくるまで練習していないだけでしょう。本当にもったいないことです。
「このアルクの中学学習語の定義は一体なんだろう?」という点、アルクの方にお伝えしたところ、こういった回答を得ました。(回答を待っていたので、返事が遅れてしまい、失礼しました)
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本シリーズでは、吉成雄一郎先生(現・東京電機大学教授)による語彙分析・
解説の中に中学学習語1518語によって、その本で取り上げた映画の語彙が何パ
ーセントカバーされているか、という分析結果が出ています。
『ショーシャンク』は
「この映画で使われている英単語は
中学学習語1518語で81.7パーセント 高校学習語2044語で5.8パーセント」
カバーされています。
『カサブランカ』
中学学習語1518語で84パーセント 高校学習語2044語で5パーセント
『トゥームレイダー』
中学学習語1518語で69パーセント 高校学習語2044語で6パーセント
注として
中学学習語は文部省指定語を含む、中学程度の基本語彙1518語、高校学習語
はおよそ高校で学習する語彙2044語として算出した。
とあります
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