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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2010年3月13日

(下)英語文化はローコンテクスト

★ コンテクストというもの

そもそもハイコンテクスト、ローコンテクストというものを言い出したのは Edward T. Hall という文化人類学者です。その Hall が言うには、コンテクストというのは、こういうことです。

Context refers to the fact that when people communicate they take for granted how much the listener knows about the subject under discussion. コンテクストというのは、人はコミュニケートする際、聞き手がそこでのやり取りにつきどの程度知っているかにつき一定の前提を設けるという事実を言う。

もっと簡単に言ってしまえば、"how much the listener knows about the subject under discussion" つまり、「そこでのやり取りににつきどの程度聞き手がわかっているのか」 ということであり、ハイコンテクスト文化に根ざすコミュニケーションでは、聞き手は contexted されており、いちいち細かい説明をしなくても済むのに対して、ローコンテクスト文化型のコミュニケーションでは、聞き手は何もわかっていないので、一から十まですべてを説明することを要するということになります。

このことを Hall は、Beyond Culture の中で、こう説明しています。

A high context (HC) communication or message is one in which most of the information is already in the person, while very little is in the coded, explicit, transmitted part of the message. A low context (LC) communication is just the opposite; i.e., the mass of the information is vested in the explicit code.  ハイコンテクスト型のコミュニケーションないしメッセージというものは、対象となっている情報のほとんどが関与している当事者本人に内在している。他面、メッセージということで言葉に置き換えられ、顕在化されており、かつ、伝達されるものの中身は薄い。これに対してローコンテクスト型のコミュニケーションは正反対となる。つまり、情報の本体部分が顕在化された言葉に織り込まれている。

そして、Hall は、このことは互いにわかりあっているがゆえにハイコンテクスト型のコミュニケーションを行う双子と、他のローコンテクスト型の人々、例えば、法廷での弁護士どうし、法案を起草する二人の政治家などと対比するとわかりやすいとしています。

★ ハイ/ローはどこから来たのか

そもそも、なぜこういう分化が生じたかについては、Hall は直接説明していませんが、知っている限りでは、まず日本のような同質的社会だとハイコンテクストになるという説明があります。しかし、よくローコンテクスト文化の典型として持ち出される北欧諸国など、同質社会ですから、説得力がありません。

農耕文化の歴史のある所がハイコンテクストになり、狩猟文化の歴史を持つところがローコンテクストだという説明もあります。なんだかわかったような気持ちになる説明ではありますが、何百年、あるいは何千年も前の話が現代の我々に影響しており、我々のコミュニケーション・スタイルまで直接左右しているとは、これまた考えにくいことです。

してみると、親の教育がこういったコンテクストの捉え方を左右するのだという見方が一番説得力があります。つまりローコンテクスト文化ではコミュニケーションが専ら言葉に託されるのに対して、ハイコンテクスト文化では非言語的要素が大きな割合を占めるわけですが、それぞれ30人の日本人とアメリカ人の幼児(3ヶ月から4ヶ月)に対して母親がどう接しているかを調べた研究では、アメリカ人の母親が専ら話しかけていたのに対して、日本人の母親は、撫でたり、あやすために(言葉でない)声を出したりしていたと言います。[Morikawa, Hiromi, Nancy Shand, and Yoriko Kosawa. "Maternal speech to prelingual infants in Japan and the United States: Relationships among functions, forms and referents." Journal of Child Language 15 (1988): 237-256.]日本人の母親は非言語的要素にウェイトをかけているということです。

また、子供がいけないことをした場合、どう対応するかを調べるべく、日本人とアメリカ人の母親各10人(子供は3歳から6歳)を比較した研究では、アメリカ人が I don't like the way you're speaking. といった形で、母親としての意見を言葉化していたのに対して、日本人の方は傾向として、「自分はこう思う」というものを言葉に託するのではなく、「おとなにそんな口を聞いたら駄目でしょう」(Speaking that way to a grown-up won't do.) といった形で、「世間がどう見るか」を伝えていたと言います。[Loveday, Loe. Language Contact in Japan. Oxford, Eng.: Clarendon Press, 1996. Matsumori, A. "Hahaoya no kodomo e no gengo ni yoru koodoo kisei." Gengo shuutoku no shosoo[Aspects of language aqcuisition]. Hiroshima, Jap.; Bunka Hyoron, 1981. 320-339.]つまり、こうすべしと言葉で言うのでなく、間接的にそれじゃまずいでしょ、と伝えていたということです。たしかに、こういうプロセスが繰り返されれば、こういうことをすると「世間」はこう受け止めると言ったシミュレーションになるわけで、自分の行動が他の人々にどう映るのかという非言語情報を意識させられることでしょう。

言い換えれば、限られた実証実験ではあり、また、今もそうかとなると疑問もありますが、ひとまず、ハイコンテクスト文化とされる日本社会は、母親たちによる、非言語的要素が大きなウェイトを占めている「コミュニケーション教育」に負う所大と言えるようです。

★ 英語の世界に見るローコンテクスト文化

こういったハイコンテクスト/ローコンテクストが英語によるコミュニケーションにどう現れるのかを考えた場合、一番大事なのは、以上のことから明らかなとおり、ともかく英語の世界では何から何までいちいち言葉にするということです。個人的にこのことを感じるのは英語圏の人と食事するときです。私自身は口下手な方なので、正直辛いのですが、会食の際は、英語の流儀にしたがって、どうですか、そのステーキの味は?胡椒などいかが?と甲斐甲斐しく世話を焼き、さらに、しらけないように、話が途切れたり、しらけたりしないよう、おおいに気を遣うからです。

第二は、英語のロジックというのか、話の運び方が独特だということです。日本語の場合なら、何かを論じるような場合、こうも言える、ああも言えると、ボワーンと全体を提示し、その中で互いの「こんな感じがする」という気持ちを語り合うのが普通かと思いますが、英語の場合は、きわめて直線的で、「まずはAである、そうとすればBであり、その結果Cと言えるが、そうとすればDである」といった感じで話が論理の節目である点を結ぶための直線であるかのごとく進められます。したがって、この直線ルートをはずれ、脇道に入ろうものなら、すぐ、I'm not following you. (話が見えない)とか、Could you cut to the chase? (で、言いたいのは何?)と注意が飛びます。

ここでちょっと思い出したのが、大昔、大学院の授業で体験したアフリカ人の論法。指導教授が懇意にしているロンドン大学の先生のお弟子さんという触れ込みだったと覚えているのですが、ともかくその人が教室に招かれ、アフリカ政治の歴史、現状、見通しを簡単に説明してくださいという「お題」に対して、その人が何をしたかと言うと、やおらタバコを取り出し、火をつけ、「みなさん、ご覧になりましたか?今、みなさんは、ひとつの歴史を見たのです」と意味不明のことを言い出し、一同呆然。

その時は何が起きたのかすらわかりませんでしたが、今にして思えば、あれは、英語文化の直線スタイル (linear style) ではなく、コンテクスト中心のスタイルでのプレゼンだったのです。英語なら、アフリカの過去、現在、未来と話がストレートに進むのに対して、コンテクスト中心の場合は、過去、現在、未来を理解するために必要な視点を得るための背景事情ないしストーリーが滔々たる大河のごとく語られるのです。

ま、何であれ、大事なのは、どちらがいいという話ではなく、英語の場合は、(世界的には少数派ながら)ストレートな展開が普通とされ、そのことを表裏一体をなすこととして、話の筋道も明確に相手に示されることです。英語で話す際は、ロジックの節目で、What's more... First, Second といった決まり文句が入りますが、日本語感覚からすれば、いちいち、「その上」「第一、第二」とやるのは書き言葉的であり、違和感があるものの、これが英語だと、言葉がすべてとあって、話の「作り」までいちいち言葉に出して示すのだと解されます。加えて、currently (現時点では)、incidentally (偶然にも)と、これまた予測可能性を確保するため、これから言おうとしていることがどういう内容か,話の流れがどちらに向うかを示す言葉もやたら会話の中に入れます。

してみると、ローコンテクストというのは英会話のあり方を理解する上でもけっこう大事な視点だと言えそうです。

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Comments

いつも英語勉強のために興味深く拝読しております。まず、日向先生が口下手とのこと、言語学者でもそういう場合があるのかと、私自身も口下手に属するので親近感を持ちました。

私の職業は研究者ですが、研究室の研究に関する議論は、ロジックを駆使したローコンテクストに属すると思います。世界中の研究競争に勝つには、研究者こそ英語的ロジックの展開とコミュニケーション能力を日本語使用の討論でも気をつけなければ、いざとなって全然使い物にならないサイエンティストで終わってしまうと思います(例えば米議会での豊田社長のように)。実際に国際学会で豊田社長のような意味不明な問答を欧米人と繰り返す日本人研究者をたまに見かけます。

もう一つの問題は、日本人はローコンテクストを避ける傾向があり、ロジックを駆使しなければいけない日本人研究者同士でも起こり、コンストラクティブな議論が出来ない時があります。例えば(今でも印象的に思い出す一場面ですが)、予想と異なる結果を二人の研究者が研究室ミーティングで議論中に、片方の議論者がしてはいけないケアレスミスをした可能性が浮かび上がりました。その瞬間に双方の議論者はぱっと話をやめて下を向き、周りもただ沈黙に包まれ、もうYes or No?の議論が進みませんでした。会の後で誰かがあんな議論はお互いに会の前で話し合って根回ししておけばよかったんだよとぼそっと言いました。非常に日本的ですねー。

[返信]

傑作な「研究室便り」ありがとうございます。ローコンテクストを避けるのは、話し合いと議論との違いが今なお定着していないからだと考えます。やはり日本人にはどうしてもムラビト感覚が残っており、アリストテレス以来の西洋流論法つまりはローコンテクスト文化の論法になじめないのでしょう。対立を厭わず、個人ベースの論理優先で、主張を闘わす西洋式のディスカッションなどは頭ではわかっていても実践となると抜けてしまうのではないでしょうか。どうしても集団としての感情を優先した総意を大事にする心理が働いてしまい、ちぐはぐな結果を招くというのが私の見方です。

なおビジネス英語を教えたり、検定の試験委員を務めたりはしていますが、MAは政治学でしたし、けっして「言語学者」などではありません。言語についではおおいにべんきょうしているつもりですが、市井の好事家の域をでません。

>ローコンテクストというのは英会話のあり方を理解する上でもけっこう大事な視点だと言えそうです。

同感です。英語と比べ、日本語では”~が”~ので”など、色々な情報を一文に沢山詰め込む傾向があるかと思うのですが、それを英語にする時、どれも”and"でつなげると長すぎたり不自然だったりし、よく考えれば特に一文にする必要がないので分けたりします。

つい”and"ばかり使いたくなってしまうのですが、少し考えてみると、ここは"in addition"から始めるのが良いとか"basically"で始めたらいい、とか気づくことがあります。

それを、日本語だとどれも”~で”~が””~ので” とか、
特に区別せずに、とにかく”つなげて”いる感じがします。これも内容の前後関係などは、文脈から読み取ることが自然とされて、取り立てて強調すべきような逆の意見を述べるときなどを除いて、厳密に”更に”だとか”または””基本的には”などといちいち言わないからなのかと思いました。

英文を書いていて、どうも英語としてしっくりこないな という時は、こういった点を気をつけると英語として綺麗に流れるのではないかなと最近感じています。

[返信]

英文ライティングはルールがすごくがっちりしているので、接続表現の知識に加え、パラグラフライティングのunity, coherence, developmentgがわかっていれば何とかなるのに対して、話し言葉は、見えない分、むずかしいのかなと思います。

しかも、接続表現が and, but, or を除いてはあまり共通していませんよね。

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