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日向清人のビジネス英語雑記帳:スペースアルク
 

2010年8月27日

EFL、ESLの区別に疑問

会話によるコミュニケーションなんかより、英文法や英文解釈の方が重要だよと説く人々は、日本語がESL環境だったら英会話から入るのもわかるけれど、なにせEFL環境なんだから、会話より、英文法、英文解釈の方に力を入れるべきだという話をよくします。(英語圏にある日本人学校の英語の授業が時に日本語で行なわれている例もあるわけで、授業を母語でやるか英語でやるかという問題とEFLやESLは関係がないはずなのに、日本がEFL環境であることを強調する向きは、時には勢い余って、日本はESL環境じゃないんだから英語で授業なんてちゃんちゃらおかしいという話にも結びついたりもします)。

ここで出てくる、EFLは English as a foreign language の略で、わが国のように、英語が母語として使われておらず、また、シンガポールやインドのように英語が公用語として特別な地位があるわけでもない国での英語を指します。要するに教室の外で英語が使われていない国での英語ということです。一方、English as a second language は、シンガポールなどのように、コミュニケーションが基本的に英語によっている国々での英語を指す一方で、英語圏の国々に住んでいる、移民や非英語圏からの来訪者にとっての英語を指す言葉としても使われます。

こうした区別は、一見もっともなようでもありますが、よくよく考えると、たいした問題ではなく、したがって区別の実益もないと思われます。

EFL環境であることを強調する人々は、教室の外に出ると英語が使われておらず、英語でのコミュニケーションがどういうものかに触れずじまいだから、書き言葉でしっかり基礎を固めておくべきで、それをやっておけば、高度の運用能力などはあとからついてくる、といったことを言います。

しかし、交通機関に乗れば、案内放送や表示には英語が多用されていますし、DVDなどで海外ドラマを見れば、いくらでも英語でのコミュニケーションの実際に触れることができます。加えてCBS NewsVOABBCなどと、いくらでも英語のメディアに触れることができます(BBCの場合、Most Watched というリストがあり、だいたいがインタビューですので、生の話し言葉を観察でき、学習者にはきわめて有用です)。つまり、そういう目で見れば、いくらでも生の英語に触れることができる環境になっています。換言すれば、戦前などは英語を飯のタネにしていた人々でさえ、こういうチャンスがなく、そのために書き言葉の教育に甘んじているしかなかったわけであり、そういった背景を忘れて、戦前の英語教育を賛美するがごときは、白黒テレビをなつかしむあまり、やっぱり映像は白黒じゃなくっちゃと見当違いの強がりを言っているようなものです。

それはともかく、双方向での英語のやり取りを経験したいのであれば、オンラインの英会話教室などは、いまどき、毎日50分でも月に1万円もかかりません(経営者を存じ上げているワンズワードなどは月額6,800円です)。

一方、英語が教室外でも使われているような環境を指す ESL を考えた場合、結局は英語が教室内にとどまってしまい、教室外での日常的な英語によるコミュニケーションがおよそ学習者と無関係で終わってしまっているケースはいくらでもあります。例えば、アメリカの日本人学校で英語を勉強した学生の多くはたいして英語なぞできません。外国人シスターのいる私立校で鍛えられた純国産の学生の方が100倍英語が話せたりもします。また、英語環境があっても、結局、英語が「教室内のもの」に留まるケースは日本人学校のケースばかりではありません。イギリスへの移住者の子弟の英語が不十分なのも問題になっています。例えば、イギリスに住んでいながら「英語で話す」ことがどういうことなのかまったくわかっていない子供の多さに驚き、悩み、イギリス政府は、特別に冊子を作り、その普及に努めているぐらいです(以前に英政府が説く英会話の本質という記事で取り上げました。ちなみに、新刊の『知られざる英会話のスキル20』を書くにあたり、この冊子にはおおいに触発されました)

要するにESL環境で教わっている学生だからEFL環境で教わっている学生に比べて格別有利であり、教育上その差異を考慮に入れるべき程度に達しているようには思えません。

してみると、EFLだから、あるいは ESLだから英語教育はこうあるべしと説けるほどのものがあるわけではなく、したがって、EFLとESLを区別する実益を見いだすことはむずかしいと思います。

そのせいか、三版を重ねている George Yule の The Study of Language などでは、日本人学生が日本国内で英語を勉強している例は EFL と呼び、同じ日本人学生でも、アメリカ国内で英語の授業を受けるような例はESLと称されるとした上で、こう言い切っています。

In either case, they are simply trying to learn another language, so the expression second language learning is used more generally to describe both situations. いずれの場合においても、こうした学生は単に別の言語を習得しようとしているだけであり、両方の例を表すものとして第二言語習得という言い方を使うのがより一般的だ。

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Comments

>しかしながら、アメリカの大学付属のイングリッシュ・スクールに行って、そこの授業をまじめに受けているだけでは英語が話せる (= 本番の英会話ができる) ようにならないのは当たり前です。
なぜか分かりますか?
なぜならそこは、本番の英会話を教える所ではないからです。

先の方のおっしゃる「本番の英会話」というものがどういうものなのかよくわかりません。ただ、日本でよく言われる英会話という日本語的発想に基づいた表現をそのまま英語圏での発話に当てはめるのは非常に危険です。なぜなら、こちらでは日本の常識や一切通用しないからです。こちらにいる人の多くは、相手が外国人だろうと、なかろうと一切関係ありません。日本人だからといって手加減することなど皆無です。日本で英会話を教えているアメリカ人の多くは例外でしょうけど。

仮に日本語的発想で言われる英会話がいくらできたところで、実際どれだけの日本人留学生が、学部や院で行われる授業のクラスディスカッションに参加できたり、英語プレゼンテーションがまともにできるでしょうか?現に、私がいるアメリカ大学院のプログラムには、RhetoricやFree Speechなどの西洋文化の伝統的な産物といわれるクラスがありますが、これらはとても英会話でやっていけるものではありません。背景的知識がきちんと入っていなければ全く授業にはついていけず、一言も話せないまま3時間終えるのが落ちです。これは私の経験からいえることですが。

いずれにせよ、何がEFLで何がESLかということを議論にすること自体余り意味がないような気がしますが。少なくとも私にとってはどうでもいいことです。私が指導者なら即座にrule outします。学習者にとって余りプラスになるとは考えられませんから。

[返信]

ありがとうございます。

関連して思うのは、日本の大学英語教育関係者で Academic Word List というものがあること自体、認識がないか、希薄であるという事実です。英会話もしかりで、何をもって会話とし、そのために必要なのは何かという問題意識があまりになさすぎだと感じています。当然、この程度の状態ですから、アメリカの院で通用するレベルの会話なぞ夢のまた夢というものでしょう。

この 「EFL、ESLの区別」 に関する前3回の私のコメントは、先生の立場というか、ご意見と非常に異なるところがあるので、不適切なコメントとされ、ご掲載頂けなくても仕方がないと思っていたところ、全てご掲載頂け、先生は何と公明正大な方かと感服しております。

つきましては、私の述べたことで読者の方々が、誤解のないようにして頂きたい、気に成ることがもう1点ございますので、勝手ながら又コメントさせて頂きます。

それは、私がミシガン州立大学に行く前に、1ヵ月ほど滞在したカリフォルニアでの出来事と、帰国してからの英語と英会話の教授と研究の結果から得た結論です。

すなわちそれは、どうも
「12歳頃を過ぎてからの 『本番の英会話 (= ESL: 第2母語としての英語) の教授や学習』 には、英語を外国語としての (EFL) 方式でも良い、『正しい英文法の教授や学習』 が必要である」
ようだということです。

これは、狼に育てられた子供達の研究からも分かるように、
「それを話す人々 (との付き合い) の中にあっても、人が母語の文法を (文法用語など全く用いずに、) 自然に習得できるのは、幼児期をピークとし12歳くらいまでのようである」
ということです。

そのカリフォルニアでの出来事とは、私がミシガンに向かって発つ前に、ロスの郊外 (?) の家にご招待くださった30台半ばの日系婦人のことです。
その方は20年以上もアメリカで生活なさっていたのに、英語はかなりブロークン [でたらめ] でした。

それは多分、日本で小学校を終えられた後、日本の中学校でほとんど英語を習わずに、12、3歳の時にご両親に連れられ渡米されたままだからだと思います。
厳密な発音 (法) は別として、その音声面やジェスチャーはネイティブ・スピーカー並みだったのですが、文法、特に語句の並べ方 [統語法] がでたらめでした。 

彼女は私の話す英語に驚いて、どうして日本で生まれ育っただけなのに、そんなにきちんとした英語が話せるのかと熱心に尋ねられたけれど、当時の私は英文法に関し、現在のように確固たる考えは持っていなかったので、ごく一般的に英文法学習の必要性を説いただけで、あまりお役に立てなかったのは非常に残念です。

今だったら、その語句の並べ方だけなら10分~20分でその要点を伝え、直ぐに2,30分、その実践練習ができるのですがね。

いや、その要点だけなら1、2分で言えるのですがね。
すなわち、英文を作る場合、
「(問題の) そのもの (⇒ 通常 「主語」) 自体から、これに密接に関係するものを通って、次第に疎遠なものへと発想して行きながら、その都度、これらを英語にして並べて行けば良いだけ」
だと。

もう少し具体的に言いますと、
「そのもの自体に直接全体的に関係するものは、従属的なつなぎ無しに中国語の様に並べ、これらに間接的部分的ににしか関係しないものは、より密接な関係にあるものから、次第に疎遠な関係にあるものへと、(だいたい日本語の様に仲介語を介して、)
名詞類ならその従属的なつなぎの前置詞を介して、
(原形) 動詞類なら、その従属的なつなぎの to, -ing, 又は -en を介して、
(平叙) 文なら、その従属的なつなぎの従属接続詞あるいは関係詞を介してこれらを並べていけば良いだけ」
だと。

ただ主文の最初だけは、「前置き (の副詞類)、wh-語類、(文疑問化の) 助動詞」 それから 「主語 (類)」 の順となります。

例文等を用いたこの具体的な解説は、私のブログをご覧頂ければ幸いです。

海外留学生の方々にとって少しは参考になるかと思って、又、コメントさせて頂きます。

今は昔の話になりますが、私がミシガン州立大学の大学院に留学中のことです。
同付属のイングリッシュ・スクールに来ていた何人もの日本人留学生が、私の所へ来て、「どうしたら、英会話が上手くできるのか」 とか、「どうしたら、自由自在に英語が話せるようになる
のか」 と尋ねるのです。
彼らは、英語が母国語として話されている国に行ってしばらく英語留学すれば、英語がペラペラになると信じて来た若者ばかりでした。
そして、その多くは懸命に頑張り、クラスも下位から上位へと順調に進んで来たのにちっとも英語が話せるようにならないと言うのです。
まあ、中にはそのイングリッシュ・スクールでの成績が振るわず、しばらく勉強しては除籍されてか、あちこちの大学のイングリッシュ・スクールを転々として、イースト・ランシングに来ていた若者もいました。

だいたいこのような若者は、次のような事情にありま
した。 つまり、1年半、2年、あるいは延べ3年近くもアメリ
カの英語学校でまじめに勉強してきたのに、一向に英語が話せるようにならない。 日本では家族の皆が、もうそれだけアメリカにいたら英語がペラペラになっただろうし、それに留学費の仕送りも大変になってきたから早く帰国するようにって言っている。 が、こんな英会話力では帰れない、という。

しかしながら、アメリカの大学付属のイングリッシュ・スクールに行って、そこの授業をまじめに受けているだけでは英語が話せる (= 本番の英会話ができる) ようにならないのは当たり前です。
なぜか分かりますか?
なぜならそこは、本番の英会話を教える所ではないからです。

アメリカの大学付属のイングリッシュ・スクールというのは、もともと主として大学院の正規コース、つまり、修士や博士過程で学問を修めようとする外国人 (⇒ 「正規留学 (目的) 生」 と呼ぶことにします。) の不十分な英語力を補うためのものだったと思います。
ちなみに、不十分な英語力とは、アメリカの大学に留学する外国人のための英語力判定テスト、TOEFLを自国で受け、その得点 (= 偏差値×10) が大体 600点 (= 偏差値 60) 以下の場でしょう。
それが大学の経営上の問題もあって、正規留学を目的とせず、英語だけを習うだけで良い外国人 (⇒ 「英語 (目的) 留学生」 と呼ぶことにします。) もどんどん受け容れ、誰でも入れるレベルから、正規留学できるレベルまで多数の段階を作って大きく成長したのだと思います。
ですから、そこで主として教えていることは、結局、日本の英語学校や英会話学校の TOEFL や TOEIC コース、さらには、中・上級の英会話コースとあまり変わりません。
違うことと言えば、こちらでは日本人の先生もいるが、向こうでは先生は (ほとんど) 皆アメリカ人であるということ。
と、こちらでは生徒は皆日本人であるが、あちらでは日本人の他にメキシコ人や中国人や韓国人が多く、その他の国からきた人もチラホララいるということぐらいでしょう。

それゆえ、あちらでいくらまじめに授業を受け、懸命にその予習や復習をしても、後は日本人仲間とばかり日本語で話し、行動を共にしているのだったら、先生がネイティブスピーカーの TOEFL や TOEIC、あるいは中・上級レベルの英会話等の授業を日本で受けているのと大同小異でしょう。
そんなことはいくらやっても、上でも言ったように、本番の英会話が自由自在にできるようにならないことは言うまでもありません。
なぜでしょう。
それは、たとえアメリカにいても、そちらのイングリッシュ・スクールで英語を外国語として (= EFL) 学習しているだけだからです。

そんな相談を受けた時の私のアドバイスの要点は、せっかく 「英語を母語とする人達のアメリカ (= ESL環境) に来ているのだから、できれば日本人と一切付き合わず、日本語の話せないアメリカ人達とばかり付き合う (= ESL交際をする) ように。」 というものでした。
又、
「別に学位をとらなくても良く、ただネイティブスピーカーのように英語を話せるようになりたいだけなら、イングリッシュ・スクールを止めて働きながらそうするのが、一番良いのだけど。」 ともいいました。 
ビザの問題だけでなく、当時、ベトナム戦争の退役軍人が大挙して帰国して来たこともあって、外国人である私達日本人があちらで職を見つけることは大変困難になっていましたが。
重要なことは先ず、英語のネイティブスピーカーの [ESL] 環境にいるかどうかではなく、ネイティブスピーカーと [ESL] 交際し、本番の英会話 [spontaneous communication interaction in English] をするかどうかの問題でしょう。

そして、その後者は、日本にいてもできますし、その最も能率的だと思われる方法で本番の英会話とその方法をお教えしているのが私達の学校や塾だと思います。
その方法からして、若い人はもちろん、お年を召した方でも、準備無しの本番の英会話がどんどん有意義にできるように成っていっていることは言うまでもありません。
ちなみに、長い間ネイティブスピーカーにマンツーマンで英会話を習ってだめだった方や英語留学してだめだった人も、今では気楽に自由に本番の英会話をしています。
その方法は、本番の英会話でお悩みの方々のために、現在のところ無料で、私達のブログで公開しています。

[返信]

ありがとうございます。

先生とは立場というか、意見が違いますが、再び 『ESL学習や教授』 と 『EFL学習や教授』 の違いの重要性についてコメントさせて頂きます。

ここでは、最も簡単で分かりやすいと思われる具体例を幾つか出して、その教授法や学習法の違いを見てみたいと思います。

英語を外国語として教える 『EFL教授』 では、例えば初歩のレベルで、this という英単語は、その正しい発音や綴りや品詞 (この場合 「(指示) 代名詞、形容詞」) と、その和訳あるいはその日本語相当語の 「これ」 や 「この」 等を教わるだけでしょう。

そして後はその定着のためにこれを繰り返し学習し、その英日や日英のテストをクリヤするだけでしょう。
which という英単語も、その正しい発音や綴りや品詞 (この場合 「疑問代名詞、疑問形容詞」) と、その和訳の 「どれ」 や 「どの」 等を教わるだけで後はテストをクリヤするだけでしょう。

Excuse me? [えっ、何とおっしゃった?] という文についても、(Sorry,) I don't understand. [(すみません、) 理解できません。] などという文についても同様でしょう。
そして生徒さん達は、これらの英語が与えられれば、それらをすぐに正しく日本語にできるでしょう。 筆記であれ、口頭であれ。そしてまた、これらの日本語が与えられれば、それらをすぐに正しく英語にできるでしょう。 つまり、英日や日英のテストの状況では。

しかし、この約25年間、私達の体験授業に参加して下さった莫大な数の方々のうち、「本番の英会話の状況」 で次のようなことができた人は、ほとんどいません。 100人に1人いるかいないかですね。

つまり、その方々の手元にあるものを指し示して、"What't that?" [それは何ですか?] と尋ねた時、どれか分からず、それらしいものを指し示したり、持って示したりして、"This?" とか、

"You mean, this?" とかすぐに言えた人は。 (共に 「これ (のこと) ですか?」 の意味。) "Which?" [どれ (のこと) ですか?] とすぐに言えた人は少しいましたが、それでも10人に達しません。

又、聞き取れない時に、"Excuse me?" とか、"Pardon?" とか、"Sorry?" などと間髪を入れずに言えた人もほとんどいませんね。 (共に 「えっ、何とおっしゃった?」 の意味。)

さらに又、理解できない時に "(Sorry,) I don't understand." と言えた人もほとんどいません。
がしかし、その直後にこれらを和英のテストとして尋ねると、大多数の人が即座に正解できたのです。

本番の英会話では、「これ」 という日本語が与えられて "This?" や "This." を発話 (EFL) するのではないでしょう。
その会話の流れや状況の中で、それぞれ、『これかな?』 とか、『これだ。』 と思った時にそう発話 (ESL) するのでしょう。

又、「どれ?」 という日本語が与えられて "Which?" と発話 (EFL) するのでもないでしょう。 

その会話の話の流れや状況の中で 『どれかな?』 と思った時にそう発話 (ESL) するのでしょう。

「(すみません、) 理解できません。」 という和文が与えられて、これを "(Sorry,) I don't understand." と英文にして、発話 (EFL) するのでもないでしょう。 

その会話の流れや状況の中で、相手の発言が 『(悪いけど) 理解できないなあ。』 と思った時に、その思いをそう表現 (ESL) するのでしょう。

つまり、本番の英会話は(英和や和英の) 翻訳やテスト (EFL) の場ではなく、理解や判断や表現をするコミュニケーション (ESL) の場なのです。
ですから、『ESL教授や学習』 は以上の後者 (の "ESL" で表示したこと) ができるようになるための教授や学習なのです。

『ESL教授や学習』 は 『本番の英会話の教授や学習 (法)』 であると言っても良いでしょう。

そして又、『EFL教授や学習』 は 『英語のテストのための教授や学習』 と言っても良いでしょう。

ところで、以上の話から、『EFL教授や学習』 と 『ESL教授や学習』 では、英語と条件付けする相手が全く異なることが良くお分り頂けたのではないでしょうか。
前者の場合は主として 「英語と日本語」 が条件付けられ、主として、先ずは 「英語 → 日本語」 あるいは 「日本語 → 英語」 という条件反射を起こす結果と成ります。
がしかし、後者の場合は主として 「英語とイメージや思考」 が条件付けられ、主として 「英語 → 思い」 あるいは 「思い → 英語」という条件反射を起こす結果と成ります。

ですから、本番の英会話の教授や学習は 『ESL教授や学習』 でないと上手く行かないと思います。そしてそれは、『ESL教授や学習 (法)』 で上手く行っているのですがね。 私達の学校や塾や教室での話ですが。

ただし、英語や特に英会話の学習者達が、英語劇やロールプレイが上手にできたり、英語の試験で高得点を取ったりさえできればそれで良いのです。 本番の英会話や、本番の英語でのコミュニケーションなど満足にできなくてもいいじゃないですか、とおっしゃるのなら、おっしゃる通り両者の区別は不要でしょう。

いや、そんな区別があっては反って不都合でしょう。

[返信]

コメントありがとうございます。

EFLとESLの違いは、研究者又は指導者による視点から生じているもので、学習者からの視点ではないような気がします。よく環境による違いを強調する人の多くは、「日本だと教室の外では英語は使われないから英語は外国語」とか「日本の学校では英語で英語を教える必要はない」といった主張をされているようですが、こういった人たちは、まずEFLとESLはどこから由来し、誰の視点として捕らえられているのかが全く見えていないことが多いのではないでしょうか?

先の方がESLとEFLの違いを押し脂みたいに学習モデルに当てはめて説明されていますが、英語学習者には何のことかさっぱりわからないし、confusingな情報を与えることは避けられません。又、環境が違うからアプローチ法も違うという見解は、決して間違ってはいません。ただし、ESLでは教室外でも英語を使うから、その点EFL環境にいるひとよりも優れているという見解は短絡的な見解(hasty generalization)といわざるを得ません。EFLだから、受信方、逐次式・訳読式学習が一般的だという見解は、いかにも当てつけた印象が強く、unconvincingです。ESLだから優れているとは限らないという意見は、語学学校に1-2年以上いながらいまだに英語が思うように話せない日本人が多い現状からもうなずけます。

[返信]

ありがとうございます。「EFLだから、受信方、逐次式・訳読式学習が一般的だ」という論法がすべてを物語っていると感じました。英語の専門家たちが真顔でEFLだからと、ちっとも「だから」でないことをとくとくと説く現状を見ると、なんだかわが国のアカデミズムはレベルが低いのかなと考えたくもなります。

私のコメントのご掲載とご返信、有り難うごさいました。
私のコメントをお読み頂き、ESLとEFLの学習に関しては立場というか、意見が非常に異なると思われたのに、同コメントをご掲載下さり、きちんとしたご返信も頂けこの上なく嬉しく思っております。
今後も時々コメントさせて頂きたいと思いますが、その折、今回のように意見や立場が違うこともあるかと思います。
そんな場合には、今回のように AGREE TO DISAGREE ということで、お願いできれば幸いです。
それでは又。

ESL [English as a second language: 第2言語としての英語] と
EFL [English as a foreign language: 外国語としての英語] の問題
についてコメントさせて頂きます。

先生は、この問題の結論として
「要するにESL環境で教わっている学生だからEFL環境で教わっている学生に比べて格別有利であり、教育上その差異を考慮に入れるべき程度に達しているようには思えません。」
とおっしゃっていますが、正にその通りだと思います。

ただし、それが「『ESL環境』 で英語を習う (べき) か、それとも『EFL環境』で英語を習う (べき) か」
の 「環境の問題」 である限りにおいての話です。

私は通常教室で英語や英会話を教えていますが、その教室の外で何語が話されていようが、
そんなことはほとんど生徒さんの英語や英会話学習に関係ないと思います。 
いや、全くと言って良いほど影響ないと思います。
また、時々喫茶店等でプライベートレッスンもしていますが、もっと身近な環境の隣の席で日本人が日本語で会話をしていようが、英米人が英語で会話していようが、フランス人がフランス語で会話していようが、
お互いに迷惑をかけたり、話しかけたりしない限り、そのレッスンにほとんど関係なく影響もありません。

私には、なぜそのような環境が問題になるのか理解できません。
先生もおしゃっているように、少し努力をすればネイティブスピーカー用メディアの英語や生の英語に触れたり、少しお金を出せば、英会話喫茶やフリートーキングクラスでネイティブスピーカーと話が出来ますし。

しかし、以下は 「ESL」 や 「EFL」 の定義のし方にもよるでしょうけど、
「私達教師が 『ESLを教える』 のか、それとも 『EFLを教える』 のか」 言い換えると、
「生徒さん達が 『ESLを習う』 のか、それとも 『EFLを習う』 のか」 は重大な問題だと私は思います。

つまり、『ESL学習』 と 『EFL学習』 では、
その学習方法や内容やその意識に重大な違いがあり、それゆえ、
これによって達成される英語力にも重大な違いが生じていると私は考えています。

この 『ESL学習』 と 『EFL学習』 の重大な違いについては、私見を後で述べさせて頂くとして、少し脱線させて頂きます。

私の英語関係史における、これらのイニシャル語に最初に出合ったのは、「TEFL」 の中の「EFL」 だったと思います。

その 「TEFL」 は、英語を母語としない (、主として) 成人に英語を教える資格を与える、
米大学の (英語教育関係の) マスターコース [修士課程] の名前、"Teaching English as a Foreign Language" [外国語としての英語教授] でしたね。

ちなみにこれは、"Teaching English in an environment where it is a Foreign Language" [それが外国語である環境の中での英語教授] 系統の意味、あるいはイニシャル語ではありませんね。

それからしばらくして、そのマスターコースの名前は 「TESL」すなわち "Teaching English as a Second Language" [第2言語としての英語教授] に変わたように思います。

この 「TESL」 という言葉を聞いた時、私は大いに期待しました。
そのマスターを持っているネイティブスピーカー達は、英語をいわゆる外国語とする我が中高齢の生徒さん達にも、英語を第2の母語のように教えてくれるだろうと。
きっと素晴らしい授業をしてくれるものと。

しかし何のことは無い、名前 (とその名前から受ける気分) が変わっだけで、実体はほとんど全く変わらず、どちらかというと 「TEFL」 の方でした。

少々我田引水的なコメントになりますが、そのマスターを持っている先生は大概プライド持っておられるので、私の学校や塾では、先ずその資格でもって中・上級コースを教えて頂いています。
が、大概、生徒さん達からクレームが付き、その先生に私達の中・上級レベルのヒューコム・アプローチをお教えせざるを得なくなります。
これを学んで頂いた先生は、その習得度に応じて生徒さん達は満足なさっているように思います。

ところで私見ですが、今のところ、外国語を成人に第2母語として教えられる方法は私達のヒューコム・アプローチしかないように思えるのですが・・・・

さて、『ESL学習』 と 『EFL学習』 の重大な違いについてです。

先ず 「英語を第2言語として学習すること」 という意味の 『ESL学習』 ですが、
この場合の 「第2言語」 の意味は、母語を表す 「第1言語」 に対しては単なるあとさきだけの問題だから本質的には母語と同じものと見なす、ということでしょう。

つまり、『ESL学習』 とは 私達日本人にとっては 「私達が母語の日本語を身に付けた時のようにして、英語を学習すること」を表すことになりますね。

あるいはもう少し一般的に、「人が母国語を身に付ける時のような方法で、第2言語として英語を学習すること」 と言って良いかも知れません。

次に 『EFL学習』 ですが、この 「英語を外国語として学習する」 ということには、その英語学習に母語の介入が前提とされていると思います。
その学習に母語が介入しないのなら、実質上、『ESL学習』 に成ってしまいますから。

そして、この 『EFL学習』 の典型は、私達日本人が今までずっとしてきた「全て日本語を介してする英語学習」でしょう。
そしてその極みが、先生もこの8月16日の記事、「ガラパゴスに咲くあだ花: 英文解釈」 でも取り上げられました英語の漢文的学習法ではないでしょうか。

もうかなり紙面を使ってしまいましたので、次に両者の根本的な違いの要点だけを箇条書きに述べさせていただきます。

1.『ESL学習』 によると、英会話の場合、不完全対処主義の本番の会話の状況でその方法を身に付けることになり、私達は相手の英語だけでなく、相手の非言語メッセージや現実の状況にも全身全霊ですぐ反応することになるでしょう。
しかし、『EFL学習』 によると、主として演劇やロールプレイの状況でその方法を身に付けることになり、テスト形式でなされるこれらは暗黙のうちに完璧性を目指すために、全身全霊が覚えた英語をきちんと思い出したり、文法を考えたりする方に行き、このような方法で完璧な応答をすることなどほとんど不可能ですから、英語力の無さを悔いたり、そのために応答が遅くなったり、broken English [でたらめな英語 (ジーニアス英和)] でその場を押し切ったりすることになってしまうでしょう。

2.『ESL学習』 によると、英会話における相手は意思伝達の協力者であり、学習者はあるがままの能力で直ぐにでも本番の英会話が気楽にできるようになるでしょう。
がしかし、習得した英語のテスト形式で行われる 『EFL学習』 によると、学習者はいつになったら本番の英会話が気楽にできるようになるでしょう。

3.『ESL学習』 によると、1.の本番の英会話の状況での学習結果として、言葉の社会的な働きが大概正しく全身全霊的に身に付き、言葉に責任が持てるようになるでしょう。
しかし、『EFL学習』 によると、そこで使う言葉の意味内容に何の責任もない演劇やロールプレイの状況で英語を身に付けることになり、本番の英会話をしたり、仕事で英語を使う段になると、使う言葉の社会的働きがよく分からず、それらの責任が取れず、恐くなったり、大きな問題が起こったりするでしょう。

4.『ESL学習』 によると、私達が聞いたり読んだりする英語は、頭の中で大概適切なイメージや考えや感情の矛盾のない流れを直接誘発しますが、『EFL学習』 によると、頭の中でそれがいったん日本語に翻訳され、その日本語の意味内容の英語からのズレがしばしば不適切なイメージや考えや感情を誘発してしまうことになるでしょう。

5.『ESL学習』 によると、私達が英語を話したり書いたりする場合、頭の中のイメージや考えや感情の流れを直接、大概適切な英語にしていきますが、『EFL学習』 によると、頭の中でそれらをいったん日本語にし、3.と同様な理由でその日本語をしばしば不適切な英語に翻訳してしまうことになるでしょう。

6.以上の結果、『ESL学習』 によると、英語で会話をしたり、質疑応答時に答えたり、ディスカッションしたり (、つまり、Spontaneous communication を) する時もさほど苦にはならないでしょう。 がしかし、大概は準備してする 『EFL学習』 によると、準備なしでするか、準備してもほとんど役に立たないこれらをする時は大変な苦痛となるでしょう。

以上、スペースをたくさん頂いてしまいましたが、『ESL学習』 と 『EFL学習』 の基本的な相違に関する私見を述べさせて頂きました。
『EFL学習』 から入っても、それを正しくやれば、発展的にはこれらの相違は小さくなるのではないかとも考えているのですが、このことも含め、コメントいただければ幸いです。

[返信]

コメントありがとうございます。本文で説きましたとおり、自分の言語と異なる言語の作りと使い方を学ぶという点で両者に根本的な違いはなく、区別する実益も見いだせないと感じていますので、どちらがいいというのでなく、両者間に違いがあることを前提とするお説はわたしには立場が違うとしか言いようがありません。

先の投稿の最後の部分でうまい言い方が見つからず、つい「ご注意下さい」と、自分でも変だけど、と思いつつ書いていました。日向先生には、見事、そこを取り上げられてしまいましたね。^^;

[返信]

長いこと日本語を日常的に使う世界から離れているんだろうなと思いつつ、ついつい、からかってしまいました。ご容赦くだされ。

初めまして。アメリカ東南部の州の、コミュニティ・カレッジにて、ESLクラスの講師をしております。

おっしゃるように、『ESL環境』だからといって、学習者の英語の進歩の面で有利かというと、全くといっていいほど、そうではありません。私たちが教えている対象で一番多いのは、ヒスパニック系です。多くの方がご存知だろうと思いますが、中南米からのスペイン語を母国語としたり、第2言語とする移民(例えば、グアテマラ出身者の一部はこの部類です)の人口が多く、例えアメリカ人の下で働いていても、英語を使わなくて済む(同僚が全てヒスパニック系であるなど)環境にいることが多いのです。そのため、20年以上アメリカに住んでいても、英語が全く出来ないという人たちもいます。彼らの子供世代が完全なバイリンガルになっていても、スペイン語のみしか操れないということが多いのです。彼らには、スペイン語のメディア(ラジオ、テレビ)がありますし、消費活動においても、ヒスパニック系御用達の店もありますし、学校にもかなりの数でバイリンガルスタッフ(『リエゾン』などのポジションの人も居ます)が配置されていたりもします。もちろん、バイリンガルの医療スタッフや法律関係者も多いです。このように、一見した環境が英語圏であっても、コミュニティーの実際において英語なしでやっていけるという環境にあれば、英語運用力はなかなか伸びにくいのが現状です。

その一方、コミュニティーの規模が小さかったり、その第一言語が生活面で汎用性がないと、当然のことながら、英語を学ぶ真剣度が違ってきます。生活していくために、必死に英語を学びます。最近移民として数百人規模でやって来た、アジアの某地域からの元refugeesの人たちの英語力の伸びは、目を見張るものがあります。

多くの日本人英語学習者の方達のブログを閲覧しながら思いますが、テレビの番組はもとより、多くのメディアに毎日触れてある方が多いので、こちら英語圏に暮らしている者に近く、英語との接触をされている印象を持ちます。ですから、おっしゃるように、ESLとEFLの区別はもはや無いに等しいように思えます。

・・・ただ一つ言えるのは(うちの州のESLプログラムに関して少なくとも言えると思うのですが)、うちの場合、ESLプログラムが『Adult Literacy』プログラムの傘下にあり、識字率向上を目指すことをかなり強調している点です。この向上の結果を州政府(及び連邦政府にも一部)に対して見える形にして示す必要があります。もちろん予算がそちらから出ているからです。(生徒は無料で授業を受けられます。)つまりは納税者の税金によってまかなわれているわけです。最終的には、英語を学習した人たちが、州や国にとって貢献していくことが目指されているわけなので、英語が生活力となっていかなければなりません。そういう意味で、実際は会話力などがとても大事である一方、交通標識や薬品ラベル、job applicationなどの英語、医療機関で必要な英語、消費者として必要な英語、・・・等々、Life Skillとしての英語が、各自のレベルを測定されるテストにて、試され、その向上の有無を測られます。(使用されているテストは、CASAS(Comprehensive Adult Student Assessment Systems)というものです。
https://www.casas.org/home/index.cfm

以上、いわゆる『ESL』の現場の一例でもお伝えできれば・・・と思いました次第です。もちろん、アメリカは州によって、いろいろなことが違いますので、上記のように、Adult Literacy Programに組み込まれていなかったり、組織面、運営面で全く違った状況もあるかと思いますので、ご注意下さい。

[返信]

貴重な現場からの情報、ありがとうございます。イギリスも移民の人々の英語力で頭を悩ませていますが、アメリカのヒスパニックは堂々と自分たちのカルチャーをまるごと「輸入」し、それでよしとしている点が大きく違うと感じます。ま、だからこそ、非ヒスパニックの反発も大きいのでしょうね。

Adult Literacy Programのことを教えてくださり、ありがとうございます。オーストラリアやカナダも同様の制度を通じて外部からの人々と元々いる人々との融和に努めているわけで、大変だよなと再認識させられます。州による違い、「注意」するよう心がけましょう。

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