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<title>日向清人のビジネス英語雑記帳：スペースアルク</title>
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<modified>2010-03-15T07:58:09Z</modified>
<tagline>「ビジネス英語辞書」や「ビジネス英語表現集」の監修者としておなじみの日向清人先生が、英語のこと、英語以外のことを思いつくままに書きつづる、雑録的ブログ。</tagline>
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<title>話し合いとロジカルな議論の違い</title>
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<summary type="text/plain">前回の記事につき「研究者さん」がコメントで、「日本人はローコンテクストを避ける傾...</summary>
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<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<![CDATA[<p>前回の記事につき「研究者さん」がコメントで、「日本人はローコンテクストを避ける傾向があり、ロジックを駆使しなければいけない日本人研究者同士でも起こり、コンストラクティブな議論が出来ない時があります」とおっしゃっていましたが、やっぱり研究者というレベルでも、（西洋的）議論の文化が根付いていない例もあるんだろうなと思いました。いや、根付いていないと言うより、むしろ、日本には日本なりの、独特の「話し合いの文化」があるのに、それが英語文化を背景にした「議論の文化」と混同されていることが見落とされていると言うべきなのかも知れません。</p>]]>
<![CDATA[<p>国語辞典はどうやらこのあたりをちゃんと意識しているようで、金田一春彦編『学研現代新国語辞典』で「議論する」を引くと、ある問題について自分の意見をのべたり相手の意見を批評したりして、（筋道をたてて）論じ合うこと」とあり、互いのロジックの「比べっこ」であり、ロジックが弱く、つまり、筋道が立っていないと、議論に「負けて」しまうであろうことを読み取れます。勝者がいれば必ず敗者がいるゼロサム・ゲームの世界です。</p>

<p>一方、「話し合う」を引くと、語義の一が「互いに思っていることを話す。語りあう」であり、「将来の夢を話しあう」という例が出ています。語義の二は「互いに理解したり、よい考えを出したりするために話す」であり、「領土の返還について話し合う」という英語感覚からすると考えられないような例文が出ています。話し合いの世界はノン・ゼロサムの世界であることがわかります。</p>

<p>今でこそ、演説とか討論という言葉が普通に使われていますが、いずれも福沢諭吉先生が明治の時代に speech と debate の訳語として当てたことから始まっているぐらいで、そもそもロジックを駆使して自分の考えを述べたり、相手の主張と闘わせるという発想じたいそれまでの日本にはなかったことをうかがえます。</p>

<p>このことは、1874年に福澤先生が門下生と執筆した<A HREF="http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa/flipper/F7-A22/book218.html" target=_blank">「會議辯」</A>という本を読むとよく様子がわかります。英語での会議のバイブルに相当する Robert's Rules of Order とディベートの教科書を足して二で割ったような体裁の本ですが、なぜこの本を出したかを説明している最初のところで、昔からわが国でも人が集まって相談することはあるけれど、「談話の体裁」が整っておらず、学者どうしの議論であれ、商談であれ、あるいは政府の評議でも、「正しき談話の体裁を備えて明らかに決着」をつけるようなことが行われていないので，時間と費用が無駄になっていると指摘しています。そして、本文では、議論を「可議」、「否議」に分けた上、自己の主張をより良く述べ、相手の主張を論破するための議論の方法が語られています。</p>

<p>このように英語的な議論の文化自体、導入されてから 100年ぐらいしか経っていないわけであり、英語教育が100年前と変わっていないことを考えると、まだまだ英語流のロジックに基づいた議論というもの自体、皮膚感覚レベルで理解されていないと考えたほうがよさそうです。特にメディアは、政治家の発言を捉えて、合理的でないとか、曖昧だとか、いろいろ批判をする場合、気づかずに日本的な話し合いが行われている場面に西洋風の議論のロジックを持ち込んでいるような気がします。</p>

<p>例えば、メディアによって優柔不断だ、時間をかけすぎる、あるいは、発言がコロコロと変わると批判されている鳩山総理の言動も、日本的「話し合いの文化」という視点で見ると、まるで違った姿が浮かび上がって来ます。</p>

<p>日本的な「話し合い」がどういうものかは、中澤美依「村寄り合いの「話し合い」の技法ー日本的コミュニケーション文化の原型を探る」（平安女学院大学研究年報 1, 83-94/, 2000）　が詳しく説明してくれていますので、それに即して、鳩山総理ないしは民主党政権における普天間問題をめぐる「ディスカッション」のあり方をちょっと見ておきたいと思います。</p>

<p>まず、西洋的議論の文化では判断材料の提示と思考のプロセスがすべて言語化されるのに対して、日本的話し合いでは、極力言語化が避けられ、問題は個人の心の中に留められると言います。つまり、日本的な話し合いにおいては、対立する主張を直接かわすのではなく、複数の話題を並行して審議する中で、時間を置いて間接的に提示する手法が取られるというのです。英語型ないし西洋型の議論では言葉がすべてであり、意見もそれに対する批判もすべて言葉を通じて行われ、合理・不合理が言語化されるので、最終的な選択ができます。ところが、「話し合い」の場では、</p>

<blockquote>

<p>相異なる意見がまるで打ち上げ花火かのように提示されていき、これに応じて当事者は「そのすべてを個人のこころの中に取り込んで、自分の立場からそれぞれの意見とのダイアローグを開始する。そしてどの意見に賛成すべきか、また、すべての意見をどのあたりで折り合いをつけるべきかと思案をめぐらせる。その上で、必要なら修正意見をまた場に打ち上げ、これを聞いて、参加者はさらに自分の中で思案をめぐらせる。そんなプロセスを繰り返している間に、やがて、結論の「おさまり」どころが参加者全員に見えてきて、それが結論となる。</blockquote></p>

<p>これなど、まさに今の普天間問題をめぐって様々な案が出されている状況にぴったり重なります。混沌としているかのようで、ムラ的な意思決定のプロセスとして見れば、それもアリなのかと感心します。</p>

<p>また、この論文は、話し合いという場は個人の意見の対立の場ではなく、あくまで集団で思考する場である以上、そこに提示される発言も「意思決定までの予備的、経過的、過渡的なものにすぎない」という中野収の説明（『日本型集団主義』（有斐閣 1995年）所収の「日本型組織におけるコミュニケーションと意思決定」）を引きながら、このことから、「たとえ個人が何らかの発言をしても、その後の話の展開によって、まったく逆の発言をすることも一向にかまわない」のだと指摘しています。事実、こういう視点に立てば、鳩山総理を初め民主党政権の関係閣僚たちの発言が二転三転するのも、何も驚くことではないとわかります。</p>

<p>最後に鳩山総理がよくリーダーシップがないと批判されている点も、日本的話し合いのリーダーは西洋文化のリーダーとは違うのだという見方に立てば、何と言うこともありません。日本はまだまだ農耕社会的なムラなのだと言える限りにおいて、メディアが前提としているリーダーシップ像が間違っているとすら言えるのではないでしょうか。</p>

<p>この点、中澤先生の論文では、高取正男『日本的思考の原形』（岩波書店 1975)に基づいて、「人々の心がひとつのものに融けあいはじめた潮時をみはからい、長老たちが村の先例や昔の体験を語り、それにことよせて最終の決断がなされる。長老とか指導者の役割は、その潮時の掌握にかかっている」というリーダー像があることを紹介しながら、西洋の文化の中では、「話し上手」がリーダーの条件だが、わが国のムラでは「聞き上手」であることが求められるとし、</p>

<blockquote>

<p>あくまで集団の合意形成を目的とする話し合いでは、結論としての「おさまり」どころがみんなに納得できる形で見えてくるまで、根気強くすべての成員の意見を聞き、そのこころの動きに気をくばりながら、話し合いを継続させていく。現在のコミュニケーション用語を使えば、まさに"facilitator" の役に徹することが、リーダーとしての一番重要な資質</blockquote></p>

<p>なのだと結んでいます。</p>

<p>なるほど鳩山総理も、西洋風の議論を引っ張るリーダーという目で見れば落第ですが、こういう日本的リーダー像という目で見れば、教科書通りの理想像とすら言えそうです。</p>

<p>考えてみれば、会社の会議なども、純然たる英語ベースの会議と異なり、大体が pre-task talking と呼ばれる本題に入る前の部分にけっこう時間を取っていますし、いたる所で、実は日本的「話し合い」が見られます。つまり英語的な感覚で言うディスカッションと言うよりは、ムラの寄り合いでの擦り合わせ、ないし相談という感覚による会議が世の中の大多数ではないかと思われるのです。</p>

<p>他面、英語の勉強という見地からすれば、英語の会議あるいは論議というのは何から何まで言語化するのが特色だという点はおさえておく価値があります。そしてもう一つ意識しておく価値があるのは、なるほどすべてを言葉に託して時には厳しいやり取りをすることはあるけれど、それは飽くまでも相手の「主張」を対象にしてのものだという点です。What you're saying doesn't make sense. （言っていること、筋が通っていませんよ）という言い方はしても、日本式の「あんた、おかしいよ」に相当する、You don't make sense. といった言い方はしない、いや、してはいけないということです。</p>

<p></p>

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<title>（下）英語文化はローコンテクスト</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2010/03/post_688.html" />
<modified>2010-03-14T08:26:14Z</modified>
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<summary type="text/plain">★　コンテクストというもの そもそもハイコンテクスト、ローコンテクストというもの...</summary>
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<name>hinata</name>

<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<dc:subject>雑録</dc:subject>
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<![CDATA[<p>★　コンテクストというもの</p>

<p>そもそもハイコンテクスト、ローコンテクストというものを言い出したのは Edward T. Hall という文化人類学者です。その Hall が言うには、コンテクストというのは、こういうことです。</p>]]>
<![CDATA[<blockquote>

<p>Context refers to the fact that when people communicate they take for granted how much the listener knows about the subject under discussion. コンテクストというのは、人はコミュニケートする際、聞き手がそこでのやり取りにつきどの程度知っているかにつき一定の前提を設けるという事実を言う。</blockquote></p>

<p>もっと簡単に言ってしまえば、"how much the listener knows about the subject under discussion" つまり、「そこでのやり取りににつきどの程度聞き手がわかっているのか」 ということであり、ハイコンテクスト文化に根ざすコミュニケーションでは、聞き手は contexted されており、いちいち細かい説明をしなくても済むのに対して、ローコンテクスト文化型のコミュニケーションでは、聞き手は何もわかっていないので、一から十まですべてを説明することを要するということになります。</p>

<p>このことを Hall は、Beyond Culture の中で、こう説明しています。</p>

<blockquote>

<p>A high context (HC) communication or message is one in which most of the information is already in the person, while very little is in the coded, explicit, transmitted part of the message. A low context (LC) communication is just the opposite; i.e., the mass of the information is vested in the explicit code. 　ハイコンテクスト型のコミュニケーションないしメッセージというものは、対象となっている情報のほとんどが関与している当事者本人に内在している。他面、メッセージということで言葉に置き換えられ、顕在化されており、かつ、伝達されるものの中身は薄い。これに対してローコンテクスト型のコミュニケーションは正反対となる。つまり、情報の本体部分が顕在化された言葉に織り込まれている。</blockquote></p>

<p>そして、Hall は、このことは互いにわかりあっているがゆえにハイコンテクスト型のコミュニケーションを行う双子と、他のローコンテクスト型の人々、例えば、法廷での弁護士どうし、法案を起草する二人の政治家などと対比するとわかりやすいとしています。</p>

<p>★　ハイ／ローはどこから来たのか</p>

<p>そもそも、なぜこういう分化が生じたかについては、Hall は直接説明していませんが、知っている限りでは、まず日本のような同質的社会だとハイコンテクストになるという説明があります。しかし、よくローコンテクスト文化の典型として持ち出される北欧諸国など、同質社会ですから、説得力がありません。</p>

<p>農耕文化の歴史のある所がハイコンテクストになり、狩猟文化の歴史を持つところがローコンテクストだという説明もあります。なんだかわかったような気持ちになる説明ではありますが、何百年、あるいは何千年も前の話が現代の我々に影響しており、我々のコミュニケーション・スタイルまで直接左右しているとは、これまた考えにくいことです。</p>

<p>してみると、親の教育がこういったコンテクストの捉え方を左右するのだという見方が一番説得力があります。つまりローコンテクスト文化ではコミュニケーションが専ら言葉に託されるのに対して、ハイコンテクスト文化では非言語的要素が大きな割合を占めるわけですが、それぞれ30人の日本人とアメリカ人の幼児（３ヶ月から４ヶ月）に対して母親がどう接しているかを調べた研究では、アメリカ人の母親が専ら話しかけていたのに対して、日本人の母親は、撫でたり、あやすために（言葉でない）声を出したりしていたと言います。［Morikawa, Hiromi, Nancy Shand, and Yoriko Kosawa. "Maternal speech to prelingual infants in Japan and the United States: Relationships among functions, forms and referents." Journal of Child Language 15 (1988): 237-256.］日本人の母親は非言語的要素にウェイトをかけているということです。</p>

<p>また、子供がいけないことをした場合、どう対応するかを調べるべく、日本人とアメリカ人の母親各10人（子供は３歳から６歳）を比較した研究では、アメリカ人が I don't like the way you're speaking. といった形で、母親としての意見を言葉化していたのに対して、日本人の方は傾向として、「自分はこう思う」というものを言葉に託するのではなく、「おとなにそんな口を聞いたら駄目でしょう」(Speaking that way to a grown-up won't do.) といった形で、「世間がどう見るか」を伝えていたと言います。［Loveday, Loe. Language Contact in Japan. Oxford, Eng.: Clarendon Press, 1996. Matsumori, A. "Hahaoya no kodomo e no gengo ni yoru koodoo kisei." Gengo shuutoku no shosoo[Aspects of language aqcuisition]. Hiroshima, Jap.; Bunka Hyoron, 1981. 320-339.］つまり、こうすべしと言葉で言うのでなく、間接的にそれじゃまずいでしょ、と伝えていたということです。たしかに、こういうプロセスが繰り返されれば、こういうことをすると「世間」はこう受け止めると言ったシミュレーションになるわけで、自分の行動が他の人々にどう映るのかという非言語情報を意識させられることでしょう。</p>

<p>言い換えれば、限られた実証実験ではあり、また、今もそうかとなると疑問もありますが、ひとまず、ハイコンテクスト文化とされる日本社会は、母親たちによる、非言語的要素が大きなウェイトを占めている「コミュニケーション教育」に負う所大と言えるようです。</p>

<p>★　英語の世界に見るローコンテクスト文化</p>

<p>こういったハイコンテクスト／ローコンテクストが英語によるコミュニケーションにどう現れるのかを考えた場合、一番大事なのは、以上のことから明らかなとおり、ともかく英語の世界では何から何までいちいち言葉にするということです。個人的にこのことを感じるのは英語圏の人と食事するときです。私自身は口下手な方なので、正直辛いのですが、会食の際は、英語の流儀にしたがって、どうですか、そのステーキの味は？胡椒などいかが？と甲斐甲斐しく世話を焼き、さらに、しらけないように、話が途切れたり、しらけたりしないよう、おおいに気を遣うからです。</p>

<p>第二は、英語のロジックというのか、話の運び方が独特だということです。日本語の場合なら、何かを論じるような場合、こうも言える、ああも言えると、ボワーンと全体を提示し、その中で互いの「こんな感じがする」という気持ちを語り合うのが普通かと思いますが、英語の場合は、きわめて直線的で、「まずはAである、そうとすればBであり、その結果Cと言えるが、そうとすればDである」といった感じで話が論理の節目である点を結ぶための直線であるかのごとく進められます。したがって、この直線ルートをはずれ、脇道に入ろうものなら、すぐ、I'm not following you. （話が見えない）とか、Could you cut to the chase? （で、言いたいのは何？）と注意が飛びます。</p>

<p>ここでちょっと思い出したのが、大昔、大学院の授業で体験したアフリカ人の論法。指導教授が懇意にしているロンドン大学の先生のお弟子さんという触れ込みだったと覚えているのですが、ともかくその人が教室に招かれ、アフリカ政治の歴史、現状、見通しを簡単に説明してくださいという「お題」に対して、その人が何をしたかと言うと、やおらタバコを取り出し、火をつけ、「みなさん、ご覧になりましたか？今、みなさんは、ひとつの歴史を見たのです」と意味不明のことを言い出し、一同呆然。</p>

<p>その時は何が起きたのかすらわかりませんでしたが、今にして思えば、あれは、英語文化の直線スタイル (linear style) ではなく、コンテクスト中心のスタイルでのプレゼンだったのです。英語なら、アフリカの過去、現在、未来と話がストレートに進むのに対して、コンテクスト中心の場合は、過去、現在、未来を理解するために必要な視点を得るための背景事情ないしストーリーが滔々たる大河のごとく語られるのです。</p>

<p>ま、何であれ、大事なのは、どちらがいいという話ではなく、英語の場合は、（世界的には少数派ながら）ストレートな展開が普通とされ、そのことを表裏一体をなすこととして、話の筋道も明確に相手に示されることです。英語で話す際は、ロジックの節目で、What's more... First, Second といった決まり文句が入りますが、日本語感覚からすれば、いちいち、「その上」「第一、第二」とやるのは書き言葉的であり、違和感があるものの、これが英語だと、言葉がすべてとあって、話の「作り」までいちいち言葉に出して示すのだと解されます。加えて、currently （現時点では）、incidentally （偶然にも）と、これまた予測可能性を確保するため、これから言おうとしていることがどういう内容か，話の流れがどちらに向うかを示す言葉もやたら会話の中に入れます。</p>

<p>してみると、ローコンテクストというのは英会話のあり方を理解する上でもけっこう大事な視点だと言えそうです。</p>

<p></p>

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<title>（上）英語文化はローコンテクスト</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2010/03/post_687.html" />
<modified>2010-03-12T23:28:48Z</modified>
<issued>2010-03-10T22:43:41Z</issued>
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<summary type="text/plain">会社勤めしている人たちがぼやいたり、嘆いたりしているのを聞いていると、おおざっぱ...</summary>
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<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<dc:subject>雑録</dc:subject>
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<![CDATA[<p>会社勤めしている人たちがぼやいたり、嘆いたりしているのを聞いていると、おおざっぱに言って、部下に対する不満では「いちいち言わないとわからんのか」という趣旨のものが多く、上司に対する不満としては「わかってくれないんだよなあ（言わなくてもわかるはずなのに）」というのが多いと感じています。こうした傾向は外国人社員や役員の会社が要ると強調されるようでもあります。</p>]]>
<![CDATA[<p>この種の話を耳にするつど、これが近頃よく言われる「社会のローコンテクスト化」なのか、本当なんだと改めて感心します。ローコンテクストについては、あとで見て行きますが、とりあえずここでは「言語化」と読み替えるとわかります。</p>

<p>★　ローコンテクストは言語化</p>

<p>日本人どうしは一般に暗黙知を共有している度合いが多い分、言語化しなくて済む部分が大きいハイコンテクト文化だとされますが、それも年代によって濃淡が違うので、共有されている（あるいは共有されていると「される」）暗黙知の領域がずれているのに、その部分を明示的な言語で補うことを忘れると、当然、「いちいち言わないとわからんのか、そんなこともわからんでどうする！」といった衝突に結びつくのでしょう。</p>

<p>つまりハイコンテクスト型の上司から見たローコンテクスト型の部下はいちいち言わないとわからない気の利かない奴と映り、ローコンテクスト型の部下から見たハイコンテクスト型の上司は、100作業分の仕事なのに、10作業分の指示しかしない言葉足らずの人間です。</p>

<p>特に大企業の場合は、こういった問題が顕在化します。組織の中では横との連携を確保しつつ、組織の上下間で、いわゆるホウレンソウつまり報告・連絡・相談を欠かさないようにして情報のやり取りをするわけですが、言語でのやり取りがあっても、その部分が実は「氷山の一角」で、本当に大事な所は水面下の部分（コンテクスト）だというのでは、みんながみんなそういう文化を共有しているならともかく、そうでないと、いわゆる「風通し」が悪くなってしまいます。</p>

<p>こうしたことから、近頃、大企業では、敢えてローコンテクスト化、つまり、今迄だったらいちいち言葉にしていなかった部分まで顕在化させ、言語化することに努めているのでしょう。</p>

<p>この点、英語を使うとおのずと何から何まで言語化する必要があるのを受けて、業務を英語化してしまう例が目を引きます。日産のようにフランス人社員との意思疎通の必要がある所ならともかく、すごいと思ったのは、楽天のようにこれまで基本的にはドメスチックな会社だったのが海外進出を意識して、英語で朝会をやるようになったという話です。（楽天の会議の英語化については、同社の社員とおぼしき方が書いている、<A HREF="http://plaza.rakuten.co.jp/naoshi/diary/201003010000/" target=_blank">この「なおしブログ」</A>が雰囲気を伝えてます）</p>

<p>★　ローコンテクスト／ハイコンテクストとコミュニケーションスタイル</p>

<p>ローコンテクスト文化とハイコンテクスト文化がコミュニケーションスタイルの違いとしてどう表れるかについては、Haru Yamada が Different Games Different Rules (Oxford University Press) で言っている、英語は「話し手責任」の世界、日本語は「聞き手責任」の世界という枠組みがわかりやすいと思います。ローコンテクスト文化では言語がすべてというアプローチなので、会話を通じて授受されるコンテンツも、もっぱら話し手の責任で形成され、伝えられます。一方、ハイコンテクスト文化では言語化されている部分の背後にコンテクストという要素があり、その部分は話し手としては言語化して伝えたりしないので、聞き手の責任が重くなります。聞き手は言語化された部分を受け取ると同時に「暗黙の了解部分」を解読することが当然とされる世界です。</p>

<p>こうした違いから、英語の場合、話し手は、state and prove （何か言ったら、どうしてそう言えるのかも説明する）というアリストテレス以来の論法を念頭に、わかりやすく話すよう心がけることが求められ、その延長線上では、that's why...what's more...などと「ロジックの流れがわかる標識」を要所要所で入れ、また、certainly, probably といった、「これから話す内容や感じがわかる標識」を先に出しながら話を進めていきます。ひとことで言えば、英語で話す場合は、discourse management（やり取りを統御するスキル）が要求されるのです。</p>

<p>対照的に、日本語の場合は、聞き手が「察して」くれるはずだという甘えないし依存が許されるので、一から十まで言わなくてもいいとか、いちいち言葉にすると角が立つといった感覚があり、この結果、曖昧で多義的な表現が好まれたり、論理の飛躍があっても互いになあなあで済ましてしまうことにもなります。</p>

<p>話し手の方も聞き手のよる「察し」を助けるため、いきなり結論を打ち出したりはせず、聞き手が「ははあ、この話はこういう話で、こういう方向へと流れるのか」とわかるよう、前座的なやり取りをするものです。このようにそこでの話が何の話かについての理解を深めるための話を Yamada は、"talk about talk" と呼び、これは聞き手の便宜のため、最大限の解釈の余地 (maximum listener interpretability) を確保するために重要だと説いています。</p>

<p>★ Is that a yes or no? はローコンテクストの象徴</p>

<p>こうした日本流のコミュニケーションスタイルが裏目に出たのが、先日の米議会での豊田社長の話し方でした。委員長が、オーバーライド（アクセルとブレーキが両方踏まれた場合、ブレーキを優先する機能）を全車種に取り付けるつもりはないのかと質したのに対して、豊田社長、おもむろに「この問題には４つの要因がありまして・・・」と始めたものですから、ストレートな Yes または No を予想していた委員長、「えーっ、その答えは何なの」という感じで、身を乗り出して、こう言っていました。</p>

<p>Is that a yes or no? ... I'm trying to find out, is that a yes or no?</p>

<p>この "Is that a yes or no?" という言い方は、ひどくきつい感じも受けますが、コンテクストをすべて捨象し、言葉という形式だけでものごとを決めようとするローコンテクスト文化の象徴みたいな言い回しであり（ですから、法廷ドラマものでよく見聞きします）、こうした見地からすると、あの委員会での話のかみあわなかった場面も、ハイコンテクスト型の人間がローコンテクスト文化の牙城に引っ張り込まれているのに、日本の流儀で臨んだための悲喜劇と見ることもできます。しかも、困ったことに、文化の違いによるコミュニケーションスタイルの違いにまで頭が行かない連中には、「質問をはぐらかしている」と映ってしまうことにもなります。</p>

<p></p>

<p></p>

<p>つづく</p>

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<title>基本単語の謎</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2010/03/post_686.html" />
<modified>2010-03-10T02:03:33Z</modified>
<issued>2010-03-09T23:51:45Z</issued>
<id>tag:eng.alc.co.jp,2010:/newsbiz/hinata//120.22849</id>
<created>2010-03-09T23:51:45Z</created>
<summary type="text/plain">先頃、学習指導要領が改訂され、中学英語レベルでの必修単語数が200語増の1,20...</summary>
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<name>hinata</name>

<email>nhashi@alc.co.jp</email>
</author>
<dc:subject>英語学習法</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/">
<![CDATA[<p>先頃、学習指導要領が改訂され、中学英語レベルでの必修単語数が200語増の1,200となり、高校卒業時まで習得すべき単語数が合計で3,000 となりました。<br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>この 3,000 単語という語彙水準、英語を勉強してコミュニケートしたいという場合の最低ラインとして納得が行きます。というのも、語彙習得論の権威である Paul Nation が Robert Waring といっしょに書いている<A HREF="http://www.fltr.ucl.ac.be/fltr/GERM/ETAN/bibs/vocab/cup.html" target=_blank">論文</A>で、こう言っているからです。</p>

<blockquote>

<p>Clearly the learner needs to know the 3,000 or so high frequency words of the language. These are an immediate high priority and there is little sense in focusing on other vocabulary until these are well learned.　学習者が3,000前後の高頻出単語を覚える必要があるのは明らかだ。まずは他に優先して進めるべきことであり、この種の単語を十分マスターしないうちは、他のボキャブラリーにまで手を広げてもあまり意味がない。</blockquote></p>

<p>そうかと思うと、ケンブリッジ大学出版から出ている Vocabulary in Use シリーズの共同編集者の一人、Michael McCarthyは、<A HREF="http://www.eltnews.com/features/interviews/2005/01/interview_with_michael_mccarth.html" target=_blank">ある専門誌のインタビュー</A>で、こう言って、2,000単語以上と強調しています。</p>

<blockquote>

<p>Practical tips, right. Well, first of all, get to the 2,000-word threshold as quickly as you can, using any method whatsoever, flashcards, translation lists, rote learning, anything, because without those 2,000 most common words you can't do much, and especially you can't use the words you know to guess the meanings of the words you don't know if you haven't got those 2,000.　実際的なヒントですね、わかりました。まずは、2,000単語レベルに一刻も早く達することです。方法は問いません。フラッシュカード、対訳のある単語帳、暗記となんでもいいのです。と言うのも、この頻出2,000単語を知らないことには、たいしたことができないからです。このレベルをクリアしていないようでは、自分の知っている単語をもとに別の新たな単語の意味を推測することすらままなりません。</blockquote></p>

<p>なんであれ、基本2,000単語を使えるようになれば、書き言葉の８割、話し言葉の９割をまかなえることがわかっていますから、これが一つの目標とされるべきであるのは間違いありまえん。</p>

<p>ところで、わが国の学習指導要領では、3,000単語と言いながら、どの単語がこれに入るのかを明らかにしていません。調査不足なのかも知れませんが、ネットで調べても具体的なものが出て来ません。わずかに、中学英語の学習指導要領の別表１というもので100単語示してあるだけです。察するに、あとは教科書の編集者に任せているのでしょう。そうとすればずいぶんと乱暴な話です。あれだけ指導要領で事細かに「どのように教えるべきか」を定めておきながら、「どういう単語を教えるべきか」がすっぽり抜け落ちているも同然です。</p>

<p>対照的に、台湾では政府が基本2,000語リストを定めており、それがどれだけ基本語彙リストの老舗格である General Service List と一致しているかが研究されているぐらいです。</p>

<p>ここで、ふと「何が基本か」についてのコンセンサスがあるのかと思い、調べてみました。まず文部科学省のサイト( site:mext.go.jp ) を指定した上で、「基本単語」や「必修単語」をキーワードに検索してみると、審議会などでこういう表現がさかんに使われていることがわかります。ところが、どこにも定義がありません。互いに「何が基本か」についてわかったつもりで、あるいは意味が相手と違っているやも知れぬ「基本単語」という言葉で、いろいろと議論しているわけですから、そもそも、よく議論が成り立つなあと感心します。不思議な世界です。</p>

<p>中でも驚いたのが、<A HREF="http://tom.edisc.jp/research/p020.pdf" target=_blank">学習指導要領の必修語の変遷について</A>という研究報告。ちょっと古く、日付は1999.5.29 になっており、日本英学史学会広島支部 第40 回研究例会という記載があります。報告者は、比治山大学の馬本 勉という方。</p>

<p>何が一番驚いたかと言うと、終わりの方で「『基本語』の捉え方が一貫していない」と指摘されていることです。象徴的なのが、以下の引用部分。若林俊輔(1971)「学習指導要領の変遷」『英語教育』20.10: 42-44 上の記述を引いて、こう報告しています。</p>

<blockquote>

<p>「文部省の定めた基本単語」昭和33 年版の案は515 語であったものが何かの都合で<br />
520 語になり、「ラウンドナンバーにするための小手先の操作」がうわさされたことを紹介。さらに、選定の「理論的根拠が全く不明」であると述べている。</blockquote></p>

<p>「何かの都合で」英語教育の根幹部分が左右されてしまうのですから、呆れてものが言えません。有識者委員会により外務省密約事件並みの調査をしてもらいたくなります。</p>

<p>ちなみに自分にとっての「基本単語」は Michael West の General Service List (GSL) で取り上げている 2,000強の単語です。なにしろ1930年代のコーパスに基づいていますから、computerといった現代では常識に属する言葉が入っていない一方、shilling のような死語のようなものが入っていたりします。またコーパスに話し言葉が入っていないという限界があります。しかし、それでも、各種研究を通じて、GSLの単語を覚えることで、書き言葉の８割、話し言葉の９割をまかなえることがわかっています。</p>

<p>［注記：後日、別の研究者たちが改訂しものながら、General Service List の実物は<A HREF="http://jbauman.com/gsl.html" target=_blank">こちらにあります</A>。ご覧になっておわかりのとおり、ワードファミリー単位で見出し語を立てているので、spoke, spoken, speaking, speaker, speech, speeches をひとまとめにして、speak という見出し語で代表させています。動詞の場合、こういった活用形や派生形がありますし、形容詞も、able を例に言えば、「能力がある」という意味に加えて「力量がある、有能だ」という意味もありますから、見出し語が 2,000 と言っても、派生形やニュアンスの違いなども加味したら、最終的には１万前後の単語を扱うことになります］</p>

<p>実際、Learning Vocabulary in Another Language などで知られる語彙学習の権威、Paul Nation は、以下のように評しています。</p>

<blockquote>

<p>"it still remains the best of the available lists because of its information about the frequency of meanings, and West's careful application of criteria other than frequency and range" 　[GSLは]今なお入手しうる語彙表としては最善のものだ。理由は、意味別の出現頻度がどうなっているかを示していること、また、West が頻度と使用範囲だけを基準とせず、他の基準をも注意深く適用していることに求められる。</blockquote></p>

<p>また、Ronald Carter という研究者も、1998年に出ている Vocabulary: Applied Linguistic Perspectives という本の中で、"one of the most innovative examples of foreign language pedagogy and lexiometric research this century" （外国語教授法ならびに計量分析による語彙調査において今世紀中最も先進的なアプローチの一つ）と高い評価を与えています。</p>

<p>いずれ、この GSL を正面から取り上げた本を書きたいものです。単語解説と用例を羅列しただけで終わっていないものを。</p>

<p><br />
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<title>時を超越する駄目教育</title>
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<modified>2010-03-10T02:16:31Z</modified>
<issued>2010-03-09T02:54:24Z</issued>
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<summary type="text/plain">以下は、アジアの某国（ここではひとまずX国）で主として英語教員養成に携わったイギ...</summary>
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<dc:subject>雑録</dc:subject>
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<![CDATA[<p>以下は、アジアの某国（ここではひとまずX国）で主として英語教員養成に携わったイギリス人が同国の教育当局に提出した報告書の一節です。（読んでいて、大学教育のことのようにも思えますが、中等教育における英語がテーマです）<br />
</p>]]>
<![CDATA[<blockquote>

<p>学生は週あたりおよそ10時間を英語にかけているが、まるで結果を出せないで終わっている。卒業時点でさえ、英語を読めるのは少数に留まり、話す能力もばらばらのセンテンスを連ねる程度だ。書く能力も時間をかけて、苦労しながらまとめるのがやっとのことだ。</p>

<p>英語教育の実際はこうだ。通常、学生には英文の一節が課題として与えられ、学生はどういう内容かを読み解き、かつ、それをX国語に訳さねばならない。時には、この単語の同義語として他に何がありましたっけという程度の質問がある。教師の役どころは、英文を読み上げた上、これはX語ではこういう意味ですねと解説するというもので、学生はその解説を一生懸命にノートに書き取る。</p>

<p>声に出して英語を読むことも行われている。指名された学生が指定された箇所を音読し、終わったところで、学生はその英文が何を言おうとしているかを説明するという手順だ。</p>

<p>週に１回か２回は、X語から英語への翻訳の練習もある。翻訳の課題文は短いものの、内容的には難しく、学生は辞書を引き引き、逐語訳的な英文を作ることになる。結局、英文ライティングらしきものはこの程度しか行われない。</p>

<p>この結果、学生は、英語からX語には訳せるが、反対方向の翻訳はまずできない。童話のような簡単なものすら英語に直せないというレベルだ。また、授業自体、X国語なので、話される英語というものを聞いたことがなく、当然、英語で話をされても理解できない。ライティングもものの役に立つレベルではない。</p>

</blockquote>

<p>これを読まれた方の多くが、ああ、このX国は日本のことだと思われたのではないでしょうか。たしかに、そのぐらい似ています。ところが、実は、これ、基本単語のリストとして今なお専門家が賞賛してやまない The General Service List of English Words の編者、MIchael West が赴任先のインドの英語教育事情について書いたものです。</p>

<p>いつの話だと思われますか？第一次世界大戦の後始末をしたパリ講和会議が開かれた年です。しかし、上には上があるもので、わが国の教科書に載っている会話例などは、<A HREF="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2009/09/post_605.html" target=_blank">1906年当時のものと大差ない</A>わけで、その意味では現代日本の方がガラパゴス度において勝っています。</p>

<p>なお、Michael West が追求し続けた必要最小限の適正な語彙水準 (minimum adequate vocabulary) という考え方は、その後、制限語彙によるグレイデッドリーダーを生み出し、さらには、定義をすべて所定の制限語彙内に収めてある英英辞典の先がけとなった Longman Dictionary of Contemporary English (LDOCE) へと結びついて行きます。</p>

<p></p>

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</p>]]>
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<title>（完）ELF vs ネイティブ英語</title>
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<modified>2010-03-07T04:02:55Z</modified>
<issued>2010-03-07T00:38:18Z</issued>
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<summary type="text/plain">互いに母語が異なる人どうしの間で使われる英語 (ELF = English as...</summary>
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<![CDATA[<p>互いに母語が異なる人どうしの間で使われる英語 (ELF = English as a LIngua Franca) はどうなんだということで、文法では三人称単数現在の -s を落としたり、単数・複数の区別を無視しても会話が成立するし、発音でも th を気にしなくても通じるといったことを見た上で、そうとなれば標準語としての英語、ネイティブ英語が廃れそうなものだが、14ヶ国400名の学習者を対象としたアンケート調査では、なおもネイティブの英語が学習者の目標となっていることを見て来ました。</p>

<p>今回、シリーズの最終回では、ELFが幅広く浸透しているヨーロッパの実情を見ておきたいと思います。</p>]]>
<![CDATA[<p>ヨーロッパの場合、建前としては23を数えるEU加盟各国の言語は同格とされ、公文書はすべてこれらの言語に翻訳されることになっています。また、EU域内では、母語に加えて、もう二言語を早い時期から教えるべきだという合意があり、大学生についても、少なくとも一学期は外国に行き、外国語の単位を取ることが政策として打ち出されています。複言語主義と言われるものです。</p>

<p>しかし、EUの公文書の６割以上が英語で書かれており、また、欧州中央銀行における実務上の共通言語は英語です。ビジネスの世界でも英語が公用語扱いされています。この点、象徴的なのが、2006年に起きた「シラク大統領（当時）の抗議の退席事件」です。<A HREF="http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4840160.stm" target=_blank">BBC News</A>の見出しは、Chirac upset by English address となっており、まさにその通りですが、フランス経団連の会長がEU首脳会議での分科会において英語を使ったのが逆鱗に触れ、大統領が外務大臣、財務大臣ともども、抗議の退席をしたという一件です。ふるっているのが、経団連会長の反論で、シラク大統領になんで英語なんか使うんだと難詰されたところで、英語は「この分科会の実務上の共通語である上、英語はこんにちのヨーロッパにおけるビジネスの公用語として認知されていますからね」と応じたのです。</p>

<p>このようにヨーロッパでは英語が共通の公用語として広く、深く浸透していますが、そこで使われている英語がどういうものか気になります。独特の「進化」を遂げているのか、それともやはりネイティブ英語が標準語なのかということです。</p>

<p>この問題に関しては、話し言葉が24万単語、書き言葉が16万単語の計40万単語から成る Corpus of Euro-English （以下「欧州英語コーパス」）を基にした研究があります。Sandra Mollin の English as a Lingua Franca: A New Variety in the New Expanding Circle?という研究報告で、ここでは、Corpus of Euro-English 上の用法をイギリス英語のコーパスである British National Corpus (BNC) と突き合わせるというアプローチによっています。</p>

<p>このレポートの結論は、ヨーロッパ（大陸）の英語の話し手たちによって新たな種類のヨーロッパ英語とでも言うべきものが形成されつつあるとは言えず、結局、ネイティブ英語がモデルになっているというものでした。</p>

<p>先に、Seidlhofer という研究者が三単元の "s" がなくても話は通じている旨報告しているということをご紹介しましたが、欧州英語コーパス中、三単元の s が必要な例、約2,700例のうち s が落ちていたのはわずか16例だそうです。本家のBNC での用例調査の結果との違いで言っても、0.58% 未満の差だと言いますから、イギリス人による三単元の使い方の正確さとほとんど変わりがないということです。</p>

<p>欧州英語コーパスは大部分が EU がらみのやり取りですから、ヨーロッパで英語を共通語として使っている人々つまり教育程度の高い人々が三単元の s を落とすことはまずないと言えそうです。</p>

<p>同じく Seidlhofer が指摘していた the dog who.../ the man which といった who/which の誤用についても、少なくとも欧州英語コーパス上は、ほとんどないという結果でした。who の用例を調べたところ、誤用率は 1.83%で、which の用例においてはそれが 0.91% ですから、標準語であるネイティブ英語のルールが忠実に守られていることになります。</p>

<p>さらにこのレポートは完了形の使い方もチェックしています。完了形はたしかに学習者にとっては鬼門であり、「ユーロイングリッシュ」においては完了形は消える運命にあると見ていた研究者もいたのですが、go, make, take といった基本動詞を中心に完了形が使われるケースを調べたところ、BNC で見られる使い方と何ら変わりがないことがわかりました。</p>

<p>一方、「ユーロイングリッシュっぽい」用法もあるにはありました。ただ、それも英語の「作り」が変容しているといった話ではなく、「こう言った方が通じやすいのではないか」という話し手の工夫という性格が強いと解されています。</p>

<p>例えば、欧州英語コーパスでは動詞 have が好んで使われていますが、その延長線上で、以下のようにネイティブ英語の使い手だったら違和感をおぼえるような使い方がけっこう見られます。</p>

<p>...to have a dialog on...</p>

<p>...to have a definitive judgement...</p>

<p>...has a stronger consolidation...</p>

<p>こうした例は、標準的な英語からすれば、hold a dialog, make a judgement, achieve a consolidation ですから、ちょっと外れている感じがあります。（ただ、dialogは微妙です。Oxford Collocations Dictionary は have も認めているからです）</p>

<p>しかし、共に母語が英語でない人どうしが話すような場合、「これなら大丈夫だろう」という言い方を敢えて選ぼうとするのは心理としてよくわかります。つまり、知識としては、make a judgement が普通の形であることはわかっていても、相手との英語でのやり取りを通じて、ちょっと心配だったら、have a judgement という、変だけれど、コミュニケーション優先で、伝わりやすい形を選ぶのもひとつの方法です。</p>

<p>こうして見ると、ヨーロッパ大陸で使われている共通語としての英語は、標準的な英語（ネイティブ英語をモデルとする英語）と比べて、何か根本的な「作り」で異なっているという性質のものではなさそうです。Sandra Mollin の見るところ、English as a Lingua Franca (ELF) というのは、英語を母語としない人々が使う英語というように、特定グループによって使われる英語とみなすよりは、状況と、何を伝えようとしているのかで左右される英語の使い方の違いです。</p>

<p>そして、その使い方の違いは、具体的には、「ひとしゃべり」が短めであること、語彙が限定的であること、通じそうもない定型句やイディオムを控えることにあるとのことです。</p>

<p>何であれ、ELF がこのように、状況とコミュニケーション目的によって左右される機能の問題であり、流動的であるということは、会話が持つ即興性から来る散発的な現象でしかなく、定型性を欠いているということです。そうとすれば、これまた Mollin が言うように、英語を教えたり、学んだりする際のモデルとしては適当でないということです。</p>

<p>ですから、ELFシリーズの第１回の記事につき、「日向先生の著書を参考に英語を勉強しているのですが、日々の学習の方向性としては日向先生が著書で紹介されているような文法・語法を身につけるべきだと考えてよろしいでしょうか。ご紹介のELFのような実態については、学習上どう位置づければよいでしょうか」というコメントを寄せてくださった「羊」さんに対して、どうぞ安心して拙著をお使いくださいと言えることにもなります。</p>

<p>ちなみに現在のシティバンクのCEOである、Vikram Pandit はインド出身で、母語はマラティ語だそうです。16歳でアメリカに移住したという経歴ですが、話す英語は多少アクセントはあっても、内容的には（当たり前ですが）ビジネス英語の標準語です。そうでなかったら、コロンビアでファイナンスのPh.D を取れなかったでしょうし、モルガンスタンレーで出世することもできなかったはずです。どの世界にも標準語はあるのだといういい例だと思います。</p>

<p>（www.youtube.comで、Vikram Pandit と検索すると彼がどういう話し方をするのかがわかります。きわめてイディオマチックな英語で、「しゃべり」のうまさに感心します）</p>

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<p></p>

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<title>（続）ELF vs ネイティブ英語</title>
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<modified>2010-03-05T05:15:25Z</modified>
<issued>2010-03-05T03:49:35Z</issued>
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<summary type="text/plain">前回、ノンネイティブどうしが英語を使ってコミュニケーションを行う世界では、文法と...</summary>
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<name>hinata</name>

<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<dc:subject>英語</dc:subject>
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<![CDATA[<p>前回、ノンネイティブどうしが英語を使ってコミュニケーションを行う世界では、文法と言い、発音と言い、独特であることを見ました。額面どおり受け止めれば、英語なんか無手勝流でよく、わたしの本を含め、いちいち「標準語」など勉強しなくてもいいんじゃない、と言えそうです。</p>

<p>ところが、事実としては、すごい英語がまかり通っていても、やはり学習者の頭にあるのはネイティブ・モデルの標準語なのだという興味深い報告があります。</p>]]>
<![CDATA[<p>これは Ivor Timmis という研究者が ELT Journal という専門誌に発表したもので（Timmis, Ivor. (2002). “Native-Speaker Norms and International English: A Classroom View.” ELT Journal 56: 240-49.) で、アンケート調査が元になっています。構成は、発音に対する考え方、同じく、文法事項に対する考え方、そして最後に、どこまで「実際の会話」を学習対象として取り入れるべきをめぐる考え方に関する設問が柱です。</p>

<p>回答者は、学生グループと教師グループから成っており、学生の方が、14ヶ国にまたがる400名で、教師の方が45ヶ国にまたがる180名となっています。</p>

<p>まず、発音については、学習の到達点として、「ネイティブ並み」ならびに「通じる発音という点では問題ないが、母語のアクセントが残っている」という二つの「学習者像」を示し、学生にどちらになりたいかを尋ねます。</p>

<p>これについては、驚くことに、学生の方は、400 名中 67%がネイティブ並がいいとしています。ただ、おもしろいことに、回答者中、南ア、パキスタン、インドの学生だけを抜き出すと、比率は逆で、64%が母語のアクセントありでいいじゃないとし、ネイティブ並みになりたいとするのは34%にとどまっています。</p>

<p>一方、教師は、総じてこだわりがありません。ちょっとおもしろいのが、同じ教師でも、ネイティブの教師だけに限って見ると、ネイティブ並みを目指すべしとするのが20%、アクセントありのノンネイティブ型でいいじゃないとするのが41%、そして、どっちでもいいよとする人が39%という比率になっており、「ネイティブ並みの発音じゃなくていいじゃない」とする人が多数派であることです。（アンケートでは対教師グループのものにだけ「どっちでもいい」という選択肢が入っています）。</p>

<p>次に文法事項ですが、ここでは、回答者に三種の学習者像を示して、自分だったらどれがいいかを尋ねる格好になっています。選択肢は以下のとおりです。</p>

<p>Cタイプの学生：言いたいことはすべて英語で言えるし、相手もネイティブか否かにかかわらず、こっちの言っていることはわかる。ただ、英語は自己流で、ネイティブには文法ミスと映るような言い方でも、おかまいなしに使っている。</p>

<p>Dタイプの学生：必要な文法事項はすべてマスターしているので、言いたいことはすべてきちんと言える。ネイティブは文法書にないような英語の使い方をすることがあるが、自分はこういうものは勉強しようと思わない。</p>

<p>Ｅタイプの学生：ネイティブが従っている文法ルールである以上、自分もそれに従っており、ネイティブどうしが会話をするときに使われるインフォーマルな英語の文法についても、ネイティブと同じように使っている。</p>

<p>ELF = English as a Lingua Franca という見地から言えば、CタイプがEFL流ということになりますが、400名の回答者中圧倒的な支持を受けたのがＥタイプで、要するにネイティブの英語話者です。</p>

<p>教師に対するアンケートでも、ネイティブか否かを問わず、過半数がＥタイプがいいとしています。</p>

<p>（おそらくは日本人の英語教師の多くがDタイプを選ぶであろうことを思うと、複雑な気持もします）</p>

<p>こうして見てくると、世界中の英語学習者はみな一様にネイティブモデルの英語を目標に勉強しているのだと言わざるを得ません。以前も書きましたが、南米やインドのノンネイティブが書いたビジネス英語の教科書を見ても、明らかに英語圏のテキストをお手本にしているわけで、普通の英語であるか，ビジネス英語であるかを問わず、ともかくネイティブの使う英語が標準語扱いされているということになります。</p>

<p>ただ、だからと言ってネイティブの指南する英語が正しいとも言えません。つまりネイティブを本家本元扱いする必要はありません。そもそも学習モデルにおけるネイティブなぞ存在するはずがありません。だからこそ、ヨーロッパ各国が言語運用能力の指標として用いている「ヨーロッパ共通参照枠」の最高レベルである C2 も、ネイティブを基準にしていないぐらいです。</p>

<p>ヨーロッパ共通参照枠自体、運用能力の最高レベルである C2 （ケンブリッジ英検の CPE）につき、これはネイティブ並みの運用能力を指すのではないとした上で、こう説明しています。</p>

<blockquote>What is intended is to characterise the degree of precision, appropriateness and ease with the language which typifies the speech of those who have been highly successful learners.　この到達目標において企図されているのは、高い水準に到達し得た学習者が話す際に共通してみられる、言語運用上の正確さ、言葉の選択の的確さ、そして、余裕である。</blockquote>

<p>最後に、このアンケートは英語の実際に触れる、なかなかおもしろい質問をしています。</p>

<p>以下のとおり、いかにも教科書臭い、したがって、話し言葉の実際とはかけ離れたモノローグ（A）と、ごく普通の例（B）とを出した上で、「（B）のような英語を使えるようになることはあなたにとり重要と言えるか」と問いかけ、</p>

<p>1　強くそう思う<br />
２　そう思う<br />
３　どちらとも言えない<br />
４　そうは思わない<br />
５　まるでそうは思わない</p>

<p>の中から選ばせています。</p>

<p>A）I had a disaster last night. I was sitting at home on the sofa watching TV when the phone rang. I wasn't very pleased to find out that it was my mum, but she was asking me if I wanted to go to the USA with her.</p>

<p>B）Disaster last night. Sat at home on the sofa watching TV. The phone rings. It's my mum. I'm like 'Oh, no!', she's going 'Do you want to come to the USA?'</p>

<p>結果は、こうです。</p>

<p>1　強くそう思う　15%<br />
２　そう思う　37%<br />
３　どちらとも言えない　25%<br />
４　そうは思わない　16%<br />
５　全くそう思わない　6%</p>

<p>簡単に言ってしまえば、52%の学生が「普通に話されている英語」を話すようになりたいということです。</p>

<p>教師たちの認識も似たようなもので、リスニングやスピーキングの教材に普通に話されている英語の特質を盛り込んだものを使うべきだという意見に対してどう思うかという問いに対して、以下のように回答しています。</p>

<p>1　強くそう思う　31%<br />
２　そう思う　35%<br />
３　どちらとも言えない　22%<br />
４　そうは思わない　9%<br />
５　全くそう思わない　9%</p>

<p>要するに回答を寄せた教師たちの66%が話し言葉の実際を教室でも教える必要があると感じているわけです。</p>

<p>実は、この結果に非常に力づけられました。というのも、ちょうど、単語と文法はマスターしているのに英語を話せない人を想定しつつ、英会話の流れないし構図を説明した上で、その中で各種フレーズの位置づけを示した本を執筆中だからです。この本自体、ネイティブたちの会話を種々分析した本をネタに、</p>

<p>（１）会話は待ったなしのリアルタイムで進む<br />
（２）会話はインターラクティブな共同作業である<br />
（３）会話では相手が誰か、状況はどうかを意識する必要がある<br />
（４）会話では当たり前とされている所定の手順・流れがある<br />
（５）会話の流れに応じた道具を持って会話に入って行く必要がある</p>

<p>という５つの大前提から出発しているので、ネイティブがどんな話し方をしているのか興味などないし、それを自分の英会話のお手本にしようと思わないなどと言われたら万事休すです。</p>

<p>もちろん規模の限られたアンケート調査からこうだと断言はできませんが、少なくとも、数字の上で、学習者のネイティブ志向が確認されているのは興味深いことです。ただ、繰り返し強調したいのは、ネイティブの話す英語が標準語と目されているにしても、だからと言って、ネイティブに権威を認め、挙げ句の果てにネイティブばりの発音を追求する必要はないということです。</p>

<p>英語圏の人々が作り上げて来た英語を一つの共有財としてみんなで利用しつつも、英語のユーザー数において既にノンネイティブが上回っているという事実に即して、ノンネイティブどうしで使うツールとしての英語を捉え直し、必須の文法事項は何か、互いに通じるようにするため守るべき最低限の発音ルールはどうあるべきかの研究を深めるべきなのでしょう。</p>

<p>今回は、ELF (= English as a LIngua Franca) のアンチテーゼとでも言うべきネイティブモデルの英語を学習者がどう思っているかを取り上げましたが、次回は、ヨーロッパでの ELF の実際に即して、どの程度ネイティブモデルの英語と違うのか、あるいは違わないのかを見て行きたいと思っています。</p>

<p></p>

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<title>ELF vs ネイティブ英語</title>
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<modified>2010-03-04T03:48:27Z</modified>
<issued>2010-03-04T00:47:45Z</issued>
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<summary type="text/plain">互いに母語が異なる人どうしがコミュニケーションのために使う英語は、ELF= En...</summary>
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<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<dc:subject>雑録</dc:subject>
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<![CDATA[<p>互いに母語が異なる人どうしがコミュニケーションのために使う英語は、ELF= English as a Lingua Franca と呼ばれており、この分野の研究者たちは、話し言葉、書き言葉を問わず、ノンネイティブどうしの英語でのやり取りを記録し、それをデータベースとしてまとめる作業を精力的に進めています。</p>

<p>そのおかげで、少しずつ実態がわかってきていますが、けっこう日本人学習者の励みになりそうなことが多いのでご紹介します。</p>

<p>英語があまり得意でない外国人と英語でやり取りされた経験のある方はわかるでしょうが、あとから考えると笑ってしまうような言い間違いなどいくらでもあります。例えば、「子供の写っている写真」と言いたい場合、普通の英語なら、a picture of a child でしょうが、これを、a picture with child（子持ちの写真）と表現しているのに、互いに何かわかった気になり、そのまま通ってしまうということがいくらでもあるのです。また、余計な to を入れて、本当は、It makes people laugh. と言うべきところを、It makes people to laugh. と言ってたりもします。</p>

<p>事実、こういった分野を主として文法面から研究している Barbara Seidlhofer という専門家によると、以下のような文法上の間違いはコミュニケーションに影響せず、間違っていても、十分通じるとしています。（まだ買ってないのですが、Oxford Advanced Learner's English Dictionary の７版に彼女の寄稿があり、同じような報告をしているようです）</p>]]>
<![CDATA[<p><strong>✓ 三人称現在単数の s はなくても大丈夫</strong></p>

<p>原則から言えば、She likes cats. ですが、She <u>like</u> cats. でも通じるということです。一般に、三単元はなかなか覚えにくいことが実証研究からわかっていますから、一種朗報です。</p>

<p><strong>✓ who/which の使い分けを誤っても大丈夫</strong></p>

<p>人ならwho、そうでなければ which というルールがありますが、the things who are... や people which...がまかり通っているということです。たしかに、あれっとは思いますが、意味は通じます。</p>

<p><strong>✓ 余計な冠詞を入れたり、入れるべき所で落とすのもあり</strong></p>

<p>Company missed target for year ending the March 2010. でOK ということです。</p>

<p><strong>✓ コロケーションを誤っても問題なし</strong></p>

<p>dialog なら、hold a dialogですし、discussion なら have a discussion ですが、make a dialog だとか、make a discussion のように、make をやたら使う傾向が指摘されています。</p>

<p><strong>✓ 風変わりな付加疑問文でも通じる</strong></p>

<p>普通、付加疑問は、肯定文のあとに、isn't it? というふうに足しますが、単純に ..., no? で済ましてしまうということです。</p>

<p>他面、自己流にイディオムを使うのは相手を混乱させる一番の原因だと言います。例えば、はらわたが煮えくり返るような怒りの表現として、make one's blood boil  というイディオムがありますが、「相手の言っていることがわからず、いらだたしい思いをした」という程度の話なのに、</p>

<p>It almost <u>made my blood boil </u>because I could hardly understand his words.</p>

<p>などとコンテクストに合わない所に無理矢理イディオムを入れて使うような例です。この点、思い出すのがインド人。一般にインドのエリートはイディオム集に載っているような言い回しを話し言葉の中で使うのが好きで、それが災いして、こういった強引な使い方をする人が多いように思います。</p>

<p>なんであれ、こうやって見てくると、ノンネイティブどうしで英語を使うような場合は、学校文法でうるさく言われることをほとんど無視してしゃべっても、ともかく通じるわけで、学習者にとってはある種グッドニュースではないでしょうか。</p>

<p>一方、発音の方を見ても、th なんか発音できなくても問題のないことが知られています。this とうまく発音できなければ、tis でも十分相手に通じるということです。ですから、以前ご紹介した Graddol などは、th をきちんと発音できるように躍起になるのは、 appears to be  a waste of time （時間の無駄かのようだ）とまで言っています。同感です。</p>

<p>他面、典型的日本人が product を pu-ro-duk-to というふうに、母音を足す分には、元の姿がわかると言うのか想像がつくので、相手もわかるけれど、同じ product でも、（台湾の人が典型のようですが）子音を落として、po-duk のように発音すると「原形をとどめない」ので、何を言っているのか想像もつかず、相手に通じなくなってしまうと言います。</p>

<p>つづく</p>

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<title>楽しいブロークンイングリッシュ</title>
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<modified>2010-03-02T07:42:20Z</modified>
<issued>2010-03-02T00:30:40Z</issued>
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<summary type="text/plain">英語帝国主義という言葉があるぐらいですから、自国文化が英語によって浸食されるのは...</summary>
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<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<![CDATA[<p>英語帝国主義という言葉があるぐらいですから、自国文化が英語によって浸食されるのは大体において歓迎されないわけで、特にフランスなどは非常に神経質です。</p>

<p>例えば本年の1月20日、The Wall Street Journal に載った、Andrew Roberts という人のコラム記事 France Will Simply Have to Swallow Anglobalization of Common Language を読むと、Avenir de la Langue Française (Future of the French Language) と名乗る有志の団体が、今やパリの街にあふれる英語表記の量たるやドイツによるパリ占領当時のドイツ語表記を上回っていると危機感を強めており、サルコジ大統領に何とかしろと要求しているとのこと。<br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>そもそも、こういった人々が神経を尖らせるのは、英語＝アングロサクソンという感覚があるからでしょう。つまり身の回りに氾濫する英語の背後にその「英語の世界を司っている」特定の国を感じるから、しゃくに障るということです。そうとするなら、一つの有効な対策は、「ブロークン・イングリッシュ」の普及を進めることだとも言えそうです。</p>

<p>ブロークン・イングリッシュというのは、例えば、こういう感じのものです。今はコーチに転じているようですが、ブルガリアのサッカー・スター、Stoichkov の試合後のインタビューです。とてもパワフルかつハートフルです。（インタビュー終了後の南アフリカ人記者の苦笑いが毒気に当てられたかのようで、これまた笑いを誘います）</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/Qf6qMXi5n4I&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/Qf6qMXi5n4I&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p>聴き取れた範囲で書き取ってみました・・・</p>

<p>［記者：チームの試合ぶり、満足ですか、どうでした？］</p>

<p>Two parts. I talking before, before the game, fifty - fifty.</p>

<p>First half very good, second half I'm no like.</p>

<p>Too much peoples come... only for the... for the pass the time.</p>

<p>No work, no sacrifixxx. This is the team.</p>

<p>The next time may be no play couple guys.</p>

<p>I am very mad.</p>

<p>［記者：次の試合に向けての抱負、いかがですか？］</p>

<p>Next time, er, next time, er, Wednesday.</p>

<p>So tomorrow Monday, Tuesday, Wednesday, so too much games. </p>

<p>So first days relax, tuesday conclusion the, the today. </p>

<p>Tomorrow start the next game, so I have very good posibility for to win this game. </p>

<p>［記者：３点を入れるだけの力がつき、今後の飛躍に結びつく何かをつかんだようですが？］</p>

<p>Listen, for me is very important perform the team. </p>

<p>Play good football. Sometimes lose, sometimes win.</p>

<p>But, I'm like peoples, the good xxxx, the good heart xx the believe.</p>

<p>Because everyday is very important.</p>

<p>どうですか。わかりやすいですよね、けっこう。しかも、ハートフルであることに加え、このブロークンイングリッシュがそこはかとない可笑みをただよわせているわけで、これに触発されたミュージックビデオが Youtube に流されるや、再生回数で７万回を超える、ヒット作となっています。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/O-6-AKaJGn0&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/O-6-AKaJGn0&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p>ここまで来ると、どこかの国が仮に英語の本家本元だとして、「この英語は」としゃしゃり出てくる以前の問題として、「こんな変なの、英語じゃないから、うちは関係ない」ということにもなるのではないでしょうか。この理屈が通るなら、ブロークンイングリッシュという毒をもって、文化侵略という名の毒を制することもできそうです。</p>

<p>Stoichkovの域に達すると名人芸ですが、非英語圏の人々が、いわば見よう見まねで英語らしきものをしゃべると、たしかにこんな感じです。こうしたブロークンイングリッシュに加え、インド流英語もあれば、シンガポール流の英語もあるわけで、当然のことながら、日本人流の発音を残したままのジャパニーズ・イングリッシュだって、ひとつのジャンルです。もはや英語は英語圏固有の言語ではなくなりつつあります。これはおおいに注目すべき現象であり、わが国の英語教育のあり方を考える上でも考慮すべき要素だと思います。</p>

<p>例えば、上のウォールストリートジャーナルの記事では、2030年には英語を話す中国人の数がアメリカ国民の数を超える計算だと指摘しています。前回ご紹介した Graddol の English Next によると、中国は年当たり2,000万人のペースで英語の使い手を量産しているそうですから、まあ、そうなんだろうなと思います。また同じく English Next によると、小学校低学年からの英語を含め、中国の英語力強化策に触発されて、周辺の国々も英語教育を見直しているそうです。タイが、小学校１年生からの英語教育を導入したものの、効果が見られず、コミュニカティブな英語へと方針を転換したほか、フィリピンも「英語で」授業をした方がいいのではないかと検討しているそうです。</p>

<p>こうして非英語圏における英語の使い手が増える一方であることを考えると、わが国のように何とかアシスタントを輸入し続けて、いまだにネイティブモデルにこだわっている英語教育のごときは、ガラパゴス化が必至です。いや、もう十分ガラパゴスです。しかも年間数百億規模の税金を投じて、わざわざ国際情勢に合わせた進化を拒んでいるのは宗教を感じさせるものすらあります。</p>

<p></p>

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<title>落伍者を当然視する英語教育</title>
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<modified>2010-03-02T00:55:46Z</modified>
<issued>2010-03-01T04:44:33Z</issued>
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<summary type="text/plain">先日、東大の入試が新聞に出ていました。ネット上ではこちらで問題と解答が見られる他...</summary>
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<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<![CDATA[<p>先日、東大の入試が新聞に出ていました。ネット上では<A HREF="http://nyushi.yomiuri.co.jp/10/sokuho/tokyo/zenki/index.html" target=_blank">こちらで問題と解答</A>が見られる他、<A HREF="http://toeicjuken.seesaa.net/" target=_blank">モリテツ先生が気の利いた解説</A>をしています。</p>

<p>この東大の英語の問題をながめていて感じたのは、特に最初の長文読解などそうですが、ネイティブでも大変だろうなということです。それで思い出したのが、そもそも EFL （English as a Foreign Language＝外国語としての英語学習）という発想で教えるアプローチ自体、最初から落伍者が出ることを織り込み済みのものだという話です。</p>]]>
<![CDATA[<p>これはブリティッシュカウンシル（わが国の国際交流基金がお手本としたイギリス政府の文化交流事業）の委託を受けた応用言語学者の David Graddol が<A HREF="http://www.britishcouncil.org/learning-research-englishnext.htm" target=_blank">English Next</A> で書いていることですが、英語ネイティブの社会や文化を研究し、そういう人たちがどのように英語を使ってコミュニケートしているかよく見なさいというのが EFL のアプローチであり、そこでは、学習者はいわば英語界プロパーから見れば、どこまでもお客様扱いであり、住む権利が認められないのはもとより、権威という点で常にネイティブが上位に立つことを認めさせられてきた、と痛烈です。</p>

<p>このように、ネイティブをインサイダーとすれば、ノンネイティブはアウトサイダーという構図がある上、中等教育で導入されるのがこれまでの例である英語教育のあり方を見ても、たいてい文法的な正確さ、ネイティブを基準とする発音、そして文芸作品の鑑賞を柱とするが、そこでの基準がネイティブである以上、学習者は滅多に完璧なレベルにまでたどり着かず、最初から、アウトサイダーであり、かつ、落伍者になることを運命づけられているというのです。</p>

<p>続けて Graddol は、（戦前の日本を思い出しますが）一定水準以上の外国語ができる人しかエリートの仲間入りができないという仕組みを保つため、外国語の能力が選別に使われて来たという側面もあるという指摘をした上、そのことを別にして考えても、EFLのアプローチは最初から、英語学習に失敗する人々を生む素地があったし、実際にも失敗者を生み続けているとして、こう言っています。</p>

<blockquote>

<p>In those countries where passing English exams has been made a condition of promotion or graduation, it has often led to considerable stress and resentment by learners, rather than significantly enhanced levels of proficiency.　英語の試験に合格することが昇進や卒業の要件になっている国々では、学習者の英語運用能力がそれにより大きく伸びているというより、むしろ、学習者が多大のストレスを感じたり、腹立たしい思いをするという結果を招いている。</blockquote></p>

<p>それでは英語を一つの条件として課し、水準に満たない者をふるい落とすアプローチに代わるものは何かと言えば、Graddol は、<A HREF="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/cefr/" target=_blank">CEFR</A>が採用している、Can-do 方式による到達目標の明示をその一例として挙げています。</p>

<p>そりゃ人情として、「あんたはこれが出来ないから駄目」という減点方式より、「これが出来るからOK」という加点方式のほうが気分はいいだろうなと容易に想像できます。</p>

<p>また、英語検定の結果を従業員の能力評価に使おうという企業にとっても、御社のAさんは800で、Bさんは600と言われてもよく差がわかりませんが、<A HREF="http://www.eiken.or.jp/bulats/gaiyo/kekka.html" target=_blank">BULATS</A>のように、Can-do 方式に基づいて、このレベルの人は、「他人がチェックすることを要するが、「ひとまず事実の報告や通常業務に属するレターは書ける」（B1)という評価をもらう方がわかりやすいと言えます。</p>

<p>考えてみれば、英語を母語としない人向けの英語教育というのは、もともとはイギリスの植民地行政の便宜のためだったわけであり、今の時代のように、英語がノンネイティブどうしのコミュニケーションに使われることが多いとなれば、ネイティブを本家本元扱いする一方、英語をエリート選別の道具にして、大量の落伍者が出ることを当然とするような英語教育は見直されてしかるべきです。</p>

<p>仮にエリート選抜で何が悪いんだ、英語なぞはエリートに任せておけばいい、国民一般の英語力を底上げする必要はないんだという立場に立ったとしても、選抜を経て来た公費留学生の英語力が<A HREF="http://plaza.rakuten.co.jp/soudenjapan/diary/200902140000/" target=_blank">この程度</A>では、話になりません。ご覧になればわかりますが、reforms, private sector, merge といったむずかしい単語を繰り出しているのに、ものを尋ねた相手にWhat's the bottom-line question?（お聞きになりたいのは何ですか？）と言われるようじゃおしまいです。こういう的外れで効果がない英語教育こそ事業仕分けの対象にしてもらいたいものです。</p>

<p></p>

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<title>ノンネイティブの英語</title>
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<modified>2010-02-26T23:44:20Z</modified>
<issued>2010-02-26T19:40:08Z</issued>
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<summary type="text/plain">英語は、一説によるとノンネイティブのユーザーが３：１でネイティブのユーザーを上回...</summary>
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<name>hinata</name>

<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<dc:subject>雑録</dc:subject>
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<![CDATA[<p>英語は、一説によるとノンネイティブのユーザーが３：１でネイティブのユーザーを上回っていると言います。こうなって来ると、世界語としての英語とでも言うべきものが形成されつつあり、いずれ、われわれが日頃目にする英語圏ベースの英語とは違ったものをお手本にしなければならないようにも思えますが、わたしの見る所、結局は、ノンネイティブたちも英語圏の普通の英語をお手本としており、その意味では英語圏の英語、つまりはネイティブ・スピーカーの英語が、ことの是非は別として、ともかく「標準語」なんだろうなと思います。<br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>例えば、手許にインド産のビジネス英語のテキストがありますが、siphoner of profits（無駄遣い）とか clocking（計測）といった明らかにインド産のものがボキャブラリーの項に入っていること以外は、レターやメモの書き方を含め、英語圏で出ているビジネス英語の本と何ら変わりません。</p>

<p>同様に、みずから a native of Latin America と称している人が書いたビジネス英語の教科書も、仮に、この本、Macmillan あるいは Longman から出ているものだと言われれば、ああそうかと思えるぐらいの出来で、構成、内容とも、ごく普通のビジネス英語の教科書です。要するに英語圏の英語が底にあるということです。</p>

<p>経験に照らして考えても、インド人であれ，エクアドル人であれ、教育程度や社会的地位の高い人ほど、phrasal verb を巧みに使い分けたりして、凝った、つまりイディオマチックな英語をしゃべるわけで、こういった人たち自身、出版物やメディアなど英語圏の英語に常時触れており、その種の英語を手本としていることをうかがえます。</p>

<p>次にニュースはどうなんだろうと思って、Al Jazeera のサイトをのぞいてみました。ご存じのとおり、欧米系メディアが主流のニュースの世界に反発し、発展途上国側から発信し、それまでの北から南という情報の流れを変えようということで出発したテレビ局ですから、そういうメディアが使う英語は何か変わった点があってもよさそうなものです。ところが、視点や内容は違うことがあっても、道具として使われている英語は欧米メディアが使っているものと何ら変わりがありません。</p>

<p>たまたまタイの元首相タクシン氏の資産が裁判所により凍結されたというニュースを目にしたので、<A HREF="http://english.aljazeera.net/news/asia-pacific/2010/02/2010226134636233726.html" target=_blank">その英文記事</A>の語彙分析を<A HREF="www.lextutor.ca/vp/eng/" target=_blank">VocabProfiler </A>で行ったところ、以下のとおり、どちらも、８割近くが基本2,000単語（K1 Words は基本1,000単語のことで、K2 Words が頻出順で 1,001から2,000までの基本単語）でまかなわれており、似たようなものです。ノンネイティブが発信する英語だとひどくやさしいとか、逆にひどくむずかしいといったクセがありません。純然たる英語（普通の単語）とラテン語やフランス語を語源とする低頻出の難語との比率で比べても、どちらの記事もほぼ７：３で、特別な違いがありません。</p>

<p>Al Jazeera の記事の分析</p>

<p><img alt="AJ%20Thaksin.jpg" src="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/AJ%20Thaksin.jpg" width="400" height="298" /></p>

<p>The Wall Street Journal の記事の分析</p>

<p><img alt="WSJ%20Thaksin.jpg" src="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/WSJ%20Thaksin.jpg" width="400" height="326" /></p>

<p><br />
基本2,000単語で話し言葉の９割、書き言葉の８割がカバーされているという英語の世界の常識がアラブを代表するメディアの英語でもそのまま通用しているのだということです。</p>

<p>横道にそれますが、こういう2,000語で十分という事実に触れるつど、高校まではこの2,000語を重視し、この範囲内でのコミュニケーション能力、特に、話したり、書いたりという発信型能力の育成に力を入れるべきだと感じます。今の受験英語で問われるような難しい英単語は大学に入ってからだって間に合いますし、英語で授業をやったり、課題として大学レベルの英文を読ませる例が少数派である以上、そんなに高度の英語なんか最初から必要ないはずです。英語の知識を植え付けるのではなく、英語を使って人とコミュニケートするという素朴なスキルの育成を優先してもらいたいものです。</p>

<p>それはさておき、文法はどうかと、ちょっと文面を見ていきましょう。</p>

<p>More than $1bn of the frozen assets of Thaksin Shinawatra, the former prime minister of Thailand, will be confiscated after a court ruled that he had abused his power.</p>

<p>とあり、裁判所の決定が行われた時点より権力の濫用があった時点が先だということで、ちゃんと、セオリーどおり過去完了が使われています。</p>

<p>また、以下のように、who 以下の形容詞節が補足情報であり、削除可能なものであるときは、カンマでくくるというライティングのルールも普通の英語と同じです。ついでに言えば、"use one's position to the benefit of somebody"（自分の立場を利用して、第三者が有利になるようにする）といったイディオマチックな英語も使っています。</p>

<p>The nine judges in Thailand's supreme court said on Friday that Thaksin, who was forced from power by a coup in 2006, had used his position as premier to the benefit of his Shin Corp telecoms company. </p>

<p>要するに Al Jazeera の英語は、欧米のメディアが使う英語と同じです。</p>

<p>英語がノンネイティブの世界での共通語として使われていても、ノンネイティブもネイティブと同じ種類の英語を使っているわけで、ノンネイティブ独自の英語があるとは言えないようです。言い方を変えれば、ノンネイティブたちも元祖であるネイティブの英語を基準にしているということです。</p>

<p>しかし、だからと言って、ネイティブに対して引け目を感じる必要もないと考えます。ノンネイティブとネイティブの違いは意識して勉強した結果英語を身につけたか、意識せずに自然と身につけたかの違いでしかないわけで、見ようによっては、意識して勉強した方がより正確な英語を身につけているとも言えます。また、「ネイティブはこう言うよ」といった指南をありがたく受入れる風土があるのは、ネイティブたちが英語の本家本元として、英語なるものを「所有」しているかのように考えるからではないでしょうか。英語というものがネイティブによって「所有」されているのだという発想に立つ以上は、いつまでも、ノンネイティブは本来の所有者から「借受け、使わせていただいている」という感覚になってしまいます。</p>

<p>たしかに歴史的には英語はイギリスがいわば発祥の地であり、イギリスを中心とする英語圏というものがのちのち出来たわけですが、それは由来がそうだというだけの話で、英語に関する知識の蓄積が膨大であることを別とすれば、その歴史のゆえにネイティブを何だか偉いものかのように扱うのはどうかと思います。単なる標本の提供者でしかないという見方だってできるのですから。</p>

<p>実際、英語が業務上の標準語として指定されている関係で、ネイティブたちがネイティブ流に好き勝手な英語を話すことを封じられている例もあります。国際民間航空機関 (ICAO) の業務規定では、ネイティブたちは non-standard な英語を使うことを封じられ、「標本然」としていることが求められてもいるのです。この世界では、ネイティブか否かに関わらず、確実に情報が伝達されることが最優先される関係で、ネイティブの英語は必ずしも聴き取りやすいとは言えず、また、別種の英語を聴き分ける力も弱いと目をつけられ、さらに、イディオムなどは使うな、しゃべるときは、相手がわかるよう話し方を工夫しろ (modulate delivery) などとしめつけられています。英語の国際化により、ネイティブがかえって肩身の狭い思いをさせられている、なかなか味わい深い例です。</p>

<p></p>

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<title>トヨタの寡黙な社長の英語力</title>
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<modified>2010-02-25T09:36:52Z</modified>
<issued>2010-02-24T22:13:03Z</issued>
<id>tag:eng.alc.co.jp,2010:/newsbiz/hinata//120.22786</id>
<created>2010-02-24T22:13:03Z</created>
<summary type="text/plain">AP通信の経済記者が豊田社長の英語について言及していました。大見出しは、Reti...</summary>
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<name>hinata</name>

<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<dc:subject>雑録</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/">
<![CDATA[<p><A HREF="http://abcnews.go.com/Business/wireStory?id=9916828" target=_blank">AP通信の経済記者が豊田社長の英語について言及していました。</A>大見出しは、Reticent Toyota President Typical for Japan Inc.　（トヨタの寡黙な社長は日本株式会社ではひとつの典型）で、続けて、Reticent Toyota president, typical for Japan, in for culture shock when he faces US lawmakers　（トヨタの社長が寡黙なのは日本では典型的だが、居並ぶ米議員たちを前にしたとき、カルチャーショックを受けるだろう）としています。</p>

<p>この記事のテーマは会社を代表して、会社の立場を代弁しようとしない日本的経営者の体質を生む土壌ですが、個人的には、豊田社長の英語に触れた部分がおもしろかったのでご紹介します。</p>]]>
<![CDATA[<p>そもそもこの記事は、誰が出て行っても、トヨタを代表しているとか、議会証言はアメリカでの責任者を出す予定だなどと言って、表舞台に立とうとしないかのような豊田社長の行動が英語圏の人々には不思議と映ったことを背景にしています。そりゃそうです。CEOと言えば、会社の顔であり、会社を代表して、雄弁に会社の立場をアピールするのが仕事です。誰が出て行っても組織の代表であることに変わりはないという論法で、戦時の休戦交渉に一兵卒を差し向けたら、相手も怒るに決まっています。</p>

<p>それはともかく、記事は専門家に取材しながら、豊田氏のような地味で、発言を避ける社長を生み出す日本的企業文化に焦点を当てており、前段では、中部大学の Nishida教授のコメントとして、日本の企業トップはシンボルであり、その意味ではちょっと天皇陛下の立場に似ているといったものを紹介し、こういう体質があるので、豊田氏が当初、米トヨタの役員に議会との対応を委ねようとしたのもわかるとしています。</p>

<p>また、上智で国際経営を教えている Haghirianという専門家にインタビューして，経営トップの考え方やリーダーシップがものを言う西洋社会と異なり、日本企業では、経営トップと言っても、対立や衝突を好まないことから、根回しなどを通じて、関係者の意見を調整しながら集約するのが役どころであり、例外的だった日産の例を見てもわかるとおり、普通は強力なリーダーシップを発揮し、変革を推進することがないという見方を紹介しています。加えて、経営トップは外部からではなく、内部で育てられるので、社外のこととなると、事情に疎いといったことにもなると指摘しています。</p>

<p>要するに日本企業は国際的視野が狭いという論旨なのですが、そういう日本企業の中にあっても、豊田章男氏は、日本人の社長にしては、比較的国際派だと持ち上げます。言い方はこうです。</p>

<p>Toyoda is relatively cosmopolitan---for a Japanese president.</p>

<p>そして、拙い英語を話すことについても、日本じゃ、教育のある人でも、あの程度が普通だよ（his lack of English fluency is the norm among even well-educated Japanese) とする一方で、豊田氏の母校である慶応大学といったトップクラスを含めて、あんなものだよと痛い所を突きます。</p>

<p>そして、わが国の英語教育について、こう説明しています。</p>

<blockquote>

<p>Admission at such universities call for intensive study, but conversational English isn't one of the requirements. English courses tend to be pedantic, focusing on grammatical rules, and starting foreign language lessons in childhood is rare.　こうした大学に入るためには根を詰めて勉強しなければならないが、受験に話し言葉としての英語は必要とされていない。英語教育は衒学趣味に偏している感じがあり、文法にばかり目を向けているし、小さいうちから外国語を勉強し始める例もまれだ。</blockquote></p>

<p>たしかに普通に英語を話す人々からすると、見聞きする日本の英語教育は、「衒学趣味」と言いたくなるんでしょうね。しかもその産物である人材が英語の世界ではものの役に立たないわけですから、なんとも不思議な教育と映るのでしょう。</p>

<p>そして、またしても、豊田氏の英語力に対する評価を持出し、マサチューセッツ州にあるバブソン・カレッジから経営学の学位を得ているぐらいだから、英文の声明を読み上げる分には問題ないとした上で、続けて、こういう指摘をしています。［追記：公聴会の冒頭で豊田社長は声明文を読み上げていましたが、切り方など細かい点は抜きにして、ともかく英語としては基本的に十分通用するレベルです。<A HREF="http://www.youtube.com/watch?v=Zth-x4qlNUc" target=_blank">Youtubeに映像があります</A>］</p>

<blockquote>

<p>...but his halting English at news conferences indicates he will struggle to improvise answers when faced with a grilling from lawmakers. しかし、記者会見の席で見られた、彼のつっかえつっかえ話す英語を考えると、議員たちからの厳しい追及にあった場合、なかなか答えられず、苦労することだろう。</blockquote></p>

<p>哀れ、豊田章男氏、このように外国メディアにかかると、<A HREF="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2010/02/post_673.html" target=_blank">先日の broken English という話</A>を初め、今回の "his lack of English fluency" 、"his halting English" とサンザンで、気の毒なぐらいです。想像ですが、おそらくパーティーの席などでは、朗らかに歓談できる程度の英語力はあるのでしょう。しかし、やはり出る所に出たら、きちんとした英語を話してもらいたいものです。"noblesse oblige" (=privilege entails responsibility) という言葉があるぐらいですから、社会的地位のある人はパーティー／ゴルフ英語以上のレベルが要求されて当然と言えるのではないでしょうか。</p>

<p>いずれにしろ、今回の公聴会では、ちゃんとした通訳に頼むでしょうから、英語でのやり取りは免れるでしょう。しかし、そうは言っても、やはりわが国を代表するグローバル企業のトップが英語で堂々と言いたいことを言えないというのは、わが国の英語教育がうまく行ってない証拠でもあり、残念です。</p>

<p>この点、英語教育に関心の高いビジネス関係者から時折り、グローバル人材がどうのといった話を聞く機会があるのですが、それどころの話ではないでしょうというのが正直な感想です。</p>

<p>しかし、一方で、大手企業の社員の中にも、きちんとコミュニケートできるレベルの英語を意識して勉強し、さらに（こらが大事なのですが）練習している人たちもいます。あと20年もすれば、そういう人たちが役員になり、雰囲気が変わってくることでしょう。でも、その頃はこっちはあの世ですからねえ。これまた残念なことです。</p>

<p></p>

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</p>]]>
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<title>今晩おひま？：フレームとスキーマの話</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2010/02/post_680.html" />
<modified>2010-02-25T04:41:42Z</modified>
<issued>2010-02-24T01:17:34Z</issued>
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<summary type="text/plain">会話分析 (conversation analysis) と言うと、「英語学」の...</summary>
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<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<dc:subject>Speaking/Listening</dc:subject>
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<![CDATA[<p>会話分析 (conversation analysis) と言うと、「英語学」の中の一分野みたいな感じがしますが、実は様々な分野の研究者が相互乗り入れしており、中でも、社会学や人類学の専門家が目立ちます。もちろん、英語プロパーの研究者も会話に関心は持ったりするものの，この人たちは、会話を行うために人は英語をどう使っているかに焦点を合わせるのに対して、他分野の人たちは、英語がどう使われているかよりも、そもそも人間社会の営みとしての会話はどういうふうに行われているのかに関心を向けています。</p>

<p>こうして会話を社会現象ないし人の社会的行動の一環として捉えると、普通に英語を勉強していたのではわからない、英会話固有のパターンというものがあることがわかってきます。その中でも、英語を話せるようになりたいと願う人たちにとって有用なのがフレームとスキーマというものではないかと思われますので、ざっとご紹介します。</p>]]>
<![CDATA[<p>フレームというのは、会話の当事者にとっての「共通の状況認識」です。自分自身、当事者となって進められている会話のその場面で何が行われているのかの理解のことで、簡単に言えば、社交辞令などの挨拶なのか、冗談なのか、深刻なやり取りなのかを判別し、それに従って話を進めるための手がかりです。どういう舞台設定なのかの理解ということであり、自分の中では、冗談モード、まじめモードと言うときの「モード」と理解しています。</p>

<p>フレームは絵画のフレーム（額縁）と同じで、その会話が行われている場面を切り出し、食事、買い物など他の社会行動と区別した上で、われわれの行動の指針を与えてくれます。</p>

<p>ですから、このフレームを各自体得しているおかげで、（近頃は少なくなりましたが）出がけに近所の人にばったり会ったような場合、近所の人は、別段、具体的な行き先を聞き出すつもりなく「どちらまで」と尋ねますし、言われた方も、ここは社交辞令の交わされる場面という「共通の状況認識」があるので、「ちょっとそこまで」と軽く受け流すことになります。ところが、こういうフレームがない外国人が言われるような場合だと、ときには、「余計なお世話だ、何て失礼な」と怒ることにもなります。</p>

<p>またアメリカ人の学生を対象にした実験では、普段なら、つまり普通の会話でなら、自分の主張を裏づけることを話す場合に、ながながと、いわばストーリーを語るだろうに、ディスカッションといったフレームの中では、単刀直入に根拠を挙げるといった行動の変化が認められるそうです。</p>

<p>フレームを読み違えるととんちんかんな受け答えにもなってしまいます。例えば、会社で、出かける同僚から別の同僚への伝言をこんな形で頼まれたとしましょう。</p>

<p>A: Can you tell John I'll be back before three?</p>

<p>この場合に、これが伝言モードだとわからず、質問モードでの発言と誤解すると、</p>

<p>A: Can you tell John I'll be back before three?<br />
B: Yes.</p>

<p>いうふうに、Yes と答えてしまい、何だか変なやり取りになってしまいます。</p>

<p>当然、</p>

<p>A: Can you tell John I'll be back before three?<br />
B: OK （または All right).</p>

<p>という答え方が、ここでのフレームに合ったものとなります。</p>

<p>ということは、以上を要するに、英会話を勉強する場合も、フレーズを覚える際にそれがどういった共通の状況認識の下で、つまりどういったフレームの中で使われるのかをいっしょにおさえておいた方がいいということになります。</p>

<p>もう一つのスキーマというのは、自分の過去の経験に照らして形成されている判断の枠組みのことであり、実際上は、「こういう場面での会話はこういう流れとなり、展開の段取りはこうなるのが普通」という形で会話の運び方を考える上で、あるいは相手の言っていることのニュアンスを理解する上での助けとなります。先のフレームとは当事者に共通する認識である点で似ていますが、フレームが「こういうものは冗談モード」「ああいうものは真剣モード」というふうに、場の雰囲気の問題なのに、こちらのスキーマは各自の個人的経験に基づく、段取り、順番の話です。</p>

<p>そのいい例が「今晩おひま」的な誘うときのセリフです。たいていの英会話本には「今晩、夕食などいっしょにいかがですか」と人を誘うときのセリフとして、</p>

<p>I'd like to invite you to dinner. </p>

<p>を載せています。</p>

<p>たしかに十分用が足りることでしょうし、商談の続きといった意味あいもあるビジネス英会話のような目的合理的会話の場合は、これでいいと言えます。</p>

<p>しかし、人間関係を構築し、維持しようという、つまり、社会生活上の会話となると、物足らない感じがあります。というのも、普通に英語を話す人のスキーマからすると、こういった場合は、いきなり「今晩おひま」と切り出すものではなく、「ちょっと思っていたんですが」的な前触れが入るからです。典型的には、I was wondering といったフレーズが挿入され、こうなります。</p>

<p>I was wondering if I could invite you to dinner.</p>

<p>普通に英語を話す人たちは、人を招待するというフレームの中では、まずは気遣いを見せている様子を示しながら、「どうでしょうね」と切り出し、次いで本題の招待が持ち出されるという手順を取るものだというスキーマが頭にあります。したがって、上のような言い方なら、何の抵抗もなく、「ああ招待してくださってるんだ」と受入れることができます。</p>

<p>また、自分が持っているスキーマによると、気配りをする人は、相手が「断る」という面倒なことをしなくていいように、予め、</p>

<p>Any plans for the weekend? </p>

<p>と相手の予定がないのを確かめてから、How about...? などで誘うのが一般的だと感じます。ですから、上のディナーに誘うケースも、こんなやり取りが自然と感じられます。</p>

<p>A: Any plans this evening?<br />
B: Well, nothing special.<br />
A: Oh, actually, I was wondering if I could invite you to dinner.<br />
B: That would be lovely.<br />
A: How about some "sushi"?<br />
B: Sounds great.</p>

<p>いずれにしても、ビジネスならともかく、普通の人どうしで、いきなり、I'd like to invite you to dinner. と切り出されたら、自分のスキーマでは想定されていない事態ですから面食らうことでしょう。</p>

<p>ここに英語学習者がスキーマに目を向けておく意味があると考えます。通常のスキーマを研究しておき、それに即して動かないと、いくら気の利いたフレーズを覚えていても、段取りを無視して使うことになり、その結果、相手に自分の気持ちを伝えよう、コミュニケートしようという気持が空振りに終わってしまうからです。</p>

<p>日本人どうしの会話だって、いきなり、今晩おひま的な言い方はしないはずです。「もしまだご予定がなければ」とといった前振りがあるはずで、しかも、少しでも丁寧にすべく、「もしまだご予定を入れてらっしゃらないようなら」と言ったりもします。このあたりは、本来、I wonder if I could と言ってもいいものを I was wondering if I could と、より間接的であり、したがって、より丁寧な言い方を選ぶ英語の世界と同じです。</p>

<p>ところが、英語を使う場面になると、日本語の世界では常識人だった人でも英語でセンテンスを組み立てることにばかり頭がいってしまい、偉くぶっきらぼうになってしまう傾向があります。単語や言い回しだけわかっていればいいのではなく、やはり英語を話そうという以上、こういったフレームやスキーマといったことも考えておく必要がありそうです。</p>

<p>特にスキーマは、英語を使った経験がないと「経験に即して形成される判断の枠組み」など期待できませんから、学習者の方で、意識して典型的な段取りに目を向け、英会話＝単語やフレーズの組み合わせという発想を改め、会話の流れとして普通、どうなるのかという側面にまで意を用いる必要があると考えます。</p>

<p><br />
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<title>小沢一郎に学ぶスモールトークの意味、ありがたみ</title>
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<modified>2010-02-23T23:10:19Z</modified>
<issued>2010-02-21T23:34:48Z</issued>
<id>tag:eng.alc.co.jp,2010:/newsbiz/hinata//120.22763</id>
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<summary type="text/plain">評論で知られる慶大教授の福田和也氏が『文藝春秋』の３月号に、「小沢一郎のちいさな...</summary>
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<name>hinata</name>

<email>nhashi@alc.co.jp</email>
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<dc:subject>Speaking/Listening</dc:subject>
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<![CDATA[<p>評論で知られる慶大教授の福田和也氏が『文藝春秋』の３月号に、「小沢一郎のちいさな『器量』」と題した一文を載せていましたが、その中の一節が特別、印象に残りました。</p>

<p>自分は一度だけ小沢幹事長にインタビューしたことがあるとした上で、こう述べています。</p>]]>
<![CDATA[<blockquote>

<p>自分のペースでしか会話ができず、自分のいいたいことしかいわない人だな、という印象を持った。相手がいいたいことを聞き出したり、当たり障りのないことで会話を繋げいく基本的な社交術を体得していない。対話ができない。</blockquote></p>

<p>このあとは、「これも対等な人間関係を結ぶ場面にほとんど出会っていないためではないだろうか」という一句で結んでいるのですが、なぜ引かれたかと言うと、福田氏が「相手がいいたいことを聞き出したり、当たり障りのないことで会話を繋げいく基本的な社交術」と形容しているものこそ、通常、「雑談、世間話」という不十分な訳しか与えられていないスモールトークのことに他ならず、「いや、実に的確な描写だ」と感心したわけです。</p>

<p>ひとくちに「英語で話す」と言っても、話し言葉の世界にはいくつかジャンルがあります。プレゼンのように予め準備ができ、最後の質疑応答まで相手とのやり取りがないジャンルもあれば、ディベートのように、相手とのやり取りはあっても、そもそも準備ができる点で、普通の会話と違っているというジャンルもあります。この中にあって、普通、学習者が「英語で話す」といった場合にイメージしているであろう純然たる英会話というのは、準備なぞする余裕もないまま、いきなり相手とのやり取りを強いられる、なかなか大変な世界です。しかし、いわばコンテンツに予測可能生がない反面、常に新たな発見ができる世界でもあります。そこに「スモールトーク」のおもしろさがあるのだということです。</p>

<p>こういった会話につき、会話研究の専門家は、実は、同じ会話でも、大きく二つに分けられるとしています。一つは、意見や情報の交換といった何か目的のある会話で、他は、そうでない、ただただ人間どうしがつきあうための会話です。もちろん、ここからこまでが前者の目的合理的会話で、ここから先は「社交」としての会話と割り切れるわけではなく、両方の要素が入り交じっているものの、その一方で、こういう区別があるのも確かです。</p>

<p>区別の実益は、それぞれの特徴を知っておくことで、話す方も、「これから一体何が起きるんだろう、何をどう言えばいいんだ」といった余計な不安を持たずに会話に入れることでしょう。</p>

<p>こういった区別があることを説いたのは、Gillian Brown と George Yule という研究者たちですが、二人は、Discourse Analysis という本の中で、人が会話を通じて言葉を何かの用に供しようという場合、意見や情報の交換など、一定のコンテンツを授受しようという会話 (transactional conversation) と、自分の姿勢を打ち出したり、人間関係を構築、維持しようという会話、つまり「人づき合いのための会話」 (interactional conversation)とがあると説明しています。</p>

<p>コンテンツの授受という目的のある会話をここで便宜上「目的合理的会話」とすれば、人づきあいのための会話は「社会生活上の会話」と言えそうです。この区分に従って、前者の特徴を考えると、第一に、メッセージを伝えるのが本質ですから、それをきちんと伝えることが重要です。したがってビジネス英会話などが典型ですが、決まりきった簡潔な言い方がいろいろと用意されています。例えば、「ハワイで会社を設立する」と言いたい場合、 create a company in Hawaii でも文法上は問題がないのに、普通は、form a company, set up a company in Hawaii といった、通りのいい言い方が使われます。</p>

<p>ともかく、この種の目的合理的会話の場合、メッセージが伝わらないと、時にはきわめて危険な事態を招きかねません。例えば、<A HREF="http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/2143680.stm" target=_blank">BBC News</A>は、外国人看護婦に対する英語での指示が伝わらず、イギリス人執刀医が手術を中断せざるを得なかったという例が報じられています。ですから、こういった目的合理的会話がうまく運ぶよう、各分野で間違いなく情報が伝達されるよう決まった言い方が用意されています。航空管制など、その典型でしょう。</p>

<p>他面、ちょっと見方を変えて言うと、各自の分野での決まった言い方さえこなせれば、あとで説明する「社会生活上の会話」がまるで駄目でも何とかなってしまいます。海外駐在員として一生の大半を英語の世界で過ごしていながら、普段着の会話つまりスモールトークになるとまるで話ができない人が大勢いるという事実がこのあたりの特殊性をよく物語っています。</p>

<p>一方、社会生活上の何気ない会話は何かを伝えるといったメッセージ性なぞなく、言わば無目的です。例えば、どこかの野天風呂に浸かりながら、隣の人に「いい湯ですね」と言ったりするのは、「いい湯だ」という情報を伝えようとしているわけではありません。それを通じて、「こうしてご挨拶していますので、人間どうし、仲良くしましょう。どうぞよろしくお願いします」と合図しているだけです。ここでは情報の伝達や意見の交換といった目的を達成するというのでなく、人間どうしが仲良くやっていくための営みとしての会話があります。会話自体が目的化しているわけです。そのことは、We had a nice chat. という言い方にも表れています。これがまさに「スモールトーク」の世界でもあります。</p>

<p>具体的にこの二つのタイプの会話がどう違うかと言えば、Eggins と Slade は、共著 Analysing Casual Conversation の中で、二つの違いがあると指摘しています。</p>

<p>一つは、何か実際的な目的がある会話は簡潔になるという傾向です。特定のコンテンツがある以上、あれこれ話をし、何を言いたいのかわからないようでは、まさに話にならないからだと解されます。これはわれわれの社会生活の経験からもわかります。お店で何かを買う場合の会話は手短かです。小沢一郎氏の例で言えば、今度の参院選に備えて、どこそこの選挙区用にいくらいくら資金を用意しておくようにといった指示になるのでしょう。反面、どこかの教科書の会話例のようにバーガーショップで、店員に向って余計なことをくどくど言うのは、実際の会話がわかっていない証拠です。</p>

<p>もう一つの特徴は、目的合理的な会話の場合、改まった言い方をするのが普通であるのに対して、社会生活上の会話では、もっぱらインフォーマルな言い方が使われるという点です。これも、不特定多数に対して、依頼や要請をしたり、指示をするといった目的合理的会話が行われる状況を考えると、改まった言い方で通した方が余計な摩擦を生じさせないわけで、当たり前です。政治資金を出してくれそうな相手に、「例の工事やっといてやっからよ、ゼニ持って来い」と言ったり、レストランでウェイターが「おまいさん、何食う？そっちの姉ちゃんはどうなんだ？」と言うようじゃうまく行くはずがせん。</p>

<p>逆に言えば、社会生活上の会話というのは、相手も気楽に話せるように妙にかしこまった言い方をしないように気をつけながら、とりとめがない話をするということであり、まさに福田和也氏が言う「当たり障りのないことで会話を繋げいく基本的な社交術」がそれであるということです。</p>

<p>ただ、問題は、社会生活上の会話の場合の方が、目的合理的会話に比べて高度の言語運用能力が要求されることです。目的合理的会話のように決まり文句を並べていけば済むというものでなく、相手がが何か言うつど臨機応変の応答をしなければならず、そのためには、自分の言いたいことを一般に受入れられている会話のルールにしたがって「会話の場」に出して行くというスキルが別途要求されるということです。単語と文法さえ知っていれば何とかなるという、簡単なスキルではありません。（つまり、「今、ここで行われている会話はこういうジャンルの会話」という、会話参加者が共有する状況認識（フレーム）がわかっており、過去の経験や知識に基づく「会話はこう進む」という会話の段取りを理解するための枠組み（スキーマ）が頭にはいっていないと、会話を進められるものではないということですが、機会を改めて書こうと思っています）</p>

<p>以上の話が英語を話せるようになりたいという人のためのヒントになるとすれば、第一に、目的合理的会話と社会生活上の会話（＝スモールトーク）の区別があるということを十分意識して、例えば、専ら後者の世界で使われる <u>a little bit </u>worried about  （何かにつき「ちょっぴり」心配だ）のような言い回しを前者の世界に持ち込まないよう気をつけるということ、それと、<A HREF="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2009/12/_cohesive_devic_1.html" target=_blank">「会話を繋げていく」ための接続表現 (cohesive devices) </A>にもっと目を向けることではないでしょうか。事実、会話というのは共同作業ですから、相手が何か言ったのに対して、Yes/No でばかり答え、会話を「繋げる」のを怠るようでは、相手には協力拒否にも映るわけで、それでは人間関係を円滑にしょうという社会生活上の会話の意味がなくなってしまいます。</p>

<p>もちろん、初学のうちは Yes/No で答えるのが精一杯でしょうが、そんなときこそ何のために英語を勉強しているのかを思い返して、「あの場合、どういう接続表現を使えばよかったのだろうか」という問題意識でご自分のテキストを振り返り、次回に備えて脳内リハーサルをしておいてもらいたいものです。</p>

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<title>言語間距離と学習効果：例えばアラビア語</title>
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<modified>2010-02-22T21:04:59Z</modified>
<issued>2010-02-20T03:57:21Z</issued>
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<created>2010-02-20T03:57:21Z</created>
<summary type="text/plain">古い記事ですが恐るべし中国の小学校英語：日中小学英語教育の比較につき、Fujit...</summary>
<author>
<name>hinata</name>

<email>nhashi@alc.co.jp</email>
</author>
<dc:subject>英語</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/">
<![CDATA[<p>古い記事ですが<A HREF="http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2008/05/post_477.html" target=_blank">恐るべし中国の小学校英語：日中小学英語教育の比較</A>につき、Fujita T. さんという方から、以下のような鋭いコメントを頂戴しました。</p>]]>
<![CDATA[<blockquote>

<p>　中国と日本の教育制度の差は明確です。しかし、その効果については少し割り引いてみる必要があります。<br />
　中国語は統語言語で日本語は膠着語ですから、屈折性の弱い英語は中国語話者にとって比較的学習しやすい言語です。とくに小学生年代にとってはこの差が出やすいと考えます。この項で紹介されているYLEの国別成績比較でも、文法が比較的重要になる読み書きの差が顕著です。<br />
　おそらく中国でするように日本人に英語を教えてもそう効果は上がらないはずです。それを残念に思うのではなく、言語学的に距離のある言語に触れた経験を糧にしてその後の学習に生かすことが重要だと考えます。</blockquote></p>

<p>要するに英語との「言語距離」(linguistic distance) という見地から見た場合、中国語の方が日本語と比べて距離が相対的に近いので（中国語の方が日本語よりも英語に似ているので）、単純に中国に当てはまる話を日本に持って来ても同じようにはならないだろうということです。</p>

<p>たしかに言語間の距離という話はよく聞きます。一番よく引き合いに出されるのは、米国務省の外交官研修所がこれまでの研修から得た経験値で、<A HREF="http://web.archive.org/web/20071014005901/www.nvtc.gov/lotw/months/november/learningExpectations.html" target=_blank">Language Learning Difficulty for  English Speakers</A>フランス語、イタリー語などが、closely related to English ということで、最大600時間でそこそこ使えるようになるのに対して、日本語や韓国語などは exceptionally difficult for native English speakers ということで、同じレベルに到達するのに、2,200時間かかるとされています。</p>

<p>しかし、これはもともと語学の適性が高い、中年外交官たちの過去の記録の集大成であって、そのまま個々の学習者に当てはまると考えるのは無理でしょう。</p>

<p>一方、言語間の距離というものをいくつかの基準を立てて、客観的に説明できるとしても、今度は果たしてそこで言う距離の遠近が学習効果とどう結びつくか自体、別問題として考える必要があります。</p>

<p>例えば、アラビア語と日本語とを比べた場合、言葉の響き、あるいは音を基準に言えば、けっこう「似て」いるということも言えます。ちょっとこの映像をご覧ください。きっとみなさん、納得してくださいます。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/-0jCWkM15ag&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/-0jCWkM15ag&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p>ま、これは冗談半分ですが、仮に音が似ているとしても、じゃあ、アラビア語の勉強が英語より楽かと言ったら、そうは言えないはずです。</p>

<p>実は、英語と比べた場合の言語としての距離の近い学習者の方が、そうでない学習者よりも習得が速いのかということに関しては、これを真っ正面から否定する報告があります。</p>

<p>この実験は、英語学習者が一般に次の順序で文法事項をマスターしていくということが出発点になっています。</p>

<p>I saw the boy. 　での the/a といった冠詞<br />
     ↓<br />
He is walking. での ing<br />
　　↓<br />
The cars went past. での複数形 s<br />
　　↓<br />
The boy's hat. での 's つまり所有格のs<br />
　　↓<br />
She wants to do something. での wants つまり、いわゆる三単現の s</p>

<p>ここで例の言語間の距離がどうのという説が正しいなら、中国語を母語とする学習者とスペイン語を母語とする学習者の英語習得スピードを測った場合、中国語は日本語と同様、複数形がないのに対して、スペイン語は複数形にsを使いますから、スペイン語を母語とする英語学習者の方が、英語での複数形のマスターが速いということになりそうなものです。</p>

<p>ところが、実験では、両方ともほぼ同時期に複数形をマスターしています。他の項目での比較においても、結局、スペイン語グループと中国語グループとでは差が見られませんでした。ということは、少なくとも、この実証実験からは、学習者の母語と英語とが似ている度合いに応じて英語学習の効果に違いが出てくるとは言えそうもありません。</p>

<p>なお、この研究報告は、 Keith Johnson の An Introduction to Foreign Language Learning and Teaching  (Pearson Education) という本で知りましたが、出典は以下のとおりです。</p>

<p>Dulay, H. and Burt, M. (1974). "Natural sequences in child second language acquisition." Language Learning 24/1: 37-53</p>

<p><br />
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